むすんで ひらいて

ぽてぽてと歩く毎日。

のどかに、やさしく生きたいな。

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あつあつ

2014年01月30日 | こころ
あつあつの飲み物が好き
特に冬は。
ねこ舌なので、「アツ、アツ、」と言いながら、ちょっとずつ口をつける。
早く飲みたいのでもなく、カップから熱を感じ、湯気を見ていると落ち着く。 

時々ランチをする三鷹のカフェは、食後にコーヒーカップとコーヒーが、そのシチュエーションなら最大限だろうと思われる熱さで運ばれてくる。
温められていたはずのカップと、注がれたばかりのコーヒーと、食べ終わって絶妙のタイミングで淹れてくれた店員さんの気配りに、とっぷり心を奪われてしまう。

去年の暮には、家の側に、広々とした一件のカフェができた。
裏山の階段をハァハァ言って上り、弁財天(インド、ヒンドゥー教の女神。 本名をサンスクリット語で「サラスヴァティー」《水多き地の意》といい、穀物や果実を実らせ財をもたらしてくれる水神《蛇や龍の神格化したもの》。 日本では、言葉・芸能・音楽を司る神とも言われる)に手を合わせ、尾根の林道を抜けたところの神社から、再び竹林を下った・・・15分の散歩コース・・・の先にある。
そこで出されるお茶は、テーブルで、ガラスのティーポットを2時間以上もつロウソクで温めながらいただける。
少しずつカップに注ぎ、読書の合間に手を伸ばすと、いつでもあつあつがうれしい。
特にチャイなど、だんだんと濃くなり、後になるほどたのしみだ。


(こちらは、度々行く岐阜県の、木漏れ日のさわやかなカフェ)


「いつでもあつあつ」チャイは、インドにはお店に入らずとも、そこら中にあった。

屋台や雑貨屋さんはもちろん、通りのあちこちに、おちょこみたいな、ザラザラした手触りの素焼きの器と、熱くて濃厚に甘いチャイのやかんを下げたチャイ屋さんがいた。
器は、その場で放ってしまうらしく、隅に土器の山ができていたり、道端に粉々に散っていたりした。

向こうから牛が歩いてくると、すれ違えないくらい細い路地でも、立ち話した人が家の中からやかんを下げてきて、壁にもたれて「まぁ、一杯」。
駅の窓口で切符の買い方を尋ねていると、駅員さんと顔なじみのチャイ屋さんが、「まぁ、どうぞ」。

列車が停車すると、地の割れ目からこみ上げてくるような重低音で、「チャイ~、チャイ~!」と呼びかけながら、おじさんが乗り込んでくる。
長距離バスの受付で手続きをしていても、黙ってやかんが現れる。

お招きいただいた地元ラジオ局のDJさんのお宅は、くるくると階段を上り詰めたマンションの5階。
子どもたちと奥さんとおばあちゃんで、チャイと揚げ菓子を囲んで写真を撮った。 

牛とリクシャ(人力車)とノラ犬の行き交う、土埃の大通りをちょっと脇に入り、別世界のようにして現れたお屋敷のリビングでは、お母さんと小学校から帰ってきた制服の娘さんが、ティーカップのチャイとクッキーで、午後のお茶の支度をしてくれた。

日本で飲む上品なチャイとも一味違い、現地のそれは、甘さもコクもスパイスも、その場の混沌も素朴な生の躍動も、とろりと凝縮されて熱かった。



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それでも よかったよ

2014年01月27日 | こころ
少しずつ日ざしが春めいてきて、庭の梅の蕾がぷっくりふくらんでいます。
店頭のバレンタインコーナーの装いに、なんだか心も華やぎます

バレンタインデーといえば、ネパールのジャングルで過ごしたことがあります。
その日、象の背に揺られながら、村を抜け、チトワン国立公園のジャングルを巡りました。
はじめて、野生の一角サイの群れ、川べりの巣穴からヌーっとすべり出してくるヌマワニ、夕陽をバックに葉の落ちた大木の枝に腰掛けるサル、羽を広げて道の前方に立ちふさがる立派な孔雀、たちに出会いました。

13年前のあの頃、イベントは盛り上がらなくっちゃ!と思っていたわたしは、バレンタインデーに備えて、前日のうちに、宿から歩いて行けるところに一件の感じのいいカフェを見つけておきました。 
といっても、川の対岸はジャングルで、こちらは現地のタル―族の村と、簡素な宿泊施設と、象の遊び場になっている森くらいで、見たところお店らしきものは、ほかに飲み物やスナックを売る小さな売店くらいでした。

