11月6日、白馬に父とまた滞在する予定でいたけれど。
5日夜、いつもと変わりなく父は元気に車を運転して一緒に
カキフライを食べに行き、その夜中に一年五か月の間共存してきた
膵臓がんの痛みがはげしくなり、翌日緊急入院、8日の朝に逝きました。
亡くなる前日まで家族の後のことを気にかけ、万全の準備をし、わたしを励まし、
ありがとうと何度も伝えてくれながら、元気な印象のまま
安らかな眠りにつくように逝きました。
なみだがかってにあふれてきます。
「死について41の答え」OSHO を読んでみたり、
家の中、一緒に行った場所で首を傾げたり、深い海の底にゆっくり沈んでいきそうな
救いようのない気持ちになったり、胸が塞がって息ができなくなる気がしたり、
毎朝目覚めておはようと言おうとして、もういないその方が夢のようで苦しくなったり、
それでも父の想いや愛情が、カタチという境界を失くしたことでわたしの中に
溶け込んでくるように感じて胸がいっぱいになったり、青天の荒海にいるようです。
ぶつかったこともあったけど、いつもわたしのことを気にかけていてくれて、
後で見た日記には、この三か月間毎日痛みが続いていたとあったのに、
できるだけその姿を見せまいとにこやかでいて、
わたしが動揺すればどんと受け止め、明るく元気づけてくれました。
日を増すごとに、それは強くなっていったよね。
亡くなった後のことを話して一緒に泣いたり笑ったりし、
穏やかな日常はおかげで一瞬一瞬、切実に楽しむことができました。
お父さん、楽になってよかったね。 本当にありがとうね。