明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

71000人 秋本番・・・神坂峠

2011-10-19 00:23:02 | Weblog
2009年10月14日に、神坂峠(1569m)の紅葉を紹介しました。そして、今年は10月18日(今日)に神坂峠を訪れた。今日は、雲ひとつない秋空。こういうのを行楽日和というのだろう。とにかく、素晴らしい紅葉。文字通り秋本番である。殆どの、紅葉・楓・ブナ等の落葉広葉樹は見事に紅葉していた。里の秋より1ヶ月は早い秋本番である。麓よりひたすら林道を登る。麓では、白いコスモスが出迎えてくれた。

1000mを超える付近から、景色が一辺。目にも鮮やかな紅葉が飛び込んでくる。



1450m地点で、岐阜県側を見ると絶景のパノラマ。富士見台の岸壁に紅葉が真赤に燃えるように点在。100万ドルの光景とはこのような光景をいうのであろう。



神坂峠、古代東山道の最大の難所。東山道は、飛鳥・奈良・平安の昔、都から関東に下るメインルート。(東海道は、鎌倉以降にメインルートとなる)そして、この道は奥州(東北)まで続く道である。多くの旅人が、この峠を越えた。国司と赴任する貴族も、軍勢もこの峠を越えた。
高校日本史の時間に習う、藤原陳忠(のぶただ)という欲の深い信濃の国司の話が今昔物語に載っている。彼は家来とともにこの神坂峠を超えていましたが、険しい峠なので谷へ転落してしまいました。家来が心配していると「籠(かご)をおろせ!」と谷底から陳忠が叫ぶ声がするので籠を降ろすと、陳忠ではなく「キノコ」がいっぱい乗って上がってきました。再び「籠をおろせ!」の声がするので家来がおろすと、キノコを両手いっぱいに持った陳忠が上がってきました。何もこんなときにキノコなど採らずとも、と家来があきれていると、陳忠は「受領(じゅりょう)は倒れるところ土をも掴(つか)め」とたしなめた。
「受領(じゅりょう)は倒れるところ土をも掴(つか)め」という言葉は、平安末期の強欲な国司(受領)を表現する言葉として、日本史・古典では必ず習う必携の言葉。大学入試にもよく出題される。
しかし、何分にも最大の難所。多くの旅人が遭難したらしい。そこで、旅の無事を祈って神坂峠では祭祀が行われた。それが、発掘されている。祭祀場所に建てられた案内板。



ここに立って目を閉じると、いにしえの万葉ロマンが目の前をタイムスリップする。大友旅人・坂上田村麻呂・源義家もここを通り、はるか奥州の戦場に向かった。そんな歴史ロマンの場所。
神坂峠から富士見台(1739m)の方に向かう。紅葉の真っ盛り。





木立に囲まれた萬岳荘が見えてくる。11月15日まで営業。今日は、平日であったが多くの登山者・ハイキングの人が訪れていた。それぞれが、天候に恵まれ秋を満喫したであろう。

富士見台は、熊笹の山。



余り時間が割けずに、短時間の神坂峠・富士見台訪問となったが、何か宝山を堀り当てた3時間の旅となりました。最後に、風に吹かれての記念写真。

今日で、このブログの訪問者が71000人(正確には、71190人)を超えていました。いつも訪問していただき有難うございます。









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