比企の丘

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いまから69年前・・・沖縄の戦場で・・・「生きろ」とメッセージを送り続けた沖縄県知事島田叡

2014-06-27 | 語り継ぐ責任 沖縄のこと
いまから69年前の1945年、太平洋戦争最後の地上戦が行われた沖縄・・・6月23日、沖縄軍最高司令官牛島満陸軍中将の自決でこの戦いは終わります。自決前の牛島中将の最後の命令は
・・・爾後、各部隊は各戦局における生存者の上級者、これを指揮し最後まで敢闘し、生きて虜囚の辱めを受くることなく悠久の大義に生くべしと伝えられています。
作戦中止命令ではなかったため、6月23日以降も各地に立てこもった日本軍は米軍の投降勧告を拒否して抗戦します。

その三日後の6月26日の夜、沖縄県の最高官僚、島田叡県知事が姿を消します。

昨年の8月7日、TBS製作のドキュメンタリードラマを見ました。
    テレビ未来遺産〝終戦”特別企画 報道ドラマ  
     「生きろ ~戦場に残した伝言~」

このドキュメンタリードラマは、沖縄戦最後の模様と沖縄県知事島田叡の物語です。1945年、第32軍は首里司令部を撤退して沖縄南部に移動します。沖縄県庁も島田叡知事以下が南部に移動して伊敷集落の「轟きの壕」へ。
戦局厳しく島田知事は6月9日、県庁職員、警察官を集めて「どうか命を永らえて欲しい」と訓示、県組織の解散を命じ、6月15日、摩文仁の軍司令部に赴きます。
牛島満中将自決の三日後の6月26日夜、島田知事は県警荒井退造警察部長と二人、壕を出ますが27日以後、その姿は見た人はいません。。

最後の激戦地、摩文仁の丘。一草一木もありませんでした。

島田知事が最後にいたという摩文仁の丘の軍医部壕・・・
知事は6月26日夜、荒井退造県警警察部長とこの壕を出て玉城村方面に向かったという。

摩文仁の丘から玉城村方面を望む・・・6月27日それ以後、島田知事と荒井警察部長の姿を見た人はいない。

島田知事が周りの人に発したメッセージ。いまもそれを証言する人々。

あの戦争前の最後の官選沖縄県知事島田叡のことを記した2013年6月23日のブログ・・・
クリック→6月23日・・・沖縄慰霊の日に・・・沖縄最後の県知事島田叡のこと

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