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【歯顔大笑】

歯を見せて大きく笑おう!

116.【鬼の一口】

2012-05-21 | 
【鬼の一口】

みなさんはこの言葉ご存知ですか? 私は知りませんでした。 でも、なんとなく想像できそうな感じは
しますね。 それでは、意味を・・・。

鬼が一口で人を食うように、
 1.物事の処理の仕方が激しくすばやいたとえ。
 2.たいへん危険な目にあうことのたとえ。

どうですか、大体想像通りの意味でしたか? 実はこの言葉、昨日や今日にパッと出た言葉ではないのです。
代表的な話はなんと平安時代にまでさかのぼるほどの古さのものなのです! ちょっとその話をご紹介します。

”平安時代初期の歌物語『伊勢物語』第6段の「芥川の段」がある。ある男が何年も女のもとへ通い続けていたが、
身分の違いからなかなか結ばれることができなかった。ある時、男はついにその女を盗み出したが、逃走の途中で
夜が更けた上に雷雨に見舞われたために、戸締りのない蔵を見つけて女を中へ入れ、自分は弓矢を手にして蔵の前
で番をして、夜明けを待った。やがて夜が明けて蔵の中を覗き見ると、女の姿はどこにもなかった。女はその蔵の
中に住んでいた鬼に一口で食い殺され、死に際に上げた悲鳴も雷鳴にかき消されてしまったのである。。。





他にも平安初期の説話集『日本霊異記』には、男女が一夜の契りを結ぶが、実はその男が鬼で女を食べてしまう話、
平安末期の説話集『今昔物語集』には夜道を歩いていた女たちの1人を男が突然連れ去り、その男が実は鬼で女を
一口で食べてしまうという話がある。”

平安時代の書物にこんなものが載っているんですね。このような"鬼の一口"の話がたくさん生まれた時代は世の中が
不安定で戦、災害、飢饉等が起きた時代です。その時には多くの人が亡くなったり、行方不明になったりするため、
これを鬼などの架空の化け物の仕業と考えるようにしたのでしょうね。

"鬼の一口"、こんな隠れた話があったんです、おもしろいです。 機会があればぜひ使ってみてください!


115.【【口を結べ。口を開いている・・・】

2012-05-14 | 
【『口を結べ。口を開いている様な人間は心に締りがない。』】

この言葉聞いたことありますか? とてもピシッとして感じがしていいですね。 これは、
あの乃木大将が学習院院長の時に、学習院初等学科学生に与えた訓示の一番最初に出てくる
言葉です。 意味は読んで字の如し、そのままの意味です。

最近は口をぽかーんと半開きの若者が増えているといわれていますが、このような言葉が
あったということはやはり昔からぽかーんとしている子供が多かったのかもしれませんね。

すこし、”心に締りがない”から離れて、口をぽか~んとして口で息をすることを考えて
みましょう。

哺乳類の中で必要でないのに口呼吸するのは人間だけだそうです。この口呼吸ができたことが
複雑な発音や言語を話せるようになった要因なのですが、決していいことだけではないのです。
簡単に言うと、口は食べるところ、鼻は呼吸をするところ、だからです。鼻にはフィルター機能
があり、息を吸う時に塵や雑菌などを体内に入れず、特にウィルスは湿気に弱いので鼻の適度な
湿気でストップがかけられるのです。それなのに、締まりなく口呼吸を行っていると、口の中は
乾燥し、喉へ直接ウィルスが入り込むようなことが起こってきます。
口を閉めておくには口の周りの筋肉がしっかりとしていなければならず、口の周りの筋肉がしっ
かりしていれば言葉も明瞭、表情も豊かになりぼ~っとした感じはすくなくなります。
最近よく話題になる”睡眠時無呼吸症候群”も普段の口呼吸が症状を悪化させる一因になる事も
わかっています。

ここでまた、ちょっと違った視点で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第100回目の”貧しい口元”(http://blog.goo.ne.jp/mushiba0/e/c372a4ff82c10677fcc3d0b61cc4a0ec)
でも書きましたが、”顔立ちの美醜とはまったく無関係に口元にその人の本性が出る。「目は心の
窓」だとすれば「口は心の玄関」である。”とあります。つまり、乃木大将の書かれていることも
同じで、心がけを変え習慣として身につければ”締まりのある人間”になれるということなのですね。

