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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

春の富山湾・・・雨晴海岸の薄暮・・・海の向こうの立山連峰を見たかったが

2018-04-17 | 道をゆく 越後・越中・加能・越前
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

3月24日、1泊2日の旅。朝8時、比企の里出発、関越高速道を更埴JCT、長野道で松本へ、松本、安房峠、高山まで一般道、東海北陸自動車道で五箇山ICへ、360㎞、約5時間、PM1:30到着、途中白川郷に寄る予定であったがパス。世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の谷、五箇山の菅沼集落、相倉集落を尋ね、
それから富山県高岡市太田の雨晴海岸(あまはらしかいがん)に。

「日本の渚百選」(社団法人大日本水産会選定)に選ばれた「雨晴海岸」・・・16時50分。
海を挟んで立山連邦、剣岳が見えるのがここのウリですがザンネンながらウッスラと・・・
※撮影日は3月24日。
参考》2010年10月21日のブログ→クリック雨晴海岸から・・・海のむこうに立山連峰が・・・見えなかった

※↓のコメント欄の「もののはじめiinaさん」・・・雨晴海岸の素晴らしい写真のURLがあります・・・クリックでご覧ください。

※コメント欄開いています。

早春・残雪の五箇山・・・世界遺産「合掌造り 相倉集落」を尋ねる

2018-04-16 | 道をゆく 越後・越中・加能・越前
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

3月24日、世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の谷、五箇山を尋ねました。
朝8時、比企の里出発、関越高速道を更埴JCT、長野道で松本へ、松本、安房峠、高山まで一般道、東海北陸自動車道で五箇山ICへ、360㎞、約5時間、PM1:30到着、途中白川郷に寄る予定であったがパス。
さて、東海北陸自動車道を五箇山ICで下りて五箇山合掌集落菅沼に、それから相倉(あいのくら)へ。国道156号線(越中街道、飛騨街道、白川街道)と国道304号線が接するあたり、南砺市相倉。案内に従って車を進めると駐車場に。駐車場から少し小高い展望台に。

越中五箇山の相倉集落の俯瞰。相倉集落32戸にうち20戸が合掌造り、標高400m、

白山連峰、加越山系の北端の山はまだ雪化粧・・・






※撮影日は3月24日。
※2014年9月26日のブログ⇒「世界遺産・・・越中五箇山…相倉・・・合掌造りの建築様式を見る
 2014年9月25日のブログ⇒「世界遺産・・・越中五箇山…相倉合掌造り集落・・・黄金の稲穂と白い蕎麦の花
 2014年9月22日のブログ⇒「世界遺産・・・合掌造り集落の旅・・・越中五箇山…相倉集落にきました

五箇山・・・江戸時代は加賀藩領、明治時代に石川県礪波郡に、1883年富山県東砺波郡に、2004年に平村、上平村、利賀村の3つの村が砺波平野側の福野町、城端町、井波町、井野村、福光町と合併して南砺市(なんとし)に。高山市南西部の山中に流れを発する庄川の中流部、合掌造りとして昔から知られる白川郷と接しているため岐阜県飛騨地方のように思われますが富山県です。
赤尾谷、上梨谷、下梨谷、小谷、利賀谷・・・5つの谷からなるから五箇谷間。かつて5つの荘園からなるから五箇荘、などの説がある。日本には五箇と呼ばれる場所が120ヶ所ばかりあるそうです。五穀、五人組、伍長とか5で括る習慣があったからとも。
世界遺産は非日常の世界ではありません。日本人の生きてきた道を考える場所です。
   ①ゴミは持ち込まない、捨てない(おいていってイイのは足跡だけ)
   ②火気厳禁・・・合掌造りは木と萱と藁縄、すべて植物の自然素材でできています。
   ③自然を大切に・・・道端の花を勝手に採らない(トッてイイのは写真だけ)踏んづけない、畑や田圃や畦道の中に入らない。
   ④トイレは・・・駐車場にあります。
   ⑤世界遺産、史跡ですが日常の生活の場です。散策路以外の私有地に入らないで・・・どうしてもというときは了解を得ることです。
    住宅により、資料館、お休み処、お土産処などになっていますが、そうでない住宅もあります。むやみに戸を開けたりしないように。


