比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

北軽井沢から・・・沓掛道を通って・・・大笹の関所へ

2014-06-14 | 旧街道・峠道・旧宿場
さて6月1日、信州軽井沢から上州北軽井沢へ、県道235号線(むかしの沓掛道)を嬬恋村大笹のむかしの大笹関所跡に。

今年、新装なった大笹関所跡・・・といっても門だけですが。
国道144号線の脇、吾妻川の支流の鹿之籠川の御関所橋のそば、崖地を背に建っています。

最近まで明治時代に払い下げを受け保管していた方の寄贈により復元されたものが別の場所に建てられていました。

大笹の関所・・・江戸時代はじめ旅人の往来、生産物の流通のため日本各地の道路網が整備され、治安維持、流通監視のため各街道の要所に関所が設けられました。ここ大笹関所も信州善光寺、須坂、鳥居峠を越えて大笹、大戸、倉渕、高崎を結ぶ信州街道の要所として、1622年幕府の認可のもと沼田藩真田家が設置。1681年真田家お取潰しで幕府直轄となり以後200年、明治の時代まで続きました。
※この街道は上州側では信州街道、仁礼街道、信州側では大笹街道と呼ばれました。街道の呼称は東海道とか中山道とか幕府管理の五街道以外は統一されず、たいがいは上記の街道のように自分の立ち位置から目的地の地方名をいうのが多いようです。街道は1本道ではなく草津に抜ける草津道、沓掛(中軽井沢)に抜ける沓掛道、田代から地蔵峠を越えて滋野、小諸方面に抜ける道、鳥居峠を越えてから仁礼街道と分かれて上田方面に抜ける道と、まさに道路網でした。現在は高崎から長野に行くのにこの道を選ぶ人はいないでしょう。でもむかしの人は急峻な山道でも距離が近いほうを選んだようです。

さて、時間がまだあります。大笹から地蔵峠を越えて信州側に出ます。時間があれば池の平湿原の花や蝶を見たい。