『口を結べ。口を開いている様な人間は心に締りがない。』
本当にすばらしい言葉だと思います。最後にこの言葉の入っている学習院初等学科学生に与えた訓示
の全部14か条を書いておきます。


1.口を結べ。口を開いて居るような人間は心に締りがない
2.眼の注ぎ方に注意せよ。始終キョロキョロしているのは、心の定まらない証拠である
3.敬礼の時は先方をよく注視せよ
4.自分の家の紋所、家柄、先祖の事はよく聞いて忘れぬ様にして置け。先祖の祭は大切
 であるぞ
5.男子は男らしくしなくてはいかん。弁当の風呂敷でも、赤いのや美しい模様のあるの
 を喜ぶ様では駄目だ
6.決して贅沢するな。贅沢ほど人を馬鹿にするものはない
7.人力車には成るべく乗るな。家で人力車をよこしても乗らないで帰る様にせよ
8.寒中水で顔を洗うものは幾人あるか。湯で洗う様ではいかぬ
9.寒い時は暑いと思い、暑い時は寒いと思え
10.破れた着物を其の儘着て居るのは恥だが、そこを継ぎをして縫って着るのは決して恥
 ではない。いや恥どころではない。
11.恥を知れ。道に外れた事をして恥を知らないものは禽獣に劣る
12.健康の時は無理の出来る様に体を鍛錬せよ。けれども一旦病気になったら医者の云う
 事をよく聞け
13.洋服や靴は大きく作れ。格好などかまうな
14.学習院の学生は成るだけ陸海軍人になれとは、陛下の御沙汰であるから、体の丈夫な
 ものは成るべく軍人にならなければならぬ。けれども生まれつき体の弱い者もあり、
 又種々の事情でなれぬ者もあろう。是も仕方がないが、何になるにも御国のために役に
 立つ人にならなければならない。国のために役に立たない者、あるいは国の害になる様
 な人間は死んで仕舞った方がよいのである。

114.【おちょぼ口】

2012-04-30 | 
【おちょぼ口】

みなさん、この言葉聞いたことあると思います。 ”おちょぼ口の子””おちょぼ口がかわいい”等というように
使ったり、耳にすることが多いですね。


もともと”おちょぼ”は
1江戸時代、かわいらしい少女につけた名。また、かわいいおぼこ娘。
2江戸後期、京都・大坂の揚屋(あげや)・茶屋などで、遊女・芸者の供や呼び迎えなどをした15、6歳までの少女。
という意味で使われ、おちょぼ口は”小さくかわいい口、小さくつぼめた口つき”を表します。

大体想像通り、また、みなさんもそのような意味で使われていることと思います。
では、この おちょぼ の”ちょぼ”ってどういう意味か考えたことありますか? 小さい鳥チャボや猪口(ちょこ)
が転じたという説もありますが、ここではもう少しちがう説をご紹介します。 
 
■中国から伝わった博打の一つにサイコロ1個を使って行う”ちょぼいち”というものがあります。元々”ちょぼ”
はサイコロの別称で、ちょぼを一つ使うから”ちょぼいち”と呼ばれたそうです。そのちょぼ(サイコロ)に打って
ある目に似ている小さな印や点を”ちょぼ”というようになりました。

■歌舞伎の義太夫が役者とのセリフを区別するために1センチ角の小さな色紙を台本にに貼りました。これを”ちょぼ”
といい、いつの間にかこの”ちょぼ”を読む義太夫そのものを”ちょぼ”と呼ぶようになりました。(現在は”竹本”
と呼ばれることが多いようです)


サイコロの目、義太夫のセリフともに元々は”小さく、かわいいもの”をさして”ちょぼ”と言っていたということです.

このように”おちょぼ口のおちょぼ”の由来にはいろいろな説があるのですが、いずれにしても”小さくかわいいもの”
を表す言葉である事は確かなようですね。

112.【切り口上】

2012-04-16 | 
【切り口上】(きりこうじょう)

よく耳にするような、あまりしないような、意味もわかっているような、わかってないような・・・そんな感じの
言葉ですね。 みなさんおわかりですか? 使いますか?

