【歯顔大笑】

歯を見せて大きく笑おう!

129.【顎足付き】

2012-08-27 | その他
【顎足付き(あごあしつき)】

今回は予想しやすい言葉でしょうか? みなさんわかりますか? 私は・・・少し調べてみて『あ~、そうか』
っという感じでした。 それでは、説明していきましょう。 

まずは意味から・・・顎は食事代、足は交通費という意味で、先方がこれらを負担すること、   です。
”顎足付きの接待旅行”などというふうに使います。

もう少し詳しく語源を含めて言うと、「顎」は食べるときに噛んで使うことから、食事の意味。 それが転じて
いつの間にか飲食費を意味するようになりました。 「足」は「足代」の略で、交通費の意味です。元々は主催
者が食事代と交通費を負担することを意味する寄席芸人の隠語でした。

それともう一つ、飲食費、交通費とくれば宿泊費も大きな経費となりますね。 この宿泊費のことは「枕」と
呼ばれています。

<まとめ>
顎(あご)  → 飲食費
足(あし)  → 交通費
枕(まくら) → 宿泊費

①全部込みの場合  → 顎足枕(あごあしまくら)
②食事代別     → 足枕(あしまくら)
③交通費別     → 顎枕(あごまくら)

というように使うのです。

簡単で、さっと使うとちょっと”業界の人”っぽくてかっこいいかもしれませんね!

128.【歯の呼び方】

2012-08-20 | 
【歯の呼び方】

この”歯の呼び方”というのを見て、みなさんはきっと我々歯科医が使う専門的な呼び方を想像された事
だと思います。ここでそれを書いたのでは全然おもしろくないので、少し違ったものを書きたいと思います。

まずは昔の呼び方から・・・

切歯(前歯)    板歯・門牙・門歯・向歯(むこうば)
犬歯        犬牙(眼牙)・犬歯(眼歯)・角歯・尖頭歯・糸切り歯
小臼歯       槽歯・二頭臼歯・頬歯・前臼歯・副犬歯
大臼歯       成歯・大牙・富頭臼歯・後臼歯・奥歯・臼歯

大体、歯の形態、位置がその名前の元になっている事がほとんどです。

生えてくる時期で呼ばれる歯もあります。奥歯の
第一大臼歯は6歳頃に生えてくるので”6歳臼歯”、
第二大臼歯は12歳頃に生えてくるので”12歳臼歯” と呼ばれます。
第三大臼歯は”親知らず”と呼ばれる事が多く、その語源は子供の歯の管理を終えて親も見る事がない時期に
生えてくるからという説と、平均寿命が50歳前後の頃はそれが生える20歳前後には親が生えた事を知らず
に他界している事が多いからという説があります。

また、親知らずには”智歯”という呼び名もあります。十分に物事を判断できるように賢くなってから生える
という意味で中国語から来ています。 また、英語ではwisdom toothといい、wisdomは知恵という意味なので
英語と中国語では同じ語源です。 いずれにしても生える時期が元になっていますね。



”八重歯”   唇側に飛び出した犬歯
「八重桜」などと同様、重なりあっていることをオーバーに表現したという説と、元は「弥重歯」と書き「弥」
の字が強調の意味なので「強く重なっている歯」から転じて”やえば”という音だけが残り、書くのが優しい
「八」になったという説があります。別名として古事記には「八重歯」のことを「押歯(オシバ)」という記載
があります。



”恵比寿歯・大黒歯”   上顎右側前歯・上顎左側前歯
江戸時代に恵比寿様と大黒様を拝める「二福神」という民間信仰があり、祭壇に並べるときに右側に恵比寿様、
左側に大黒様を祀り五穀豊穣(ほうじょう)や商売繁盛を願う風習があったことに由来します。そこから、前歯
2本を区別するためにこのように呼んだようです。また、この歯が欠けていると「金がこぼれていく」という
迷信もあります。


このようにちょっと特徴的な名前が付いているものは目立つ部位、区切りになる時期に生える歯、痛みが激しい歯
等ですね。側切歯や小臼歯などあまり目立たない歯には別名はないようです。ご存知の方おられたら教えてください!



出典
解体新書(杉田玄白) 把翕湮(パルヘイン)解剖図譜 重訂解体新書(大槻玄沢) 解剖学新説(ミユルレル口授)
虞列伊氏解剖訓蒙図(松村矩明) 華氏解剖図(村上典表) 解剖学概要(田口和美) 海都満歯解剖図譜(山崎元修)
保歯新論(高山紀斎) 解剖学名集覧(高木,尾持) 医学用語集(日本医学会用語整理委員会)
解剖学用語(日本解剖学会) 等
        

  

127.【磯歯津路】

2012-08-06 | 
【磯歯津路】

この漢字、みなさん、読めましたか? また、ご存知でしたか?  これは歴史的にとても古い道の名前
で ”しはつみち” と読みます。 私にとっては地元大阪の話ですが、全く知らず読む事もできません
でした。

それでは 磯歯津路(しはつみち) について書いていきましょう。

時代は5世紀後半、雄略天皇の時代にまでさかのぼります。古代日本の歴史書である 『日本書紀』によれば、
雄略天皇の時代に身狭村主青(むさのすぐりあお)という人物が呉国(中国の江南地方)の使いと共に機織の
技術者を連れて、住吉津(すみのえのつ)にやってきました。その一行は古代の宮がある奈良へと向かうの
ですが、その時に作られたのがこの 磯歯津路(しはつみち)なのです。
つまり、”呉の国から渡来した織姫たちが通った国際街道(シルクロード)”といえます。



しかし、実際にはこの”磯歯津路”は発掘ではまだ見つかっていません。つまり、”まぼろしの街道” なの
です。考古学の発掘から、住吉津周辺で5世紀後半以降に出土品が増加することや、南住吉遺跡や喜連東遺跡
などで発見された古墳時代から奈良時代の建物群は、この時期に「住吉」と「長吉」 を結ぶ交通路があった
ことを示唆しています。
現在の道でいうと、摂津・河内の国境線ともなる八尾街道、今の 長居公園通り と考える説が有力です。




”まぼろしの街道”とはいえ、古代の河内や大和・飛鳥 へとつながる道が、古代住吉の発展に果たした役割の
大きさを考えれば、”まぼろしの街道”だからといって軽く見ることはできないのです。


名前の由来・・・
住吉津は入り江になっていて、日本最古の国際港でシルクロードの日本の玄関でもありました。この住吉津と
大和・飛鳥を結ぶ幹線道路は、歯のようにジグザクに入り組んだ磯に沿った路だったので、磯歯津路(しはつ
みち)と呼ばれました。 海を越えて来たいろいろな文化が都に運ばれ、それが後に住吉街道となりました。

(参考 大阪文化財研究所 京嶋覚氏 の説明より)