むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

どんぶらこ どんぶらこ

2011年11月17日 | 日記
大波小波に揺れているうちに時が過ぎ、気づいたら、街はもうすっかりクリスマスムードでした。

この12日間のうちに、思い出を満載した実家の車が新車と交代し、初めて自分で洗ったカーテンの洗剤の水に「どこからこんな黒さが!」とおどろき、半年前に目と目が合った、ベージュの、大きくてふわふわな犬に再会して、なでたりなめられたり、していました。

人生80年とすると、たった3万日ですから、これからますます足早に感じる年末にかけての日々を、大切に味わって生きたいと思います。


今夜は、近所の定食屋さんで、友人と「結婚してから、さらによく知る相手のこと」の話題になりました。わたしは、摂食障害専門のカウンセリングをしていますが、彼の奥さまも学生時代から今に続く症状があります。

このひととき、彼女の状況にかつての自分の思いを重ねながら、それを受け留めようとしている家族の立場で、改めて構図を見ることになりました。


人は、不安でいっぱいいっぱいになると、身近な人に救いを求め、いらいらをぶつけてしまうこともある。

でも、そんな時の外への過度な期待は、理不尽な不満バクダンになり、えてしてふくらみ、大切なはずの人になんだか責められているような負担を与え、しょんぼりさせることにつながる。それは、ざんねんなこと。

さみしさを愛情に配合しすぎたら、見えない暴力となって、相手は離れるか症状が出ることになるから。

誰がわるいわけでもない。ただ、その連鎖を断ち切ることを考えて、作戦を立ててみる。
作戦A:当事者でない誰かがそっと中に入ったら、はらはらと関係性が変わり、風通しがよくなることもある。
作戦B:しこりを自力でなんとかしようとしたら、次は思い切って放れると、そこからまた生まれるものがある。
とかとか。指針は、楽しくなるほうへ向けて。

きっと、人はみんな持ってるはずの不安や空虚感を、愛や、宗教、ペット、打ち込むもの、娯楽や快楽に、それぞれ預けているおかげで、日ごろ笑っていられるのかもしれない。そして、一番比重をかけていたものが失われた時、信じていた世界があっさり崩れ、見たことのなかった空っぽの中に放り込まれてこわくなる。でも、その悲しみの中でまた本当のものを見る。

カサカサ空気にやさしい雨を。ヒリヒリ炎症に湿った布を。
静けさの中で、ぼんやりした無をそのまま認めたら、この空白にも若葉が芽生えるでしょう。






かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/







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