入唐求法巡礼記は、慈覚大師円仁が書かれたもの。彼の、中国(唐の時代)の滞在記である。私達は、この日記を読むことにより当時の僧侶の燃えるような仏法の真理を求める志を知ることができる。唐の皇帝・武宗により仏教弾圧等の幾多の困難を乗越えて、円仁は求法の旅を続けている。
円仁による五台山巡礼の旅は、入唐求法巡礼記の白眉の箇所。中でも、私達浄土一門の流れを汲む者としては、円仁による竹林寺参拝の箇所を外すことはできない。次のように記されている。
『5月1日、五台山巡礼の旅に出発。北に向かって高い峰を越え、8キロ行って竹林寺に到着。(略)寺の建物を巡礼すると「般舟道場(阿弥陀仏を説く般舟三昧経を行ずる道場)」があった。かつて、法照和尚と呼ぶ僧がいて、このお堂にて念仏三昧(五会念仏)を修行された。没後、天子の勅があって大悟和尚とおくり名された。没後2年たっている。現在は、影像(えぞう)を堂内に安置している』とある。ここに、円仁とお念仏との出遭いが詳しく述べられており、この五会念仏作法を比叡山に持ち帰り、比叡山に常行堂を建立し、五会念仏作法を修したのが日本浄土教の根源となった。
法・教えとの出遭いは、求める人の側が熟していないことには、単なるすれ違いとなる。出遭うべきして出遭ったという事であろう。入唐求法巡礼記は、何度読んでもあきることのない本。混迷する現代社会に一筋の光明を照らす貴重な本といえる。写真は、慈覚大師円仁御影。入唐求法巡礼記 中公文庫から複写
円仁による五台山巡礼の旅は、入唐求法巡礼記の白眉の箇所。中でも、私達浄土一門の流れを汲む者としては、円仁による竹林寺参拝の箇所を外すことはできない。次のように記されている。
『5月1日、五台山巡礼の旅に出発。北に向かって高い峰を越え、8キロ行って竹林寺に到着。(略)寺の建物を巡礼すると「般舟道場(阿弥陀仏を説く般舟三昧経を行ずる道場)」があった。かつて、法照和尚と呼ぶ僧がいて、このお堂にて念仏三昧(五会念仏)を修行された。没後、天子の勅があって大悟和尚とおくり名された。没後2年たっている。現在は、影像(えぞう)を堂内に安置している』とある。ここに、円仁とお念仏との出遭いが詳しく述べられており、この五会念仏作法を比叡山に持ち帰り、比叡山に常行堂を建立し、五会念仏作法を修したのが日本浄土教の根源となった。
法・教えとの出遭いは、求める人の側が熟していないことには、単なるすれ違いとなる。出遭うべきして出遭ったという事であろう。入唐求法巡礼記は、何度読んでもあきることのない本。混迷する現代社会に一筋の光明を照らす貴重な本といえる。写真は、慈覚大師円仁御影。入唐求法巡礼記 中公文庫から複写
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