比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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群馬県上野村・・・日航墜落の御巣鷹・・・慰霊の園を訪ねて

2011-09-24 | 道をゆく 関東
西上州上野村・・・県庁のある前橋より長野県のほうが近い村。人口1300人、人口密度が県でいちばん小さい村。可住面積7.0%。日本航空墜落事故のあった村で全国的に知られた村です。

国道299号線楢原トンネルの手前で中越という集落に入ります。神流川を渡って上野中学校の脇から山のほうに少し上がると日航墜落事故「慰霊の園」があります。

慰霊の園の前の広場です。向かいは山と川と段畑です。

日航123便墜落事故・・・1985年8月12日、群馬県と長野県の境の山岳地帯で起こりました。墜落現場は三国峠付近、ぶどう峠付近ともいわれましたが当初は地点が特定されなかったようです。そのご御巣鷹山(1639m)と報道されて、次第にそれが定着しましたがじっさいには高天原山(1978m)の群馬側の尾根であることがわかりました。いずれにしても御巣鷹山も高天原山も三角点はありますが国土地理院の地図には山名が記載されていません。のちに上野村村長により「御巣鷹の尾根」と名づけられます。

さて「慰霊の園」です。
1986年、遺族、日本航空、上野村からなる財団法人慰霊の園が建立しました。

520名のかた(胎児を含めると521名)の慰霊塔です。ピラミッド状の先8kmが墜落現場。
その奥に身元確認不明者123名の納骨堂があります。

ご冥福をお祈りいたします。

この事故と関係ないことですが日本航空はそのご経営破綻を起こします。
これもまたこの事故とは関係ないことでしょうが山崎豊子著「沈まぬ太陽」が週刊新潮に1995年から10999年まで掲載されてたいへん評判になりました。
この2つのことについては省略します。

さて「慰霊の園」をあとにして信州方面に向かいます。堂所というところで国道299号線と県道124号線に別れます。124号線をぶどう峠方面に行ってみたいと思います。
このあたり江戸時代白井関があったそうですが、いまは小さな石碑があるだけだそうです。124号線を少し進むと3つの川の合流点で三岐という地籍があります。
「御巣鷹の尾根」への標識があります。車道終点から1.3km、20分くらいだそうです。
今回は「御巣鷹の尾根・昇魂の碑」はパスして真っすぐ信州方面に進みます。

気づいたことがあります。「慰霊の園」のアタマにに・・・〇〇の・・・という語句がないことです。何のことかわかりません。日本航空という会社の航空機が起こした事故ということがぬけています。日本最大の交通機関の事故ともいうべき歴史から日本航空という語句を消したかったのでしょうか。

慰霊の園の近くに国指定重要文化財「黒澤家住宅」があります。建坪80坪、総2階建。御巣鷹山の名前からわかるようにここは天領、十石峠の名前は1日10石の米が信州から流通したことから呼ばれました。豪農の屋敷から江戸時代の山村経済が見えてくるはずです。今回はパスしました。



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