比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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五月の北安曇野・・・奥信濃のミステリアス街道・・・善鬼の伝説・・・青鬼(あおに)村

2017-06-20 | 古民家の風景
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・

5月28日、北安曇野・・・白馬山麓・・・白馬村北城(はくばむらほくじょう)・・・青鬼(あおに)。
標高680mの白馬盆地の底、姫川の畔から標高760m。青鬼沢の右岸の小さな河岸段丘の上の小さな集落。
そのむかし白馬山麓から鬼無里村を経て戸隠神社、善光寺様へ至る参詣道の途上の村でした。
       ※サムネイルの画像をクリックするとズームアップ、さらにクリックすると画面イッパイにズームアップ。

善鬼の伝説・・・奥信濃の青鬼(あおに)村(現白馬村)。
国の重要伝統的建造物保存地区に指定された14棟の古民家群・・・茅葺(鉄板被覆)、寄棟平入、平側兜造り。

集落の中央に一基だけ残されている・・・ガッタリ・・・水力を利用した猪オドシの原理・・・むかしの脱穀機です。

お善鬼の館」・・・1908年建造。2005年修復され地域の集会所に。この地を訪ねる人に解放され休憩所、資料展示され見学もできます。

茅葺、寄棟、平入、二階建て、兜造り。山を背にして全戸が南向き。江戸末期から明治初期の建造が多いそうです。
二階建て、平側を兜の正面のように切ったのは採光、通風を考慮。養蚕のためと思われます。
兜造りは幕末から明治初期にかけて急激に養蚕が発展した山梨、群馬、長野の古民家で見られます。
※撮影は5月28日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。

善鬼伝説・・・むかし鬼無里村の山奥に鬼のような大男がいて近隣の村々で悪事を働いていました。村びとが捉えて青鬼村の岩戸山の中腹にある底なし穴に閉じ込めたところ、抜け出した大男は悔い改め善行を重ねるようになったとか。村の北の山の中腹に「お善鬼様」を祭神とする青鬼神社があります。
青鬼の地名由来・・・ミステリアスな地名です。善鬼伝説と関係あるか? 村を流れる青鬼沢からとかいう説もあります。それでは「あおに」とは何か?「アボ」「アズ」「アゾ」・・・崩壊地を表す古日本語という説があります(キ・・・接尾語)。地形から考えてナルホド。そこから「青木」になり善鬼伝説と合わせて「青鬼」になった?想像です。
青鬼堂遺跡・・・縄文時代の遺跡・・・遺跡があることから判るように古い古い村です。
アクセス・・・大糸線白馬駅からタクシーで20分、信濃森上駅から徒歩1時間。




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