むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

今年のアルバムから

2012年12月30日 | 日記
大掃除をしていたら、晩秋のコスモス畑の写真が出てきました。

お花の少なくなったこの時期に見返すと、その鮮やかさが、いっそうまぶしく思い出されます。
今年もあとわずか  意識も鮮明に過ごそうっと、思うのでした。






静岡県浜名湖畔のフラワーパークを一周したこの日、公園の売店でソフトクリームを買った。
まだ暖かだったのだ

湖の南に通じる遠州灘には、相変わらず強い風が吹いていて、バックから飲み物を取り出そうとしたら、なにかのメモ用紙があっという間にさらわれて、海にクルクル舞っていった。
水平線と平行に連なる3隻の漁船が、風上に波を飛び越えながら進んでいて、その手前には、ウィンドサーフィンのセイルがいくつも日差しを受けて輝いていた。

その風を遮る暴風林の内側にはしらす工場があり、雪のように白い蒸気の昇る煙突の下一面、天日干しのしらすが広げられていた。


こちらは、11月初めの愛知県蒲郡。



左下の松の向こうに見える小島は竹島と呼ばれ、陸から灯りの灯された竹島橋を渡り、波音を背に石段をくねくね上ると、八百富神社がある。 来年の初詣は、ここに

橋の両脇には、ぽつんぽつんと釣り人が糸を垂れ、その中ごろに佇んでいた大学生くらいの男の子二人が鯛を釣り上げたところ。
対岸では時々、思い出したように花火が上がった。

少し離れた海岸まで来ると、かすかに小雨がちらつき始め、波打ち際に腰掛けていたおじさんが釣り糸を繰り始めた。
魚籠の中の7、8ぴきの魚を見せてくれながら、
「明日の朝、煮つけにするんだ。。。  いつも寝る前はここに来てね。。」
と、雨だれのような間で話し、慣れた手つきで今夜の仕事を片づけていた。


この一年の、あの時この時に、ありがとう。
来年も、ますます明るく清らかな年になりますように。

みなさんも、どうぞよいお年をお迎えください


                 かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/

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霞みのむこうの坂の町

2012年12月26日 | 旅行
先日ムーミンシリーズを読み始めてから、その名も「ムーミン」という喫茶店を見かけたり、近所には、ムーミンの家をイメージして建てられ、玄関にムーミンパパの人間大のマスコットがパイプをくわえてお出迎えしているおうちを見つけたりと、彼らがこんなに愛されてることに改めて気づく日々です


さて、前回のつづきです。
鳥羽から一日4便の定期船に乗り、三重県の離島、神島へ上陸。
漁港から斜面に集まる民家をぬけて、一周約4kmの島めぐりが始まりました。
全体が、標高171mの灯明山を中心とした山地なので、こんな階段がず~っと続きます。



海の真ん中で山登りをするのは、宙に向かって上っていくようでふしぎ。
ふぅふぅと、上りきったところにある八代神社に手を合わせ、愛知県の伊良湖岬を左に眺めながら神島灯台へ。

灯台前から望む、太平洋の遠州灘。 
大型船舶が、白い波頭と見分けがつかないくらい小さくなって水平線へ近づいていきます。



ここから、さらに山道が続き。



浜辺へ出ると、南西の空には怪しい雲が広がり、荒い風が吹きつけていました。

足を早め、町のそばまで戻ってくると、港に通じる急な坂道で、お米10キロと、同じくらいのかさの食糧を背負って家路につくひととすれ違いました。

 


タコの干物を取り入れるおばあちゃん。
「この時期が一番おいしいんよ~。」

風の強い寒い日でしたが、素朴で平穏な人々の生活が垣間見られ、今まで遠くにあった灰色の島影は、体の中で忘れていた感覚を取り戻したように、血の通った場所になりました。



雨脚が強くなり、15:45の終便の窓に霞んでいく町。 またね。


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いくつもの灯台

2012年12月24日 | 旅行

三重県鳥羽に行くので、ちょうど図書館で借りていた トーベ・ヤンソン作 「ムーミンパパ海へいく」 をカバンに入れました。 
ムーミンパパが灯台に移り住むお話です。

ホテルの図書室には、この前読みかけた本が、ついていたアンケートはがきを途中のページに挿んだまま、並んでいました。
竹下 文子作 「霧の灯台 (黒ねこサンゴロウ 5)」。
灯台守とサンゴロウというふたりのネコの、やさしくせつない物語です。

 


