【歯顔大笑】

歯を見せて大きく笑おう!

109.【親の脛かじる子の歯の白さ】

2012-03-26 | 
【親の脛噛じる子の歯の白さ】

なんとなく知っているような知らないような言葉ですね。 ”親の脛をかじる”は
よく聞きますが、その後の”子の歯の白さ”まではあまり聞くことはないと思います。

それでは意味から・・・

成長しても独立できず親のおかげで生活している子が、 しっかり独立して頑張って
いる人より身なりをきれいにして贅沢している様子をいいます。親の苦労も知らず
にしゃあしゃあとその脛をかじる道楽息子を皮肉る川柳からきています。

ところで、みなさん、どうして自活できない子は脛をかじるのかご存知ですか?

一生懸命働くことを”脛から火を出す”といい、また、お金を稼ぐ元手という意味
で”すね一本、うで一本”というような言葉もあります。つまり人間にとって脛は
働き、稼ぐための元という意味でとても大事な部分なのです。
その脛を削って一生懸命働き稼いでも、子が使ってしまう、そして、また親が脛を
削る・・・・この様子を”子が親の脛をかじる”というようになったのです。

”脛の大切さ”わかってもらえましたか? 関連として足元が定まらないことを
「すねが流れる」。やましいことがある場合は「すねにキズをもつ」等があります。

今回はあまり歯、口の話ではなかったですね。
それにしても同じ白い歯でもこんな脛かじりで得る白い歯よくないですね!

108.【口先の裃】

2012-03-19 | 
【口先の裃】(くちさきのかみしも)

この言葉聞いたことありますか? また、”裃“という漢字は
よめましたか?残念ながら、私は聞いた事もなく、漢字も読め
ませんでした。 

それでは、意味から・・・

”言葉は丁寧で、相手を敬っているように見せかけているが、
その実、心の中はまるで違うことのたとえ。”

っと読んでも、なぜ、この言葉がそういう意味になるのかわか
りにくくはないですか?

では、次はこれについて説明しました。

みなさん、”裃“の意味はご存知だとは思いますが・・・

元々”裃“とは江戸時代の武士の礼装・正装で、麻の肩衣(かた
ぎぬ)と、同じ種類の布からできた袴をあわせた上下からなって
いました。高い身分の武士が、礼装・正装として身につけると
いう事はだれかれと着用を許されるものではなかったという事
です。 そのことから
”裃を着る”:格式ばって堅苦しい態度をとる。裃をつける。
”裃を脱ぐ”:堅苦しい態度を捨てて打ち解ける。
      「裃を脱いで、ひとつ無礼講でいきましょう」
等という言葉があるほどです。

そこで、もう一度この“口先の裃“を見てみると、『はぁ~、
なるほど、口先では堅苦しく、格式ばった事を言っているけど
本当は・・・』っと、想像できるような感じがするのは私だけ
でしょうか。

同じような意味の言葉をあげる方がもっとわかりやすいかも
しれませんね。 
 ・慇懃無礼(いんぎんぶれい)
 ・笑中に刀あり(しょうちゅうにとうあり)
 ・口に蜜あり腹に剣あり
等があげられます。

“口先の裃“、言いたくもないし、言われたくもないですね。

107.【口開けて腸見する柘榴かな】

2012-03-12 | 
【口開けて腸見する柘榴かな】
(くちあけてはらわたみするざくろかな)

この句、あまり耳にするものではありませんが存知ですか?
これは新渡戸稲造の“武士道”の克己という章に出てくる句
で、秋が深まり木になるザクロが熟して口を開き、中身を見
せている様子をとてもうまく表しています。。。

しかし、“武士道” にこの句が出てくるという事はザクロの
熟した様子をあらわす事を意とした事ではない事は明らかです。

では、一体どういう意味で書かれていたのでしょう・・・

武士たるもの、ザクロのように、口を開いて自分のはらわたを
見せるようなこと、つまり言葉や表情に出して感情をあらわす
ことを戒めるべきであるという意味なのです。

人に勝ち、己に勝つためには・・・
武士は感情をあらわす事は男らしくないと考え、立派な人を評す
る時「喜怒を色に現さず」とし、感情を抑制する事が良い事であ
ると考えていました。感情を顔に出すこと、多くを語って思想や
感情を述べる事は誠意に欠けると考えていたのです。

これを知ると“口開けて腸見する柘榴かな” の深さがよくわか
りますね。 それにしても、現代の日本人、ましてや外国人には
到底理解のできない感覚かもしれないですね。

106.【和田賢秀の墓】

2012-03-05 | “訪れました“
【和田賢秀の墓】


“和田”ふつうに読めば”わだ”なのですが、この人の読み方はそうは
読まず”にぎた”または”みぎ(き)た” と読みます。名前は”けん
しゅう”または”かたひで”です。


和田賢秀は南北朝時代の武将で、楠木家と姻戚関係にあったとされて
います。賢秀は楠木正行の家臣として勇将としても知られていて・・
といろいろあるわけですが今回、この歯願大笑でご紹介するのは“歯”
に関係があるからなので、そちらの方を書きたいと思います。

それでは、和田賢秀の墓”についてです。

大阪の”四条畷の戦い”の際、楠木正成が討ち死にした後も、敵将の首を
討とうと孤軍奮闘していました。しかし力尽き敵方に首をはねられる事に
なりますが、首をはねられても敵将の首に噛みついたまま睨んで放さなか
ったといいます。そして敵将はそれが原因で死んだとされていて、その地
の人々は和田賢秀の事を歯噛様(はがみさま)といい、いつの間にか”歯
神様”というようになったのです。

実際に行ってみると・・・

対面2車線ですが、結構交通量の多い道沿いにいきなり森のようなところが
現れました。



近づいていくと、表はこんな感じでした。


中に入ると大きな大きな木が立っていてその真横にお墓がありました。


このような碑と説明板が建っていました。
 



お墓そのものはごく普通の感じでした。”源秀”と刻まれていますが、
このようにも言われていたようです。






・・・おまけ・・・

実はこの日はもう一か所交野市の 西念寺 “墾田地蔵石仏” という
ところを訪れたのです。 ”歯痛をはじめ何にでもよく効く・・・“と
いう事で行ってみましたが、何の歯にまつわる話も、説明も、石造等も
ありませんでした。 せっかく行ったので写真だけでも載せておきます!
写真くらい載せとかないと、お地蔵さんがスネはったらあかんので・・・。