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2019惜別の人…アフガンで「いのちとの戦い」・・・井戸を掘り。灌漑で大地を潤した男・・・ドクター中村哲

2019-12-25 | 惜別
2019年12月4日、中近東の国アフガンスタンNGO(非政府組織)活動家の医師中村哲さんが何者かに銃撃されて亡くなられました。
ニュースではアフガニスタンの東部ナンガルハル州の州都ジャララバード近郊で、仕事で現場に向かう途中、武装集団に銃撃され負傷、病院に収容、その後亡くなったことが伝えられています。

・12月7日、アフガニスタンの首都カプールの空港で追悼式
 中村哲さんのご遺体の収まった棺を担ぐガニ大統領。
・12月11日、生まれ故郷の福岡でご家族とNGOベシャワール会の合同告別式が行われました。

・12月23日、政府は旭日小授賞、内閣総理大臣感謝状を贈ることを決定。・12月27日、首相官邸で授与式を。

・2020年1月25日、福岡市で「お別れの会」を。
★福岡県では「福岡県民栄誉賞」を授与を検討。
★福岡市では「福岡市名誉市民」の称号を贈る方針。


中村哲・・・医師、NGOベシャワールの会現地代表。1946年福岡県生まれ、母の兄(伯父)が若松港の沖仲士の組長の祖父を主人公にした小説「花と龍」を書いた火野葦平。プロテスタント系バプテスト派のキリスト教徒。1973年九州大学医学部卒業、大牟田労災病院勤務、1982年日本キリスト教海外医療協力会から派遣医(任期3年)の話が持ち込まれ、1983年パキスタンに避難したアフガニスタン難民の医療実態を下見、親しい友人知己により1984年NPO法人BMS(べシャワール・メディカル・サービス)が福岡で発足。1984年赴任、以来今日まで。

医療活動の最初はアフガニスタンに近いパキスタンのベシャワールの町に限られていましたがソ連軍の撤退とともにアフガニスタンにも入っていくようになります。山奥深く無医地区を回ります。電気もない水道もないガスもないアフガニスタンのことを知るようのなります。そして2000年夏に襲ったユーラシア大陸中央アジア一帯の地球環境の激変ともいうべき未曾有の大旱魃(かんばつ)。80%が山岳地帯のアフガニスタン、年間降雨量は日本の10分の1、極端に乾燥した国。大旱魃は農業を壊滅状態に。
中村医師のいのちとの戦いがはじまります。病死より飢死からの脱出です。「まず生きることから」・・・自給自足農業のための井戸掘リが始まりました。まともな飲料水がないと赤痢が蔓延するそうです。。砂漠にはむかしからカレーズという縦井戸を地下水路で繋いでいく用水方式があります。ソ連軍の侵攻と内戦で破壊されたカレーズの再生にもかかります。
2005年までに1400本の井戸を掘ったそうです。井戸掘りは近代的な器械を使ったものではなく古来からの伝統技術で、そうしないとあとから彼らだけのメンテナンスができないからだそうです。井戸掘りと並行して用水路の開削を。蛇篭など日本でもむかし見られた技術を導入して。用水路に沿って柳、ユーカリの木を植えます。用水路の総延長は25㎞

アフガニスタン・・・地図で見るとパキスタンはじめ6国と国境を接しています。国土は日本の1.7倍、人口2800万人、80%が農業、10%が林業、遊牧蓄業。国土の80%以上が山です。しかも国土の真ん中に最高峰ティリチ・ミール(7708m)のあるヒンズークッシュ山脈が横たわっています。年間降雨量は日本の10分の1、6~7000mの高峰の万年雪が夏に融けて谷間を流れてわずかな農地を潤しています。

19世紀末イギリスの植民地に、
1978年ソ連軍が侵攻、そして
1989年ソ連軍撤退からタリバンの台頭、タリバン政権と規制勢力との衝突、世紀の大旱魃、国連決議の経済制裁、
2001年9月11日のアメリカの同時多発テロからアメリカはアフガニスタンをオサマ・ビンラディン率いる悪の枢軸として爆撃を開始。
西欧列強の経済封鎖、このへんのところはドロドロしていて魑魅魍魎ですので省略。
アフガニスタンの田舎は中央政治とまったく関係ない社会。旱魃と経済封鎖、破壊された設備、地雷原、無差別爆撃。

