【歯顔大笑】

歯を見せて大きく笑おう!

141.【赤口】

2012-11-19 | 
<赤口>(しゃっく・しゃっこう・じゃっこう)

みなさん、この"赤口"という言葉、会話の中で使う事ありますか? ほとんどの方は『ない!』、でも、時々
"目にする"事はある、そんな感じではないでしょうか。 では、どこで時々見るのか・・・。やはり一番よく
目にするのはカレンダーで、日付の横に小さく書かれている文字ですね。

カレンダーに書かれている文字とは・・・
六曜(六輝あるいは宿曜(すくよう))といわれる”冠婚葬祭万事にわたり日取りの吉凶を判断する”とされる
先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6種が書かれています。

六曜とは・・・
元々は、一ヶ月(≒30日)を5等分して6日を一定の周期とし(30÷5 = 6)、”それぞれの日を区別する為の単位”
として使われていました。それが14世紀の鎌倉時代末期から室町時代にかけて中国から日本に伝わりました。
その名称や解釈・順序も少しずつ変えられ、19世紀初頭に現在の形になったといわれてます。赤口以外の名称は
全て変わっています。(元々は”即吉、共引、周吉、虚亡、泰安、赤口”)

赤口とは・・・
「赤」という字から赤くて危ない火や、傷つけて赤い血を流させる刃物、他「死」を連想される物に注意する
日といわれています。元々、陰陽道の「赤目日」という大凶の日に由来し、午の刻(午前11時ごろから午後1時
ごろまで)のみ吉で、それ以外は凶とされています。




このように歴史があり古くから深く信じられてきたように思われ、先にも”冠婚葬祭万事にわたり日取りの吉凶を
判断する”と書いた六曜ですが、実際は明治の改暦以降に"流行ったもの"だと考えるのが正しいようです。明治時
代以前の暦には易者が書いた「占い」が書かれており、人々はそれを頼りにさまざまな行事を行っていたのです。
しかし、改暦以降、政府がそれを禁止したので、易者達は政府が出した禁止事項にはなかった六曜を使い始めました。
それまでの六曜は上述したように”それぞれの日を区別する為の単位”であって、特に人気があったり人々が気にす
るようなものではなかったのです。しかし、”仏滅”や”友引”というような言葉が仏教や縁起を連想させる事から
広まったのですが、実際はそのようなものとは全く関係ありません。よって、現在、公的機関が作成するカレンダー
には記載されることはないのです。

どうでしょう、赤口、六曜の事わかっていただけましたか? 『気にしなくてもいい!』と思っても、
すでに根付いてしまっているだけに、赤口や仏滅を無視して物事を行うのはちょっと抵抗ありますね。


139.【口三味線】

2012-11-05 | 
【口三味線】

みなさん、”口三味線”という言葉、ご存知ですか? 弾いたことありますか? よく弾きますか?
よく聞くようなそれほど聞かないような、そんな言葉ですね。

楽器の”三味線”をご存じない方はおられないと思います。 では、”三味線を弾く”というのはどうですか?
普通に楽器として”三味線を弾く”という意味ではなく、別の意味で・・・ほとんどの方にはわりとなじみの
ある表現だと思います。 その意味は・・・ ”うまく相手を丸めこむように言いかける言葉。口車。”という
事です。 ですが、実は”三味線を弾く”ではなく、”口三味線を弾く”というのが正解なのです。

”口三味線”の語源的なものは・・・
「三味線という楽器が語り手に調子を合わせて弾くことから、相手の言うことに調子を合わせて適当に応対し、
 事実でないことを言ってごまかしたり、ウソを言うというところからきている」 というものがあります。

また別なものとして、
昔、三味線には今のような楽譜が無く、全てが口伝えでした。師匠の演奏を真似るわけですが、三味線というと
頭に浮かぶあの”チン トン シャン”という音(言葉)が楽譜代わりに使われていました。いい加減そうに思
えるこの”チン トン シャン”は実はものすごく正確に決まった音とその長さを表しています。だから、きっ
ちりとその”チン トン シャン”や”チン チリ トテ シャン”等と書き残していれば、正確に伝えること
ができるのですが、口伝えのためだんだんと違った伝わり方をする事から「口三味線」=「いい加減」となった
という説です。

言葉の伝わり方にはいろいろな説があるものですが、私は後者の方が真実味と説得感があるように思います。

最後に余談として・・・
この”口三味線を弾く”を現代社会で一番実践する人、聞く人が多いのはどんな場面だと思いますか?

・・・正解は麻雀をしている時が一番のようです。”口三味線”を弾いた人が次は弾かれ、また、次の人が・・・
というふうに、普通にみんなが弾き、弾かれまくります。麻雀用語の解説の中にも載せているものが結構あります。

日常生活の中では弾くのも弾かれるのもイヤなものですね!

137.【金口木舌】

2012-10-22 | 
【金口木舌】(きんこうぼくぜつ)

本当に知らない事が多いです。 今回のこの言葉も私は知りませんでした。 みなさんはご存知でしたか?