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早春・残雪の五箇山・・・世界遺産「合掌造り 菅沼集落」を尋ねる

2018-04-15 | 道をゆく 越後・越中・加能・越前
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

3月24日、世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」の谷、五箇山を尋ねました。
朝8時、比企の里出発、関越高速道を更埴JCT、長野道で松本へ、松本、安房峠、高山まで一般道、東海北陸自動車道で五箇山ICへ、360㎞、約5時間、PM1:30到着、途中白川郷に寄る予定であったがパス。

合掌造り菅沼集落・・・庄川が半円形に屈曲する内側に沿った南北230m、東西240m、標高350mの段丘台地。
12棟のうち9棟が合掌造り・・・江戸後期に建てられたのが2棟。明治期に6棟、1925年(大正14年)に建てられたのが1棟。

3月下旬・・・まだ雪が残っています。豪雪地帯、冬は積雪3mに達するそうです。

五箇山民族館・・・一階の壁周りは冬になると雪囲いします。今は樹脂製資材が多くなりましたがここでは萱で囲ってあります。
※外壁は土壁ではなく杉皮です。雪囲いは外壁に雪が積みあがらないようにしてるのだそうです。

食事処「与八」・・・ここでは雪囲いは樹脂製資材になっています。

合掌造り・・・一階は大工さんの仕事、二階から上は結仕事、萱葺の屋根の傾斜は60度。屋根の雪が滑り降りる落ちるようにした知恵でしょうか。


※撮影日は3月24日。
※2014年9月27日のブログ⇒「世界遺産・・・越中五箇山…合掌造り・・・菅沼集落

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秋の新潟・魚沼平野・・・越後湯沢駅で・・・コシヒカリと上善如水

2017-12-04 | 道をゆく 越後・越中・加能・越前
秋・・・10月29日、新潟県・・・南魚沼あたり周遊・・・
湯沢高原雲海を見て麓の「越後湯沢駅」でひと休み。

信州上田の・・・六文銭の写真帳


JR越後湯沢駅・・・上越新幹線、上越線、第三セクター北越急行ほくほく線乗入れ、1日の乗客数3000人。秋田県JR湯沢駅との区別でJR越後湯沢駅。

川端康成の小説「雪国」に書かれた静かな山の湯宿の風景は・・・

越後湯沢駅」構内に入ります。地産品の商業スペース。

魚沼は「コシヒカリ」の最上米の産地・・・水清く冷たい。
※「魚沼」は古代からの行政名、信濃川(千曲川)と魚野川の合流点から魚野川の流域全体をいいいます(例外もありますが)。

南魚沼産コシヒカリ100%、雪ん洞の「爆弾おにぎり」・・・。

上善如水」「八海山」の薦被りの酒樽の前にヨッパライが寝ています。
上善如水」は湯沢町の名酒、「八海山」は南魚沼市長森の名酒。

上善如水」・・・中国の哲学者「老子」(紀元前5世紀ごろの人?道教の始祖)の言葉。
最善の生き方は・・・水のように平らに」。
※撮影は10月29日。

コシヒカリ・・・日本を代表する米の品種。1944年新潟県農業試験場で開発がはじまり1948年福井県農業試験場で開発を続け、そのご新潟県と千葉県で開発を継続、1955年奨励品種に。命名者は当時の新潟県農業試験場長の国武正彦氏。


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秋・・・越後魚沼平野・・・湯沢高原から雲海を見る

2017-12-03 | 道をゆく 越後・越中・加能・越前
信州上田の・・・六文銭の写真帳
秋・・・10月29日、新潟県・・・南魚沼あたり周遊・・・
湯沢高原・・・パノラマパークに上がってきました。標高850m、ロープウエイ山麓駅(標高350m)から標高差500m。

