比企の丘

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惜別・・・半藤一利さんの原点・・・15歳の夏・・・空襲・機銃掃射・敗戦

2021-01-15 | 惜別
半藤一利さんが亡くなられました。90歳・・・天寿でしょうか。
1930年東京都向島区(現墨田区)の生まれ。父は長岡藩士を祖とする新潟県出身、運送業、区議。旧制東京府立第七中学、茨城県立下妻中学、新潟県立長岡中学、旧制浦和高等学校、国立東京大学に。ボート部に属し、知己を得た作家高見順の紹介で1958年文藝春秋新社に入社。編集者、編集長、専務取締役、相談役、1995年退社。奥さんは夏目漱石孫の麻莉子さん。

1945年、日本の戦局がいよいよ切羽詰まったころの15歳・・・旧制中学3年生。東京都向島、空襲の炎に包まれ逃げまどい中川に転落、縋りつく人を蹴飛ばしようやく岸の上に這い上がり、大人にもらった死人の靴を履いて自宅に。疎開した茨城県下妻では米軍戦闘機の機銃掃射に追いかけられ(飛行機の操縦席で米兵がニヤリと笑っていたのが見えたそうです)、さらに疎開した新潟県長岡市の軍需工場で働いていたとき日本敗戦の詔勅を聞き、グレてやると工場の裏で思いっきり煙草を吸った・・・半藤一利の原点は・・・ここから生まれた?

文藝春秋に入社早々、当時の人気作家坂口安吾の担当になり、これまで正史といわれた歴史に対する見方、考え方を教えられ、続けて「連合艦隊の最後」を執筆した元軍事記者の伊藤正徳の担当になり、戦争体験者からの取材を手伝い証言の真否を検証することを学んだ。
これらの経験から培った取材精神がその後の執筆活動の素地になっており自らを「歴史探偵」と呼んでいます。

1965年「日本のいちばん長い日」出版・・・社内で太平洋戦争と昭和史の勉強をはじめ「太平洋戦争を勉強する会」という勉強会を立ち上げ、元軍人、戦争体験者を呼んで話を聞く会を続け、そこで1963年8月の雑誌「文藝春秋」に「日本のいちばん長い日」という大座談会の記事を掲載。さらにみんなで取材を重ねて半藤さんがまとめ上げます。初版本は大宅壮一編となっています(半藤さんが一社員であった、営業上の理由・・・大宅壮一が当時の著名のジャーナリストであった)。それから30年後の1995年の再販では大宅壮一の序文ではじまり著者は半藤一利となっています。

大日本帝国の消滅・・・太平洋戦争ポツダム宣言受諾・・・日本敗戦・・・天皇陛下の終戦の詔勅・・・
これらを認識するうえで貴重な資料ともなるドキュメンタリー小説です。
※写真は1月13日の朝日新聞朝刊から。


半藤一利さん・・・
日本人の歴史・・・戦争に負けたこと・・・いろいろ教えてくれた・・・考え方を教えてくれた・・・
わたしたちも・・・そのことを・・・語り継いでいきたい・・・



わたしの書棚にある半藤さんの本です。右から・・・
★「ノモンハンの夏」文藝春秋1998年初版・・・終戦直前の満州で戦車隊小隊長であった盟友司馬遼太郎の永遠のテーマであった。ある事情で司馬さんが書けなくなったことから、半藤さんが筆を執ったのではないか・・・と思う。《参考ノモンハンのことのブログ⇒2006年9月16日 2018年9月15日 
★「昭和史 1926~1945」平凡社2004年初版・・・
★「日本のいちばん長い日」文藝春秋1965年初版・・・《参考》⇒2018年8月14日 2015年8月31日
★「あの戦争と日本人」文藝春秋2011年初版・・・コンパクトに昭和史のポイントを押さえて語っています。読んでもらいたい本です。
  第八章 特攻隊と日本人・・・より、結びの言葉です・・・
ほんとうに若い人たちは純真に、本気でこの国を救おうと死んでいきました。海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍・・・この人たちの鎮魂のために、いまわたくしができるのは、この歌を歌うことのほか何の術もない、ほかに何ができるのでしょうか。
  第十章 八月十五日と日本人・・・より、結びの言葉です・・・
戦陣ニ死シ職域ニ殉ジ非命ニ斃レタル者其ノ遺族ニ想ヲ致セバ五内為ニ裂ク(中略)遠い敗戦を思う日がめぐってくると、終戦の詔勅のなかのその文言をぶつぶつ経文のように唱えて起きるのがわたくしは朝のしきたりになっています。今年もまたその八月がきます。死者は私達が思い出すかぎり生きている。戦後六十五年の八月の感想を問われれば、わたくしはそう答えることのほかに言葉はありません。


