明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

恵信尼様の花が咲いた・・・・・

2014-04-01 00:28:19 | Weblog
恵信尼様の花が咲いた。辛夷(こぶし)の花である。昭和31年に、新潟県上越市板倉区米増の田圃から五輪塔が発見されました。これが、「恵信尼様のお手紙に書かれた五輪塔ではないか。」という事になり、浄土真宗本願寺派はここに恵信尼のお墓である御廟を建立。恵信尼廟所です。
この時、発見された五輪塔の側には樹齢600年と推定される辛夷の大木があったといいます。それ以来、「辛夷の花」は恵信尼様を象徴する花なのです。
当時の貴重な写真。えしんの里資料館蔵写真を勝手に撮影。

その辛夷の花が、自坊書院裏庭で咲いていました。辛夷の木は、息子が2歳の時に苗木を購入し植えたもの。息子は25歳。この歳月でも、樹高は4メートル程。幹の太さも5cm程度なのです。樹齢600年の辛夷の木の偉大さが判ろうというもの。下写真の中央の細い幹の木が辛夷の木。よく見れば左中央の白い辛夷の花が見えます。

拡大すれば・・・・・・紛れも無く北国の春を告げる辛夷の花。可憐な純白の花。


私は想像するのです。恵信尼様(越後在住)が、聖人の死後(弘長2年11月28日に聖人は往生)に末娘である京都在住の覚信尼様に最初のお手紙を書かれた時、家の外には雪が残り、辛夷の花が咲いていたのではないかと思うのです。そして、恵信様をやさしく見守っていた筈です。そのようななかで、娘の覚信尼様にどうしても伝えなければならない親鸞様との追憶を書かれたと思うのです。
昨年(2013年)5月8日に偶然撮影した辛夷の大木。そして、咲き乱れる辛夷の純白の花。恵信尼廟所から10キロ程の丘陵地帯で撮影。

温暖化が激しい現在でも、撮影した辛夷の木の足基には大量の雪が残っていました。

ですから、私の勝手な想像もあながち否定する事はできないのです。

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