比企の丘

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天空の国ネパールの北「ドルポ」の人・・・ヒマラヤの天才画家テンジン・ヌルプに会った思い出

2017-02-05 | 道をゆく インド・ネパール
友人の旅したネパール紀行の写真をブログアップしてるうちに、2009年11月、ヒマラヤの天才画家テンジン・ヌルプに会ったことを思い出しました。
テンジン・ヌルプ・・・ ネパール国の西の北部、ヒマラヤ山麓、ドルボの人。チベット仏教の僧侶、画家。
場所はネパールではなくて群馬県南牧村南牧村活性化センター。「テンジン・ヌルプ絵画展」です。

会場でテンジン・ヌルブさんと握手、言葉が通じないので仏教の合掌で挨拶。
テンジン・・・チベット語で「仏様の教えを守る」という意味だそうです。

ドルポってネパールのどるぽのあたりだろう?・・・ネパールの北西、中国チベットに近い。yahoo地図検索ではわからなかった。ガイドブック「地球の歩き方」にも情報のない地区です。カリ・ガンダキのジョムソン街道からさらに西のダウラギリの山塊の5000m級の峠をいくつか越えていく地域です。人の住む標高は平均4000m。1994年に外国人に入域解禁。河口慧海(1866~1945年、仏教僧、探検家)もカリ・ガンダキ川流域のマルファ村から北に進むコースをドルポにコースを変えてクン・ラ峠を越えてチベットに向かいました。

テンジン・ヌルプの絵画集を買いました。彼の活動(Dolpo Local Help Association・・・教育支援組織)のサポートに。

絵画集を観ているうちにかつて交易を生活の糧にしていたネパールのヒマラヤの麓の人たちの姿が見えてきます。
カリ・ガンダキ川の谷間のタカリ―属の人たちも、エベレストの麓のクーンブ谷のシェルパ族の人たちも、ドルポの人たちも中国、チベット、インドとの交易で栄えてきた民族でした。人の足とヤクの背中による物流が終わった今、人々はどうしてるでしょう。


ヤクの背に荷を乗せたキャラバンがチベット目指して深い渓谷の岩壁の路を行きます。

河口慧海も通った?・・・雪の峠道をキャラバンは進みます。

テンジン・ヌルプのふるさと・・・西ネパール・・・ドルポ・・・ティンギュー村。


テンジン・ヌルプ師に関係するブログ。興味のある方は・・・こちらクリック
河口慧海・・・(1866~1945年)・・・僧侶にして探検家、明治時代にインドからネパールを経由してチベットに。仏教学、経典の翻訳、旅行記など。

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