眼下にJR越後湯沢駅(上越新幹線、上越線)、湯沢温泉街が見えます。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」ではじまる・・・川端康成の小説「雪国」の舞台で有名。




雲海・・・



眼下に見える湯沢町の市街、中央に関越高速道、その左に魚野川、右側に国道17号線(三国街道)。
※撮影は10月29日。



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冬の北陸の旅・・・世界三大奇岩・・・東尋坊・・・柱状節理の海食崖

2017-04-15 | 道をゆく 越後・越中・加能・越前
2016年12月、北陸新幹線で金沢へ・・・
金沢城、尾山神社、兼六園、ひがし茶屋街、武家屋敷跡街、近江町市場・・・金沢の定番観光コースを回って東尋坊へ。
東尋坊・・・福井県坂井郡三国町安島、越前加賀海岸国定公園。国指定天然記念物、名勝。

※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・

蝋燭岩・・・安山岩(火山のマグマからの火成岩)が急激に冷えたときにできた柱状節理

大池・・・(入江になったところ)。

屏風岩・・・水面から25m、見事な柱状節理は日本海の波による浸食により地上に現れた・・・そうだ。、

遊覧船。

雄島・・・東尋坊の北、雄島橋によって結ばれている10.2㌶の島。周囲2㎞は流紋岩の柱状節理、板状節理。
※撮影は2016年12月20日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。
東尋坊の名前由来・・・そのむかし数千人の学問僧がいた勝山市平泉寺(現白山神社)、その中に東尋坊という暴力、悪行を重ねる僧侶がいて、あるとき僧たちが酒を飲ましてこの海食崖から突き落として殺してしまい、そのことからいろいろな祟りが出て海が荒れまくったことからその名前がついたという。
※ミステリードラマのラストシーンの舞台は断崖絶壁・・・よくあるンです。ここと能登金剛、伊豆高原がおなじみです。
※輝石安山岩の柱状節理・・・世界で三か所、朝鮮半島の金剛山、ノルウェイの西会がとここだけだそうです。


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冬の北陸・・・金沢の台所・・・近江町市場を歩く

2017-04-13 | 道をゆく 越後・越中・加能・越前
2016年12月、北陸新幹線で金沢へ・・・金沢の中心街香林坊から北へ10分ばかり歩いた武蔵辻・・・
近江町市場・・・金沢市上近江町・下近江町・青草町・・・地元の人はおみちょ市場と呼ぶのだそうだ。
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・

金沢の台所といわれる一般の小売店街です。2.8㌶、185店舗。
札幌の二条市場、函館の朝市、京都の錦市場、大阪の黒門市場・・・こういうところはその地域の生活の匂いがしてなぜか観光客を惹きつけますね。

コウバコガニ・・・ズワイガニの♀。石川、富山での呼称。福井ではセイコガニ、山陰ではセコガニ。
ズワイガニの♂より小型、資源保護のため漁期も短い。小型であるため地元消費、安価であったが最近はだいぶ高くなったそうだ。

ランチタイムです。

中落ち定食・・・豪快
※撮影は2016年12月19日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。

近江町市場・・・300年の歴史ある小売市場。1690年浅野川に近い袋町市場が当地に移転、1721年犀川に近い魚屋町市場が当地に移転、1622年併合されて近江町市場に。ともに大火による移転。今でいうと築地市場から豊洲市場への移転みたいか・・・そういうゴタゴタでは無かったようです・・・。そのまま明治の時代に。1904年官許青草辻近江町市場が認可。1923年から近江町騒動(小売商と問屋のゴタゴタ?詳細はよくワカリマセン)が10年間続いた。2009年「近江町いちば」オープン。

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冬の北陸・・・加賀百万石の金沢・・・武家屋敷跡界隈を歩く

2017-04-12 | 道をゆく 越後・越中・加能・越前
2016年12月、北陸新幹線で金沢へ・・・金沢の中心街の香林坊から西へ5分ばかり歩いた・・・金沢市長町・・・武家屋敷街
大野庄用水が流れ江戸時代にタイムスリップしたような武家屋敷が並びます。。
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・

