明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

女性2人が自坊を訪問・・・・・

2014-04-15 23:09:31 | Weblog
昨日(4月14日)午後、女性2人が自坊を訪ねてこられました。地元東禅寺の根源の歴史を聞きたいというのが訪問理由。お2人とも、地域の歴史(郷土史)に興味関心が深く事前にかなり勉強されての訪問です。
自坊の歴史と東禅寺の歴史は、重なる部分がかなりあり、自坊の由緒書きを使用して1時間余りの説明講義となりました。
説明ポイント
(1)東禅寺の地名由来
「天台宗の東禅寺に由来している事。この寺院の正式名称は「円頓院(えんとんいん)足下山(たしたざん)東禅寺」であること。このお寺の痕跡は、現在の寺山(江戸期以前には、天台山とも称した)からふもとの周辺に求める事ができる事。伝承では、比叡山延暦寺を建立された最澄とされている事等を説明しました。」
(2)東禅寺衰退の理由
「古文書の員弁雑記等は、衰退の理由を織田信長の焼き討ち等していますが、それは間違いである事。自坊は、本願寺第9代・10代宗主から法物を1500年代の初期に下付されており、北伊勢における本願寺教団の進出により必然的に天台宗東禅寺は歴史的使命を終えていた事等を説明しました。そして、天台宗東禅寺を継承するものとして、自坊の明源寺がある事を説明。その根拠として、山号である足下山を自坊が継承している事をあげました。」
(3)山の民と聖徳太子について
「聖徳太子が大好き」という事で、浄土真宗と聖徳太子信仰の流れを簡単に説明。これについては、今後とも系統的に勉強しましょうという事になりました。日本の歴史の底流に流れる河である太子信仰を、本格的に学んでいただくのであれば協力は惜しまない積もりです。
説明講義は、これくらいで実際に東禅寺廃寺を見学しましょうという事で現地見学会の実施です。
写真は、寺山の中世墳墓と推定される場所を見学。急遽作成しました資料とにらめっこ。

東禅寺廃寺の参道と推定される場所を歩いていきますと、薪ストーブに使用する薪がうず高く積まれていました。これだけの薪を作るのは、かなりの時間が必要・・・・

場所を移動して、東禅寺廃寺中世墳墓から出土した無造作に五輪石等が集められている場所へ。展示するなら責任もって展示して欲しいものです。

五輪石等を見学。鎌倉期から室町前期の五輪石。東禅寺廃寺の真実の歴史は、これらの五輪石のみが知るです。

今回は、以上の勉強会でした。





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