そして14日の夕食後、彼をお茶に誘いました。
通された二階のテラス席には、キャンドルが灯っていて、欧米の夫婦が二組座っています。 
それまでタイ、インドと廻ってきて、きっとこういう旅行者向けのカフェならあると予想していたチョコレートケーキをメニューに見つけ、やった!と注文、ほろ苦いパウンドケーキみたいなそれをふたりで食べました。

だけど予定とちがったのは、お皿を運んできてくれたウェイターさんが、「英語の練習したい」と立ち止まり、「どこから来たの」「どこ行くの」と片言英会話が始まったことでした。
「えー、ロマンチックじゃなくなっちゃうじゃーん」
と、あまり話に身の入らないわたしでしたが、今は、そんなこんなも、固かったケーキも、タイ・バンコクの床屋から帰ってきて以来、そもそもそんなにロマンチックでもなかった彼の坊主頭も、ぜーんぶ香ばしい思い出です。 


翌日は、ジープサファリの帰り道、ジャングルの真ん中でエンジンが故障して、助けが来てくれるまで1時間くらい立ち往生しました。 
どんどん日が暮れて、とうとう真っ暗闇になり、その闇を貫いてかつて聞いたこともない鳥の雄叫びが間近に聞こえ、風が冷たくなりました。 
彼が、グレーのフリースを脱いでかけてくれました。 
オープンカーに乗ったガイド2人とわたしたち4人の旅人は、安全のためににぎやかに声を出していたほうがいいと、声高らかに話し、笑い合いました。 

宿の隣のコテージに泊まって、一緒に参加していたオランダからきたカップルは、彼が朗らかな歴史学者で、彼女はリンダさんという可愛らしい舞台女優さんだったので、彼女が時々、声量のある美しい声で母国語の歌を口ずさみました。 
車のハイビームに加え、装備してあった大きなライトで前後左右を煌々と照らし、急ごしらえのちいさなお祭りのようでした。 

それでも、当日の朝、ガイドさんから、
「早朝に出発したジープにサイが突進してきたので、そのグループは途中で引き返しました。あなたたちは参加しますか?」
と、意思確認されていたので、
「ああ、サイもトラもヒョウもこないでね。。」
と内心に秘めていた緊張感は、ついにレスキュージープが到着した時、歓声と拍手にとって代わりました。

「後になれば、こういう経験がいい思い出になるのよ!」
わたしたちを陽気なメロディーで包んでくれていたリンダさんが、ニコニコしながら言ったのは、ほんとうでした。



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弱くていい

2014年01月14日 | 日記



京都、大原三千院のお地蔵様 

寒い日が続きますね。
今年も早、半月が過ぎました。 

年の初めは、映画「永遠の0」を観ておんおん涙し、数年ぶりに友人を訪ね、懐かしさと、子どもたちの大きくなりっぷり、やんちゃでやきもち焼きだったダックスフンドが穏やかに年月を重ねた姿に、また目頭が熱くなりました。

子育てに忙しい彼女は、時々「会えなくてさみしいね。」と、メールに書き添えます。
わたしは、飾らないことばに水の匂いをかいだようで、ほっとします。
さみしいね。と言いながら、元気に歩き続ける彼女が好きです。

いつも前向きでなくって、誰かにぼそっと弱音をはけるのは、健康的な気がします。
生きてると時々、生のさつまいもをかじるような思いをしますが、まぁなんとかくじけないで、希望を見つけて、えっちらおっちらやっています。


先日、東京の刑務所の、法務教官の方とお話する機会がありました。
入所者の方を対象に、日々、認知行動療法を主とする更生プログラムを行っていくうちに、当初は心理療法に消極的だったほとんどの人たちが、大きく変わって出ていかれると伺い、人間のやわらかさ、環境の与える影響の大きさを思いました。

「永遠の0」で戦時中、家族のために生きて帰ることを熱望していた主人公が、次々と仲間の死に直面するうち、特攻に志願するに至ったのも、抵抗しきれなかった環境の作用でしょう。

先の法務教官の同僚の男性は、年末の誕生日の前日に自ら生きるのを止めてしまったそうです。
残された遺族は、「なぜ?」を問い続けておられます。

答えも可能性も、沈黙の中です。

今年は、弱い自分をゆるして、弱音もきいてくれる親しいひとを大切に、足の裏を熱く感じて歩いていきたいと思います。

これからも、どうぞよろしくお願いします。



冬の午後、大原の里。


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