1981年からはじまった中国残留孤児来日調査・・・もう27年になるのですね。その間の来日者2815人、身元判明者1281人(最高は1986年の226人)。1534人が身元がわからなかったようです。81年の第1回来日調査は47人(判明者24人)、山本慈昭師の尽力がありました。
ついに今年は3人になりました(9月26日厚生労働省発表)。過去最低の人数だそうです。もはや孤児というのには忍びがたい高齢に達している人ばかりになり年々手がかりも少なくなっているようです。3人は11月17日来日、28日まで滞在。
今回の3名、李義華(当時2ヶ月)、秦永珍(当時10歳)、康玉芹(当時4~5歳)、このなかで新聞にお二人のかたの記事が載っていましたので切抜きを取っておきました。
秦永珍さん・・・新聞に掲載された秦さんの写真を見た従姉妹のかたが秦さんのお母さん、自分たちの母親のの面影をダブらせて似ているという手がかりになった。
「家の前に道路があって、その先に広い海があった。家の裏には線路が通っていた」
という秦さんのふるさとの記憶が従姉妹の記憶につながった。
「ふるさとの海」忘れなかった・・・言葉が出ません。
秦さんは8歳で開拓民として渡満、45年8月秦さん以外の家族は銃撃により全滅。
康玉芹さん
敗戦時(4~5歳)、オンドルの上で死んでいた母親のそばにいたのを養父母に引き取られたようです。
盲目の義母の世話と料理、洗濯、火事をすべて任され、学校にも行かなかった。
自分の名前の書き方は来日することが決まってから家族に教えてもらったようです。
「人生無駄じゃなかった」・・・この言葉にホッとします。
お二人のことの新聞切抜き、コピーは読めるような大きさにしました。
どう考えてイイのか私にはわかりません。
山崎豊子の小説「大地の子」に出てくる主人公陸一心の妹(貧しい農家の養女になりやがて病のため死んでしまう)の姿が浮かびます。現実にはいろいろなドラマがあったことでしょう。
1945年「赤い夕陽の満州」にいったい何があったのでしょう。
満蒙開拓団の歴史は「負の遺産」でしかありません。戦争というものは理不尽なものです。勝った側も負けた側も「自虐史」しか残りません。
ついに今年は3人になりました(9月26日厚生労働省発表)。過去最低の人数だそうです。もはや孤児というのには忍びがたい高齢に達している人ばかりになり年々手がかりも少なくなっているようです。3人は11月17日来日、28日まで滞在。
今回の3名、李義華(当時2ヶ月)、秦永珍(当時10歳)、康玉芹(当時4~5歳)、このなかで新聞にお二人のかたの記事が載っていましたので切抜きを取っておきました。
秦永珍さん・・・新聞に掲載された秦さんの写真を見た従姉妹のかたが秦さんのお母さん、自分たちの母親のの面影をダブらせて似ているという手がかりになった。
「家の前に道路があって、その先に広い海があった。家の裏には線路が通っていた」
という秦さんのふるさとの記憶が従姉妹の記憶につながった。
「ふるさとの海」忘れなかった・・・言葉が出ません。
秦さんは8歳で開拓民として渡満、45年8月秦さん以外の家族は銃撃により全滅。
康玉芹さん
敗戦時(4~5歳)、オンドルの上で死んでいた母親のそばにいたのを養父母に引き取られたようです。
盲目の義母の世話と料理、洗濯、火事をすべて任され、学校にも行かなかった。
自分の名前の書き方は来日することが決まってから家族に教えてもらったようです。
「人生無駄じゃなかった」・・・この言葉にホッとします。
お二人のことの新聞切抜き、コピーは読めるような大きさにしました。
どう考えてイイのか私にはわかりません。
山崎豊子の小説「大地の子」に出てくる主人公陸一心の妹(貧しい農家の養女になりやがて病のため死んでしまう)の姿が浮かびます。現実にはいろいろなドラマがあったことでしょう。
1945年「赤い夕陽の満州」にいったい何があったのでしょう。
満蒙開拓団の歴史は「負の遺産」でしかありません。戦争というものは理不尽なものです。勝った側も負けた側も「自虐史」しか残りません。
※コメント欄オープン。
今年は22日にうかがいました。帰り、マリオンでしていた横田めぐみさんの写真展をみることができ、やっと署名と募金ができました。
ヒキノさん、良いお年を!
私は満州生まれで、敗戦の時は9歳でしたから。
10歳の時引き揚げてきましたが、たまたま私たちは新京(現在の長春)に居たのと、両親や親族と生活していましたので、帰れたのですが、奥地に送られた(それも国策で)開拓団の人たちは、言葉にならないほど、悲惨な経験をしているのです。
そう、戦争はいつの時代でも、どんな理由や理屈をつけても、何も得られないばかりか、この世で最大の犯罪だと思います。
「モウ戦争のことは」とか「今更戦争だなんて」と言う人がいますが、こうして未だに戦争を引きずっている人たちが居る以上、戦争はまだ終わっては居ません。日本によって悲惨な目に合った かって戦場だったアジアの国の人たちにも、戦争は終わっては居ません。このことを決して忘れてはいけないんです。
みさんの人形にこめられた気持ちもきっと通じたと思います。
ありがとうございました。
「反戦」「平和」は声高に訴える必要はありません。いまの平和が続くようにやっていきたいです。
そして戦争を知る人が戦争ってこんなに惨めなんだよって次の世代に伝えていきたいです。