この言葉は 見てのとおり ”切り“ + ”口上” という二つの言葉からできています。
どのような成り立ちでこの言葉ができ、どのような意味なのか述べていきましょう。

”口上”とは元々「口のきき方」「ものの言い方」という意味で、中世の時代から使われていました。一方の
”切り”、一節ずつ区切って言う口調を「切り声」といい、「切る」は言葉をいちいち切る意味でも用いられ
ていました。この二つの言葉が合わさって”一句一句区切って言う口調”を意味する”切り口上”は一般語と
して使われていて、後に歌舞伎の世界でも使われるようになったのです。

歌舞伎の世界では一日の興行の最後に、役者や座頭が述べる言葉をさしますが、もともと一般語として使われていた
意味どおり一句一句区切っていう様子からそう呼ばれるようになったという説と、「まず今日はこれかぎり」と言う
ところから来たという説があります。

いずれにしても儀礼的で味気なく感じられることから、形式ばった堅苦しい口調のことを「切り口上」というように
なりました。

まとめとしてもう一度”切り口上”の意味を書いておきます。

1 一語ずつ区切ってはっきりという言い方。堅苦しく改まった言い方。また、形式的で無愛想な言い方。
2 江戸時代の歌舞伎で、1日の演目が終わるときの口上。

みなさん、おわかりいただけましたか?  私は決して”切り口上”な口調では話していませんので、あしからず!


111.【二口女】

2012-04-09 | 
【二口女】(ふたくちおんな)

今回は昔から伝えられている日本の妖怪二口女についてです。 二口女は”妖怪のひとつで、姿かたちは人間の
女性に似ているが、後頭部に大きな「もうひとつの口」があるのが特徴。 人前では決して食事をせず、誰もい
ない時を見計らって一時に数人前の食事を平らげると言われる。”といわれています。



なんか怖そうな妖怪ですね。全国で二口女に関する似たような昔話があるのですが、代表的なものは次のような
ものです。

 ”昔、ある男が「飯を食わぬ女房がほしい」と思っていた。あるとき、美しい娘がやってきて「私は飯を食わぬ
から女房にしてくれ」と言う。喜んだ男、さっそく彼女を嫁に迎えたが、実はこの女房、髪を解くと頭のうえに大
きな口があって、男の留守に握り飯を作ってはその口で食べていた。それを知った男、恐ろしくなって女房に暇を
出したが、彼女は男を桶に押し込め山へ連れ去ろうとする。途中、なんとか脱出した男が菖蒲(しょうぶ)とよもぎ
の草叢に隠れると、追ってきた女房は「菖蒲とよもぎに触れると、体が腐ってしまうのだ」と退散する。以来、五月
の節句には菖蒲とよもぎを軒下にさすようになった。”

 こんな感じのもので主に”飯食わぬ女房”という昔話として伝わっています。日本の昔話は”鶴の恩返し”や”浦島
太郎”のように『やってはいけない!』ということを破った時に悲劇が起こるというパターンが多いです。これは人間
と妖怪は相容れないという事をあらわしているのではなく、妖怪が棲む自然界と人間の文化がうまく共存していく事へ
の戒めや教えを説いているのです。この二口女の話では菖蒲とよもぎが無病息災に効く信じられていた時代の”魔よけ
の教え”として作られたものだと思われます。



 ・・・・・実はこれ、東日本に多く伝わる話で、西日本ではまた違った展開なのです!桶に入れられ山へ連れられて
行くところまでは一緒なのですが、二口女は蜘蛛に姿を変えていたのです。命からがら帰ってきた男のもとに大晦日の夜、
また、その蜘蛛女房が襲いにやってくるのです。気づいた男が囲炉裏で焼き殺し、これでやっと二口女から逃れる事が
できました。『もう飯食わぬ女房などいらぬ。 普通に食う女房がええ。』と火に焼かれる蜘蛛を見ながら思ったのです。
 
 こちらは「夜出てくる蜘蛛は殺せ。」という言い伝えの由来、大晦日の夜の囲炉裏の火が神聖なものである、という
説のもとになっていると考えられています。

 
 みなさんは西の展開と東の展開とどちらがお好きですか?