比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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大地の子はいま・・・中国残留孤児来日調査・・・今年は3人

2008-12-23 | 語るべき責任 満蒙開拓とは何だったのか
1981年からはじまった中国残留孤児来日調査・・・もう27年になるのですね。その間の来日者2815人、身元判明者1281人(最高は1986年の226人)。1534人が身元がわからなかったようです。81年の第1回来日調査は47人(判明者24人)、山本慈昭師の尽力がありました。

ついに今年は3人になりました(9月26日厚生労働省発表)。過去最低の人数だそうです。もはや孤児というのには忍びがたい高齢に達している人ばかりになり年々手がかりも少なくなっているようです。3人は11月17日来日、28日まで滞在。

今回の3名、李義華(当時2ヶ月)、秦永珍(当時10歳)、康玉芹(当時4~5歳)、このなかで新聞にお二人のかたの記事が載っていましたので切抜きを取っておきました。

秦永珍さん・・・新聞に掲載された秦さんの写真を見た従姉妹のかたが秦さんのお母さん、自分たちの母親のの面影をダブらせて似ているという手がかりになった。
家の前に道路があって、その先に広い海があった。家の裏には線路が通っていた
という秦さんのふるさとの記憶が従姉妹の記憶につながった。

「ふるさとの海」忘れなかった・・・言葉が出ません。
秦さんは8歳で開拓民として渡満、45年8月秦さん以外の家族は銃撃により全滅。

康玉芹さん
敗戦時(4~5歳)、オンドルの上で死んでいた母親のそばにいたのを養父母に引き取られたようです。
盲目の義母の世話と料理、洗濯、火事をすべて任され、学校にも行かなかった。
自分の名前の書き方は来日することが決まってから家族に教えてもらったようです。
「人生無駄じゃなかった」・・・この言葉にホッとします。

お二人のことの新聞切抜き、コピーは読めるような大きさにしました。

どう考えてイイのか私にはわかりません。
山崎豊子の小説「大地の子」に出てくる主人公陸一心の妹(貧しい農家の養女になりやがて病のため死んでしまう)の姿が浮かびます。現実にはいろいろなドラマがあったことでしょう。




1945年「赤い夕陽の満州」にいったい何があったのでしょう。
満蒙開拓団の歴史は「負の遺産」でしかありません。戦争というものは理不尽なものです。勝った側も負けた側も「自虐史」しか残りません。

※コメント欄オープン。


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4 コメント

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Unknown ()
2008-12-24 10:48:06
今年は、秦さんの身元が判明されて本当に良かったです。12年位になりますが、お土産の一つになればと、友人と、和紙の小さな人形の飾りを作り、一時帰国された中国残留孤児の方たちにお持ちしてます。中国に残された日本人孤児の方、皆さんが日本人孤児と認定され、身元判明されることを願います!
今年は22日にうかがいました。帰り、マリオンでしていた横田めぐみさんの写真展をみることができ、やっと署名と募金ができました。
 ヒキノさん、良いお年を!
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もしかしたら・・・・・ (パワフルおばさん)
2008-12-24 21:56:01
実は私も もしかしたら残留孤児になっていたかもしれませんでした。
私は満州生まれで、敗戦の時は9歳でしたから。
10歳の時引き揚げてきましたが、たまたま私たちは新京(現在の長春)に居たのと、両親や親族と生活していましたので、帰れたのですが、奥地に送られた(それも国策で)開拓団の人たちは、言葉にならないほど、悲惨な経験をしているのです。

そう、戦争はいつの時代でも、どんな理由や理屈をつけても、何も得られないばかりか、この世で最大の犯罪だと思います。

「モウ戦争のことは」とか「今更戦争だなんて」と言う人がいますが、こうして未だに戦争を引きずっている人たちが居る以上、戦争はまだ終わっては居ません。日本によって悲惨な目に合った かって戦場だったアジアの国の人たちにも、戦争は終わっては居ません。このことを決して忘れてはいけないんです。
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み・さん・・・久しぶりです (み・さんへ・・ヒキノ)
2008-12-25 19:19:22
康さんの「人生無駄じゃなかった」という言葉。日本の支援者の温かい心が通じたのでしょうね。
みさんの人形にこめられた気持ちもきっと通じたと思います。
ありがとうございました。
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私が小学校のとき (パワフルおばさんへ・・ヒキノ)
2008-12-25 19:31:06
満州からの引揚者(当時そういってました)がクラスに必ず何人かいました。なんとか生きて帰った人たちです。のちに満州での生活など断片的に聞かされました。
「反戦」「平和」は声高に訴える必要はありません。いまの平和が続くようにやっていきたいです。
そして戦争を知る人が戦争ってこんなに惨めなんだよって次の世代に伝えていきたいです。
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