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
死去を悼む声・・ (縄文人)
2021-01-15 18:01:06
 我が家では日経を取っていますが、新聞3面記事で1/4のスペースを取って2日間・連日紹介された。
 戦史を徹底的に調べ尽くして、実証主義であられた。そしてあくまでも内容は中立を貫いた作家であられたようです。
 奥さんの半藤末利子さんは夏目漱石が祖父にあたり、この辺から作家系図にしても凄いと思った。
 挙げられた半藤さんの著書を以後ジックリ捲ってみたいと思います。
 ただいま夏目漱石等を題材として「ミチクサ先生」新聞連載中て楽しみながら読んでいます。
  比企野さんの勉強家には脱帽です。
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向島 (縄文人さんへ・・・)
2021-01-15 19:25:40
王貞治さん、荒川博さんとも向島のよしみで交際のあった方のようです。
「あの戦争と日本人」に・・・空襲で逃げまどって中川に落ちてしがみつく人を蹴飛ばして必死で岸に這い上がった・・・ことが書いてあります。
下町生まれの芯の通った人でした。
理屈ではなく体験と綿密な調査で自分の考えを伝える人でした。
昭和の人でした。
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悼 半藤一利 (oko)
2021-01-15 22:24:30
半藤一利氏のご冥福をお祈り申し上げております。
上記にご紹介の映画「日本のいちばん長い日」を初日に鑑賞し、2015年08月20日のブログに綴りました。
「日本のいちばん長い日」 https://www.youtube.com/watch?v=H7Xll3YwcxU 
はNHKの紹介より上記のアドレスに保存して度々見ておりましたが、先ほど改めて鑑賞して半藤一利氏をお偲び申し上げました。

又、「聖断」を購入して手元あります。
「昭和天皇のそばにいた男」として千葉県出身の尊敬する「鈴木貫太郎氏」を偲んでおります。

本当に惜しいお方が無くなりましたね。合掌
ご紹介をありがとうございました。
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教育の恐ろしさ (こきおばさん)
2021-01-16 07:03:46
 「ほんとうに若い人たちは純真に、本気でこの国を救おうと死んでいきました。」
 半田さんが書かれたこの部分、当時の軍事教育でここまで徹底して叩き込まれた当時の若者。命より国が大事だと思わせられたこと、改めて教育の恐ろしさを感じています。
戦争体験者が減り続けていく中で、このページは一人でも多くの人に読んでほしいとツイートさせていただきました。
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鈴木貫太郎 (okoさんへ・・・)
2021-01-16 09:31:17
この人がいなかった、日本はさらに数100万人の人が死に、国土は焦土と化し、今以上の属国になっていたでしょうね。
韓国と同じように南北に分かれた分断国家になっていたかも。
ポツダム宣言を受けるか受けないか、3対3にして天皇の聖断を受けるように持って行った、鈴木貫太郎の御奉公でした。
コメントありがとうございました。
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ほんとうに若い人たちは純真に・ (こきおばさんへ・・・)
2021-01-16 09:41:43
 「ほんとうに若い人たちは純真に・・・」
内心は・・・若い人を無駄死にさせた指導者たちを糾弾する言葉のような気がします。
半藤さんの悲痛な胸のうちが伝わってきます。、
旧制中学4年生、一つ上、二つ上の先輩たちは特攻隊に志願させられて、戦場に行きました。
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