明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

⑦城端別院・善徳寺・・・・「美の法門」と「色紙和讃」

2014-06-08 17:55:33 | Weblog
5月27日以来の員弁組伝道研修会の研修旅行に戻ります。城端別院善徳寺、参詣すれば誰しも納得する程の物凄いお寺。井波の瑞泉寺と比較しても何ら遜色なない。書院・宝物殿拝観だけでも1時間程度は軽くかかる。
写真・・書院のなかでも格別の部屋・・大納言の間と称される部屋。加賀百万石の前田家とも深い縁がある。

誰しもが不思議に思う事がある。井波の瑞泉寺、城端の善徳寺の距離は、車で行けば15分程度の距離。真宗大谷派の越中国の2大触頭。今でいう別院。しかも、近距離に位置するのである。こんな事が起こるのであろうか?真宗王国の北陸のなせる技であろうか?勿論、それもあるだろうが最大の理由は善徳寺と瑞泉寺が歩んだ歴史にある。しかし、善徳寺の歴史を長々と語る事は本意ではない。今回のテーマである「美の法門」と「色紙和讃」から脱線するのである。善徳寺の歴史は、平成11年(1999年)に発行された『善徳寺史』に任せたい。この本は、善徳寺さん自身が発行した善徳寺史の決定版ともいうべき冊子である。是非、興味がある方はお読みいただきたい。
写真・・「善徳寺史」

今回のテーマは、「美の法門」と「色紙和讃」。実は、前々からこのテーマでブログに投稿を考えていたのですが、機会がないまま流れていました。しかし、今回は善徳寺さんを参詣したご縁にて・・・・
昭和21年(1946年)5月28日、今日から越中国の秘境「五箇山」は赤尾の道宗さんのお寺である行徳寺を訪ねる旅に出発するその朝の出来事である。私の前に箱がもたらされた。私は、前日より城端別院善徳寺に滞在していた。「どんな姿のものが現れるのであろうか・長年の期待が瞬間に満たされるのある。だが、何たる冥加であろうか。それは夢想だにしなかった驚くべき版本であった。全ての期待はなお小さすぎた。」(妙好人論集・・岩波文庫114頁)と書いたのは、日本民芸運動の創始者でもある柳宗悦氏(故人)であった。
写真・・柳宗悦氏(妙好人(みょうこうにん)論集写真を複写)

柳宗悦氏の文章を続ける。「私は最初、例の厚手の和紙に古格ある仮名交じりの書体が大きく刷ってあるとのみ想像していた。(実際これが普通なのである)だが、現れたのはどんなものであったのか。紙は白でもなく、また雲母引きでもなかった。世にも美しく朱の紙に黒々と文字が摺ってあるではないか。頁をめくると、次は黄檗(おうばく)に染めた紙が現れてくる。かくして一つおきに色が変わる。それに想いかけなくも周囲は金銀の箔で、砂子(すなご)や大山椒(おおさんんしょう)やのぎが散らしてある。私は思わず感嘆の声を放った。こんなにも美しい版本を生まれてから見た事がない。」(妙好人論集・・岩波文庫115頁)これが、世にいう「色紙和讃」である。
写真・・城端別院(蔵)の三帖「色紙和讃」・・善徳寺史写真グラビアを複写。

続く・・・・・

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