2016年12月、北陸新幹線で金沢へ・・・金沢の旅・・・市街地に入ります。
※神門・・・擬西洋建築、擬中国建築に見えます。その土地の大工の棟梁設計による日本人が作ったものです。1階は木骨煉瓦張り3連アーチ、2階3階は竜宮城を思わせるような南中国寺院風、ステンドグラス張りのアールのついた窓。望楼としてか?奇をてらって集客?を目論んだのか・・・ワカリません? それにしても神門を造った大工の棟梁は前衛的な人です。100数十年後の今でも周囲に溶け込まないアンマッチなデザインです・・・と思うのはわたしだけ?
※尾山とは・・・犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端(山の尾っぽ)という地域名。
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・
近世・江戸時代の加賀100万石の藩祖前田利家公を祀る尾山神社。
金沢城址の西、金沢市のメインストリート(国道157号線)、香林坊の近くにあります。創建は1873年。

加賀藩初代藩主前田利家公の銅像。

尾山神社の「神門」・・・神社にしては奇妙な構築物。1875年建造。国の重要文化財。

金沢城址の西、金沢市のメインストリート(国道157号線)、香林坊の近くにあります。創建は1873年。

※藩祖神社・・・江戸時代が終わり明治時代に入り廃藩置県、藩主は県の主としての地位を失いました。そのころに流行った?のが藩祖神社。鹿児島の照国神社(1862年)、熊本の加藤神社(1871年)、米沢の上杉神社(1871年)、弘前の高照神社(1877年)、松江の松江神社(1877年)、松前の松前神社(1881年)などなどが創建されて行きます。
※前田利家(1539~1599年)・・・尾張国荒子(現名古屋市中川区)の土豪の四男、織田信長の足軽から小姓に、柴田勝家の与力、後に羽柴秀吉の傘下に、豊臣家の重臣に。1599年没、1年後に関ヶ原の戦い、天下の覇者となった德川家康は加賀藩前田家の取り潰しを計画するが利家の正室松が人質として江戸入りすることにより前田家は安泰した。乱世の戦国時代、足軽から出世し大藩を経営した武将であり知略家。
※前田利家(1539~1599年)・・・尾張国荒子(現名古屋市中川区)の土豪の四男、織田信長の足軽から小姓に、柴田勝家の与力、後に羽柴秀吉の傘下に、豊臣家の重臣に。1599年没、1年後に関ヶ原の戦い、天下の覇者となった德川家康は加賀藩前田家の取り潰しを計画するが利家の正室松が人質として江戸入りすることにより前田家は安泰した。乱世の戦国時代、足軽から出世し大藩を経営した武将であり知略家。
加賀藩初代藩主前田利家公の銅像。

尾山神社の「神門」・・・神社にしては奇妙な構築物。1875年建造。国の重要文化財。

※撮影は2016年12月19日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。
※神門・・・擬西洋建築、擬中国建築に見えます。その土地の大工の棟梁設計による日本人が作ったものです。1階は木骨煉瓦張り3連アーチ、2階3階は竜宮城を思わせるような南中国寺院風、ステンドグラス張りのアールのついた窓。望楼としてか?奇をてらって集客?を目論んだのか・・・ワカリません? それにしても神門を造った大工の棟梁は前衛的な人です。100数十年後の今でも周囲に溶け込まないアンマッチなデザインです・・・と思うのはわたしだけ?
※尾山とは・・・犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端(山の尾っぽ)という地域名。
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