加賀藩の重職を代々務めたという野村家(禄高1200石)の屋敷跡です。維新後、建物は解体。土塀、曲水庭園のみ残存。
昭和に入り北前船で栄えた大聖寺藩御用達の豪商の館(1843年築)を移築。
アメリカの建築雑誌で日本の庭園ランキング3位、ミシュランの観光地格付け2つ星。

武家屋敷街を流れる・・・大野庄用水(別名御荷川、鬼川)・・・犀川から取水され市中を貫流してふたたび犀川に合流して金石港に。
開削は藩祖利家の入城のころか。水路長11.5㎞、幅平均6m・・・かつては城を守る水壕、金石港と城内、城下を結ぶ流通の運河・・・
火除け、排雪、友禅の洗い場、水車の動力源、炊事洗濯用の生活用水・・・など、そして市中を出ると農業用水に・・・多目的用水路。

冬の風物詩・・・薦掛け(こもがけ)・・・12月から3月まで、積雪から土塀を保護するため。

大きな門構えの高田家(禄高550石)・・・上級武士の屋敷です。母屋は現存していませんが池泉回遊式庭園、長屋門、廏、仲間部屋が残存しています。
※撮影は2016年12月19日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。


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冬の北陸の旅・・・加賀百万石のj城下町・・・金沢・・・ひがし茶屋街を歩く

2017-04-11 | 道をゆく 越後・越中・加能・越前
2016年12月、北陸新幹線で金沢へ・・・浅野川の河畔、金沢市東山・・・通称「ひがし茶屋街」です。
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・

兼六園、金沢城のある小立野台地から坂を降りてきて浅野川を渡ると「ひがし茶屋街」。



南北180m、東西130m。1.8㌶、140軒のうち2/3が江戸後期から明治初期の茶屋建築様式だそうです。
この茶屋街が加賀藩公認で開かれたのは1820年。計画された見事な街並みです。2001年国指定重要伝統建造群保存地区に。

1820年建築の「志摩」・・・2,003年国指定重要文化財。↑の画像で自転車が停まっていてオジサンが立っているいるところが「志摩」。

横丁を歩くのがイイ。時計が止まったような世界。
※撮影は2016年12月19日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。
なんとも不思議な空間です。映画、テレビドラマのセットに見えます。観光客が歩いていなければ何かタイムスリップした世界になります。加賀百万石の城下町、計画的に造られた遊興の街、百姓、職人が遊んだとは考えられませんから城下の商人たちの経済力が最高だったのでしょうね。今でいうと高級クラブでしょうか。私にはワカラない世界です。

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北陸の旅・・・金沢・兼六園の・・・冬の風物詩・・・「雪吊」を見た

2017-04-08 | 道をゆく 越後・越中・加能・越前
2016年12月、北陸新幹線で金沢へ・・・金沢といえば日本三大庭園「兼六園」(水戸の偕楽園、岡山の後楽園)。
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・

近世・江戸時代の加賀藩四代藩主前田綱紀が1676年金沢城外郭を使って作庭を開始、ほぼ現在の形になったのは200年後の1860年、池泉回遊式庭園、約117㌶。「兼六園」の命名は奥州白河藩主、幕府老中、寛政の改革で知られる松平定信。1822年11代藩主前田斉広の依頼に応じて漢籍の「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望」・・・六つの景観を備えている文をもとに命名したという。
江戸時代は大名の私庭、1874年(明治6年)一般公開、1976年より維持管理、保存、保安のため有料化。1985年国の特別名勝に指定。

兼六園の冬の風物詩[雪吊」。雪の重さから枝を守るための手法。



兼六園のシンボル・・・徽軫灯籠・・・(雪見灯篭とも)。
コトジトウロウ・・・と読みます。和楽器「お琴」の糸を支える琴柱(ことじ)のようだから。
現在あるのは保安のためレプリカです。
※撮影は2016年12月19日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。


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