むすんで ひらいて

ぽてぽてと歩く毎日。

のどかに、やさしく生きたいな。

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もう 信じよう

2017年04月30日 | こころ

平均台を用心しながら歩いてるうちに

わたしにあった信じるちからがやせ細っていって

そのことばすら信じがたくなっていた

 

でも静けさの中でわかったことがある

時がくれば

時間はかかるだけかかって想いをかなえる

 

焦りとか不安とか 煙りが晴れるまで待って

とっきんときんの冷たさを耐えて

何度折れても ほんとうに望むものをたどり

からだのずっと奥から信じ続けていれば

冬のある朝 赤いリボンのついた贈り物が届くように

それと巡りあう

 

あの時耳をかすめただけのことば

ようやくわかったことがある

いつもじぶんの器にあるものしか受け取れないけど

ひっかかったことは いつか降りてくる

手間をかけたものは本物になる

  

変わる時は思いがけなく

どう転んでもだいじょうぶと知っていて

あくせくしないで まるごと観ている

遠回りに見えても 本来あるほうへ変わってく

準備ができた時 水に石の沈んでいく静けさで

 

流れに小舟をのせるように

両手でそっと わたしたちを送ろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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残り香と夏みかん Ⅱ

2017年03月09日 | こころ

つづき 

 

ふいに、その人が「めがね。。」とつぶやいた。

別の方を見ていたわたしは、彼のめがねのことか、でもかけてないし。。と思いながら振り返ると、その人は夏みかんの枝の奥を見上げていた。

「そこにめがねはないだろう」と思った次の瞬間、ちょうど一年ほど前の父の声が蘇った。

「おれ、めがねどこやっちゃったんだろう。。」

行き着けの喫茶店を二軒回って聞いて来たけどないらしい。それはその半年くらい前、一緒にキクチメガネに行った時、父が若い頃から好きなダンヒルというブランドのめがねをすごく気に入って買い、しっくり馴染んだものだったから、二人でしばらくざんねんがった。だけどそれ以上思い当るところもなくて、新しいものをあつらえた。

 

イヤだった。それがそこにあるとしたら。とにかく悲しくなりそうで、その人の視線を追うのをためらった。

でも、それは葉っぱの向こう、高くて採りきれなかった夏みかんの手前で、枝の又にブラーンとぶら下がっていた。「お父さん!!」、やっぱり笑いが込み上げてきた。

もしわたしひとりだったら、それを取れたろうか。去年収穫が終わって、つぼみがつく前のこのくらいの時期に父が脚立の上で剪定してる時の記念作品みたいで。触れたら父の元気だったあの時の時間が動き出してしまいそうで。たぶん、呆然としてしまっただろう。

だから彼が取ってくれて、その瞬間を笑いながらすべり抜けられたことに、とても感謝している。

「お父さん、こんなとこにあったよ!」

と、すごく言いたい。 きっとびっくりして、生粋の名古屋弁で「おれのめがねだがねー」なんて喜んで、一緒に笑い合うだろう。だけど、今度は探してたお父さんの方がいないんだね。。

わたしの目には、ほこりを被ったレンズの向こうにそれがよく似合った父の、はにかんだ笑顔がまざまざと浮かんできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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残り香と夏みかん Ⅰ

2017年03月08日 | こころ

武蔵野の茶色の木立の中に、ひと際鮮やかな濃い桃色が目を引いた。

早咲きの桜、雪割桜だ。背景に広がる一本一本の木の幹も枝も、パッと見ただけではわからないけど今も内側で芽吹きに向けて鼓動してるんだろう。

生まれてくる前もこの世を去った後も、こんなふうに命は巡っているのかな

 

 

先日、庭木の剪定についてダスキンさんに相談にのってもらった。

わたしの小学校入学記念に植えてもらった夏みかんの木は、毎年今頃になると父が根っこの周りをシャベルで掘って肥料を入れ剪定もしていてくれたおかげで、このところ普通の段ボール8箱くらいの収穫がある。 

母が生きていた頃は年に数回東京から帰省していたわたしに、母から「お正月は家族で夏みかんの収穫行事をするからね、採りに帰ってらっしゃいよ」と言われていた。それでも帰る時期がずれると、近くの郵便局から他の食材や庭のどくだみを乾燥させた葉などと一緒に小包が送られてきた。

家族をつないできてくれた木。

 

ダスキンさんは庭の測量が終わって、

「普段わたしたちが看させてもらってる5倍はありますのでね、これ全部旦那さん一人で伐ってらしたのは、たいしたもんですわぁ」

と、屋根に届く高さの樫やケヤキ、杏子や椿を見上げている。

この人には三度お会いして、だんだんわかってきたことがある。なんというか会話と会話の間に独特の間があくので、その度にわたしはなんだか雨の日、水たまりに気をつけながら歩いてるような気分になる。

そして、そのまたいっそう「長い間」―もくもくと測量したり、スマホで植物の特徴を調べたり、あちこちの木をじっと見ている―に、わたしの頭のスクリーンには庭仕事をする父の面影がしとしとと降り注がれて、今はひとりぼっちで庭に出ることの寂しくなった心がちょっと、そおっと癒される。草むしりをしたり、剪定道具や消毒剤の整理をしたり、思わぬところに父が小鳥たちにあげていた古くなってしまったお米とかビスケットとかを見つけたりしながら。

わたしたち家族の好きな木を、同じように植物の好きな人が看てくれているだけで、ほっとして気持ちが温かくなる。

 

                                                   つづく

 

 

 

 

本日のバリねこPuspaさん。

傘に合わせて 猫背伸ばすにゃー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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南国の憂鬱

2017年03月01日 | こころ

友人から今日のバリの景色が送られてきた

 

 

この女の子の姿を見たら、なぜか一緒に揺れたくなった。

 

どんなにお天気がよくても、若くて精気に満ちていても、

心が塞がってしまうことがある。

環境は好ましいのに、そんな風でしかいられない自分が

情けなくって悔しくて、もうほんとイヤになった。

外からはわかってもらえなくて、ただ行き詰まりで自分を責めた。

 

あの日、苦しんでた自分を重ねて

本当のことはわからないのに

なぜか隣で揺れたくなった。

孤独の隣で揺れたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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生きて去ってく つかの間に

2017年02月27日 | こころ

庭の見えないところに咲いている水仙を集めたら両手いっぱいになった。

居間や玄関に飾ると、家中なんともいえない甘く爽やかな香り。

 

夜見ると、朝に満たした花瓶の水がぐんと減っている。

生きてるんだ。 

生きて去ってゆく間を、芳しく。

 

少し前には、ぼたん雪が降った。 

ふわふわと舞い降りてきて、地面に着いたらほんの数秒で消えていった。

それでも次から次へと降り注いで、静かに景色を霞ませていく。

そこから目を離せずにいると、からだの中で心臓の鼓動も血液の流れも呼応して

トックトック、シュワシュワ、鳴りだした。

 

今この、生きて去ってく、つかの間に。

 

 

 

 

 

 

友人と琵琶湖へ旅をして、お部屋のカーテンを開けると、ちょうど翌日クルーズする船が

帰港するところだった。

お茶を淹れクッキーを並べ、ふと目をやったその先に、太い虹の根元

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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