窓の外には、とんびが気持ちよさそうに舞っていて、水面に影を見せる魚の群れを追いかけ、白い鳥と黒い鳥の群れが飛び交っていました。 (中央左の白い点々は、海面で羽を休めているカモメたち)
右からやってくるフェリーの向こうには、突堤の先に小さな灯台があり、夜は澄んだ緑色の光を投げかけます。



水平線の中ごろに、かすんだ島が見えるかな。 それが、ここから約14km先にある神島です。
小さな灯台の手前にあるマリンターミナルから、定期船で約40分。
途中、どっぶん、だっばん、波にもまれながらいってきました

日本の離島、アジア、ヨーロッパ、どこで乗っても、船出の度にドキドキします

次回、もうひとつの灯台に出会った、この島の風景を紹介したいと思います。 


どうぞ、和やかなクリスマスをお過ごしくださいね
Happy Xmas!

                     かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/
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絵本で見た場所へ

2012年12月12日 | 旅行
先週日曜日の晩から一日、なごやでも雪が降り、しんしんと冷え込みました。
暖房のついていない部屋の息は白く、ほんとうに冬がやってきたんだなぁ。と、はっとします。
 

その前の週末に、岐阜県の峠を車で走っていて初雪にあいましたが、それは固くてちいさな粉雪でした。
それから一週間、重たいシャーベットのような雪が庭を白くしてしまうなんて、ほんとうにあっという間

みなさんも冷えないように、足元、首元を暖かく過ごしてくださいね。


今日は、どこかなつかしい、雪の翌日の、岐阜県馬籠の情景を書きとめたいと思います。

小学生の頃、夏の課題図書になっていた絵本には、この宿場の坂を馬で越えた作者の、力強い画が載っていました。
そのページがどうにも印象的で、江戸時代に旅人でにぎわった山の街道ってどんなとこだろう。と、思ったままに月日は流れ、先週ようやく時を得て、行ってみることができました。


その歴史をざっと調べると、

1600年の関ケ原の合戦で勝利をおさめた徳川家康が、交通網の整備に着手し、先ず東海道、続いて中山道と進めていった。

本州の中部山岳地帯を縦断し、木曽を通っていたことから「木曽路」とも「木曽街道」とも呼ばれる中山道(なかせんどう)は、江戸日本橋を起点とする京都まで約530kmの道程で、ここには69の宿場が設けられた。

その内の馬籠宿は、板橋を1番とする43番目にあたり、江戸からの距離は333kmほど。
道路が、急な山の尾根に沿って、南北に貫通している。

と、あります。


入り口は、坂の上下にあったので、今回は上から出発しました。

今はきれいに敷かれている石畳ですが、それでも急な坂なので、足元にはかなり注意がいります。
当時は、長い道程で疲れも出たでしょうし、たくさんの荷物を運びながら江戸から京都までなんて、とうてい想像を越える命がけの旅だ




途中、1872年にこの地に生まれた島崎藤村の記念館を過ぎ、ずいぶん下りてきました。
次の写真の突き当りを左に折れ、その角を振り返ったのが後の写真です。
道路を直角に二度折り曲げ、石垣を築いたこのカクカクを「桝形」といい、敵にストレートに攻め込まれにくくする軍事目的があったそうです。


 




坂下に着くと、現代はそこに、バスターミナルや立派なお土産屋さんが並んでいました。
地元の農産物を売るお店で、柿や林檎や(どちらもほんとうに甘くておいしかった)、二十日大根を買って、また来た道を上ります。
三時半ごろでしたが、日は黄色く、そっと撫でるほどに傾いてきました。




これを撮っている横で、おやき屋さんの店頭の蒸し器が、湯気をほかほか上げていました。
ふっくりした野沢菜おやきをひとつ、奥のテーブルで、ほうじ茶とお漬物を添えてもらって、ふぅーふぅーといただきました。

写真のななめ右手には小さな広場があり、そこから、半分ほど雪をかぶって、ゆるく輝く恵那山が見渡せました。
今の一瞬は、かつて往来の盛んだったこの道の、長いながい歴史のつづき。

角のむこうから灰色の子猫がやってきて、足元で伸びをしてから、また路地へ消えていきました。


元の場所に戻ってくると、棚田をオレンジ色に漬しながら、夕陽が山際に沈むところでした。 
それはどんどん赤くなり、道を横切る柴犬と頬かぶりの女のひとも、いっしょに染めていきました。

つーんと冷えてきたので、車に引き返してドアを閉めたら、後ろの座席に置いていた五平餅の包みから、クルミと胡麻とお醤油の、やわらかくてこうばしい匂いが立ち込めていました。


                     かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/
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瞑想の入り口

