比企の丘

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冬の信濃路・・・東御市滋野の・・・江戸時代の相撲界のレジェンド・・・「雷電」の生家を尋ねる

2018-02-02 | 古民家の風景
信州上田の・・・六文銭の写真帳

1月12日、江戸時代、大相撲史上不世出の名大関「雷電為右衛門」のふるさと東御市滋野乙の「雷電生家」を尋ねました。
国道18号線牧家交差点から北に上る、県道74号線(浅間サンライン)別府交叉点から南に下る。

雷電為右衛門生家」東御市文化財史跡。1798年、雷電32歳のとき、50両を投じて実家を改築。
1984年老朽化のため復元。復元費2500万円(内600万円は当時の東部町、残りは寄付金)、完成後に東部町に寄付。
間口8間半、奥行4間、二階建て、小屋根がついいますが明治時代に入って養蚕のためつけたものと思われます。


典型的な農家の造りですが、通し土間に土俵が、2階に桟敷席があります・・・江戸時代に作られたのか?復元時に作られたものか?
※撮影日は1月12日。
雷電為右衛門(1767~1825年)江戸時代の大相撲力士。信濃国小県郡大石村字金子(現東御市滋野乙)の百姓関家の長男として生れる。17歳のとき江戸へ、21歳で関取に、197㎝、169kg、在籍21年、35場所、大関27場所、254勝10敗2分14預かり、1年2場所10日興業の時代に抜群の戦績、現役生命の長さ、横綱にならなかった力士の謎、「相撲界のレジェンド」です。

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