人々はそれでも生きていかねばなりません。
西欧列強に翻弄され内戦を繰り返してきた悲しい国家です。
さしたる資源も生産もない国がなぜ・・・わかりません。

中村医師はタリバンでもイスラム教徒でも過激派でもなく、敬虔なクリスチャンです。むしろ古風な九州人気質、若松の沖仲士の親分の祖父の血を継いだ侠気の人のようです。イスラム教の国アフガンで異教徒で異民族で民衆の中に入っていける人、目線を同じに置ける人、それが彼らにわかったでしょう。

2001年10月、衆議院で参考人として出席し
自衛隊派遣が取り沙汰されているようだが,当地の事情を考えると有害無益である」と陳述します

★発言の取り消しを求める国会議員がいたそうですが拒否したそうです。 

戦争をしない国の日本人として見られてきたそうです。そのごの情勢はそうではなくなったようです。日本も戦争を仕掛ける国に追従して協力国になったのです・・・中東海域への自衛隊派遣。
眼には眼を」の国です。自分の妻や子どもが無差別爆撃(ピンポイント攻撃なんてありえません)でやられたら復讐を誓うのがコーランの教えだそうです。それでも彼はこの仕事を続けました。

1988年外務大臣賞、2002年若月賞(長野県佐久総合病院名誉院長若月俊一記念)、2002年沖縄平和賞(沖縄県主催)、2003年マグサイサイ賞、2004年イーハトーブ・宮沢賢治賞(岩手県花巻市主催)、2016年旭日双光章(叙勲)、2018年アフガニスタン国家勲章・・・など26の受賞。2019年アフガニスタン名誉市民権授与

※コメント欄オープン。


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8 コメント

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言葉がありません・・・ (のり)
2019-12-25 16:37:49
まさに「地の塩になれ」とのキリストの教えそのものの生き方をされた・・・と思いますが、余りにも理不尽でむごいです・・・ 中村医師の遺志を受け継ぐ若い人たちには無理をしてほしくないと思う一方、アフガにスタンで最も必要とされている活動が打ち切られることなく続いていってほしいと願う矛盾が悔しいです。
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また・・・・・・・ (こきおばさん)
2019-12-26 06:49:40
 「中村哲」氏を失ったことが、私にとって今年一番の悲しいことでした。今また、読ませて頂きながら涙を流しています。

 中村氏の遺志はきっと受け継がれていくことでしょうが、今までのようにはいかないこともあることでしょうね。
私たちは大きな宝を失った!と感じています。

 中村氏には遠く及ばないかもしれませんが、りつ子さんにも同じ姿勢を感じます。一度会って頂いておいて良かった!と思っています。
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まさに、国家の損失です! (highdy)
2019-12-26 10:02:59
私は、先生には会ったこともなく特に何の関りもない方ですが、お名前は存じていました。
アフガニスタンにとっても、日本にとっても素晴らしい人材なのに、本当に残念なことです。まさに国家の損失です。
心よりご冥福を祈ります。
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 中村医師 (ころん)
2019-12-26 16:27:32
皆さまと同じく国家世界の損失です・
いつも笑顔で・その奥にはご家族の応援があったはずですし。

先に埼玉赤十字病院コンサートありました・
部長のお言葉にも先生を偲んでくださいと・
お話ありました。
涙あふれます。
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言葉がありません (のりさんへ・・・)
2019-12-31 21:22:22
何故・・・といっても・・・ワカリマセン・・・
水を求めて・・・井戸を掘る・・・命を支え農業用水になり命を支える。
この行為鵜をわかってくれる人とわかってくれない人がいる。
中東諸国の悲劇です。
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何故この人が (ころんさんへ・・・)
2019-12-31 21:33:47
医者であり、人の病を治して、井戸を掘って命の水を得る・・・尊ア立派な人が・・・残念です。

コメントありがとうございました。
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私も国境のない医師団だと思っていました。 (highdyさんへ・・・)
2019-12-31 21:48:32
医師活動のほかに、灌漑活動をしていたと知ったのは、今から数年前のことです。
政治的な人ではなく、ただ人としても指名の燃えていたのでしょう。

残念です。

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残念です (こきおばさんへ・・・)
2019-12-31 21:51:41
憲法九条が守ってくれるといってましたが、アフガンの人にとって日本人は欧米諸国の中であるという認識が芽生えたのでしょうか。
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