2012年12月08日 | こころ
こんにちは。 
あっという間に12月、寒さも本格的になってきましたね。
庭を温かな赤や黄色に彩っていた欅やまゆみ、アプリコットの木たちも、木枯らしに葉を散らし、冬の準備に入ろうとしています

わたしは、11月後半に10日間のヴィパッサナー瞑想コースに参加してきました。
携帯やパソコン、本、考えを書き留める筆記用具、音楽や会話。
そういう日常を取り囲むものいっさいから離れた修行生活は、わたしにとってすこおし死に近い場所にいるようでした。

途中、これまでの心の習慣を突破するのに忍耐が必要な場面もありましたが、後になってみると、そのおかげで、本や対話から頭で理解していたつもりのことに、新たな感覚として出会うことができました。

そこで、わたしの個人的な体験でのインパクトを記してみようと思います。

まず、ずっと根源的な課題だった、物事に反応して、渇望や嫌悪からどうにかしようとするのを止めること、に向き合えた気がします。


そのためここでは、反射的に感情に突き動かされる前に、注意深く、心の反映による体の「感覚」に意識を向けます。
たとえば、肩に力が入ったり、ドキドキしたり、胸がキューッと締め付けられるようだったり、安らかな時なら、もっとささやかなこしょこしょと細胞が息づいているような感覚だったり。。と、さまざまです。

次に、それらを平静さを保ったまま、どんなふうに、どんな強さや、どんな範囲で移ろっていくのかを、ひたむきに観察します。

この時、すべての現象は生まれては消える変化の一過程だと知り、たとえ観察がうまくいかない場合でも、がっかりせずコントロールもせず、只あるがままに受け止めていきます。


わからないことがあっても、ムリにわかろうとはしません。
なぜなら今のじぶんは、「本来は無限の能力を備えている人間という存在の、開発中の今この地点での人間」だから。
開発が進んだら、またわかることもあるかもしれません。

そんな、いらだったり、焦ったり、はがゆくなってしまいそうな時こそ、もうひと踏ん張りするチャンス
それによる痛みやぞわぞわなどの、体に現れた感覚をちゃんと見定めた後で、必要なら、判断や対処をします。
ちょっとリフレッシしてくるとか、姿勢をずらして作戦変更の対策をとるとか。

うまくとか、わかるとかじゃなく、大事なのは、「平静さを持って、気づいている」こと

こうして見定められたものは、やがて、去ったり展開するなどして、なんらかの変化を起こしていくものだから。


でも、これを集中して続けていると、とりとめもない同じことの繰り返しに感じ、特に初めのうちは、「こんなことをしていて、なんになるだろう」と、いつものクセで効率のいい(と思っている)ことをしたくなりました。 

ここで普段なら、目に見えてわかりやすい(掃除をしておこう、あれをこっちに動かしておこう、そそくさ。。のような)行動に出てしまうのですが、修行中はそうはいきません。


そのおかげでした。 
山あり谷あり観念して、このもどかしさを耐え忍んだ先に、砂漠のオアシスというか、ここがオアシスになったというか、ぽっかり、別次元の平和にいるのを感じました。

これは、よく馴染んだ懐かしい感覚でもありましたから、そこに通じる道はきっといくつもあるのでしょう。
どちらにしても、新しい具体的な回路が、ひとつ目の前に開けたことは確かでした。

その時、自分の体が自分のものでなくなり、宇宙に溶け込んでひとつになっていくような、また、これまで動かないと思っていた地面がむっくり起き上がって動き出すような、ふしぎな畏怖と軽快さを覚えました。

本当の意味での効率もまた、理解していた範囲を越えたところにありました。
そして、出会った時は、「ああ、知っていた」と思い、ムダがなくなって救われた気がしました。


こんなふうに、心を研ぎ澄ましてひとつの道を根気よく辿っていくうち、思う通りにならないことにジタバタせず、自然の摂理にのっとった「今」につながっていかれるのでしょう。

荒立つ自我も、吐息のように細やかな感覚も、ひとつひとつ丁寧に抱擁し続け、在ることをゆるし、涙のこぼれる「今」に調和していく過程は、じぶんの中から愛を引き出し、隅ずみに行き渡らせることでした。


さて、もう10日どころかずいぶん長いこと離れていたような気持ちで、そおっと日常に帰り、去年のように立川昭和記念公園の銀杏並木を歩きました。
そこには、一見前と変わらない黄金色の道がありましたが、いちょうもわたしも一年分の変化を経てまた出会えていることに、これまでになく、貴重な思いがわいてきました。

この瞑想を続けてみようと思います。

  

(公園の中、思わず息を呑んだ優美なもみじ。 たくさんのカメラマンに囲まれていました。) 


                   かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/
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