
不動滝(落差4m~5m)は、員弁川の源流の一つである多志田峡の奥(三重県いなべ市北勢町)にある。訪れた時もかなりの水量があった。この不動滝は、拙寺から車で20分程度の場所。子供の頃は、多志田川にそって続く道を1時間程歩いた。かつては、渓谷美で知られた名勝地であった。不動滝の近くには、不動明王を祭る不動さんがある。現在、この不動滝の奥は地元業者が大規模な採掘工事をしており、多志田山の山肌が大きく削り取られ、山は荒れ放題。そして、昔歩いた道はダンプ街道に変貌。
不動滝の手前には、対岸に渡る鉄骨の立派な橋がかかっていたが、大雨による集中豪雨の為であろうか、無残にも押し流されて残骸のみ。昔(江戸時代)、ここには鉱山があった。主として銅を採掘していたらしい。その跡は、今も見ることができる。対岸の岩盤にポックリと横穴が開いている。子供の頃に、かなり奥までカンテラを頼りに入った記憶がある。そして、入り口付近は硫黄のニオイがしていた。鉱山跡の横には、冷泉が湧いていたのです。皮膚病によく効く冷泉と評判であったらしい。文政8年(1825)から安政5年(1858)頃まで湯屋が2軒あり、かなりの賑わいを見せていたといいます。今の名物は、山ヒル。ヒルが非常に多いのです。雨あがり、湿気が多い時には必ずヒルに血を吸われる事を覚悟で・・・・・写真は、今年5月に撮影。
不動滝の手前には、対岸に渡る鉄骨の立派な橋がかかっていたが、大雨による集中豪雨の為であろうか、無残にも押し流されて残骸のみ。昔(江戸時代)、ここには鉱山があった。主として銅を採掘していたらしい。その跡は、今も見ることができる。対岸の岩盤にポックリと横穴が開いている。子供の頃に、かなり奥までカンテラを頼りに入った記憶がある。そして、入り口付近は硫黄のニオイがしていた。鉱山跡の横には、冷泉が湧いていたのです。皮膚病によく効く冷泉と評判であったらしい。文政8年(1825)から安政5年(1858)頃まで湯屋が2軒あり、かなりの賑わいを見せていたといいます。今の名物は、山ヒル。ヒルが非常に多いのです。雨あがり、湿気が多い時には必ずヒルに血を吸われる事を覚悟で・・・・・写真は、今年5月に撮影。
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