少し回り道になるかもしれませんが、説明していきます。
まずは”風鈴”をイメージしてください。”チリンチリ~ン”と音を出すためにぶら下がっている部分を”舌”
(ぜつ)といい、開いている部分が”口”です。この風鈴の大きなサイズの物を”鐸”といい、古代中国では
民衆に法令などを発する時にこの”鐸”を使いました。”舌”が木でできているものを”木鐸”といい、文事
(文化的な行事、法律、政令など)にはこの”木鐸”を使い、武時(戦争の開始の合図など)は”舌”が金属
でできた”金鐸”を鳴らしながら街を触れ歩いたそうです。




その後、諸国遊説を続ける孔子一行に、国境の役人が「乱れた世をしっかりと導くよう、天は孔子さまを”木鐸”
とされたのです」と孔子を労いました。以来”木鐸”は「孔子さま」をもさすようになり、すぐれた言論・著書
で社会を教え導く人の例えとされました。

そして金口木舌の出典としては、揚子法言の学行篇に「孔子の説く事を伝えようとしたら、儒学者たちは自ら
金口木舌(伝道者=言論・著書で社会を教え導く人)となる心構えが必要である」というものです。

・・・っということで、”金口木舌”=「”舌”が木でできた鐸」=”木鐸”=”孔子”=”言論・著書で社会
を教え導く人”ということになります。

おわかりいただけましたか? 少し、転じて、転じてが多いですが、『なるほどなぁ~!』っという感じがしま
せんか? 


実社会においては古今東西、この”金口木舌”が権力者の占有物であり情報や世論をコントロールされる事が
多いのが現実だったようです。現代社会においてもそういう傾向はとても多いので、情報を受けたり、教えを
受ける側の能力も高めておかなければなりませんね。

136.【真実の口】

2012-10-15 | 
【真実の口】

知っている人は知っている、知らない人は聞いたこともないと、はっきり分かれる”物”だと思います。

”真実の口”は熟語や特に意味のある言葉ではなく、ある”物”についた名前です。これを有名にした一番
のものはやはりオードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックの出演した”ローマの休日”のこの場面で
しょう!



みなさん、この映画はご覧になりましたか?とても人気のある映画なので見た方も多いと思いますが、その
方々なら”真実の口”と言えば『あ~、あれか!』っとなると思います。では、詳しく書いていきましょう。

場所はローマ、サンタマリアインコスメディン教会の外壁にあります。 元々は古代ローマ時代の舗装道に
降る雨水を集めて、舗装道の下を通っている下水道に流し込むためのマンホールの蓋(ふた)だったのです。
彫られているのは海神トリトーネの顔で、偽りの心をもつ人や犯罪の疑いのある人が口に手を入れると抜け
なくなる、または切り落とされるという伝説がありました。 中世のローマ巡礼のためのガイドブックには
すでにこの大理石の顔が記されていて、時の経過と共にエピソードは増えていきました。虚偽の宣誓をした
皇帝(フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス帝)(紀元4世紀)の手が抜けなくなったとか、”真実の
口”そのものでなくても、犯罪の疑いがある人間が連れて行かれ、もし有罪とされたら手を切られました。

”魔力喪失”
ある不貞な妻が浮気をしていないことを誓わされることとなりました。実際はやっており、有罪であるにも
かかわらず、助かるために誓いの日にその浮気相手に狂人のふりをして現れて皆の前で彼女に抱きつきキス
をさせました。“夫とこの狂人以外、私に抱擁とキスをした人間はいないのです”と証言し彼女は”真実の口”
に手を差し入れ、なんと抜けなくなる事も切り落とされることもなく無実になってしまったのです。こうして
彼女は面目を保ったのですが、まんまと騙されてしまった真実の口はこの日から魔力を失ってしまったのです。
それから長い月日を経た今、真実の口は魔力を失ってしまいましたが、その魅力は失わずローマを象徴する
シンボルとなり、多くの観光客や見物客でにぎわっているのです。


どうでしょう、映画”ローマの休日”を見たことがない方は見たくなり、見た方は一度訪れてみたいと思った
のではないでしょうか? 行く時はやましい事がない状態で、たとえ”真実の口”の魔力が復活しても挟まれ
たり、切り落とされたりする事がないようにして行きましょう!




134.【不悪口】

2012-10-01 | 
【不悪口】(ふあっく)

とてもわかりやすい文字で意味も想像しやすいと思いますが、これは仏教における戒律の”十善戒 ”の
うちの一つでとても奥の深い言葉なのです。
以前 ”悪口雑言 ” をご紹介しましたが、それとも関連があるのでご参照ください。


まずは十善戒から・・・

<十善戒>
 不殺生[ふせっしょう] (殺生せず)
 不偸盗[ふちゅうとう] (盗みをせず)
 不邪淫[ふじゃいん]  (ふしだらな行為をせず)
 不妄語[ふもうご]  (嘘をいわず)
 不綺語[ふきご]  (お世辞をいわず)
 不悪口[ふあっく]  (悪口をいわず )
 不両舌[ふりょうぜつ] (二枚舌を使わず)
 不慳貪[ふけんどん]  (欲張らず)
 不瞋恚[ふしんに]  (そねみ心を持たず)
 不邪見[ふじゃけん]  (不正な考えをせず)

私たちが生きている中でわかっているけれど、ついついやってしまう事柄をとてもうまく戒めています。

それでは、”不悪口”について書いていきましょう。
文字通り他人の”悪口”や過ちを言いふらさないということと、憎しみや反抗の心を持って”乱暴な言葉”
を使わないという戒めです。

”悪口”(わるくち)に関しては言っている本人に意識があるないにかかわらず、悪口の対象相手より
優越感を得ようとする意識の表れで、一時の快楽を求めていると言われています。これは麻薬と同じ構造
で一時は満たされることはあっても自分自身を蝕み、どんどんエスカレートし、摂取せず(言わず)には
いられないという状態になってしまいます。結局、身を滅ぼす事になるのでしっかりと戒めないといけな
いという事です。

そして、もう一方の”乱暴な言葉”については、元々言葉は自分の意志を伝えるためのものであり、特に
日本語はとても美しく多くの言い回しがある言葉です。そのような言葉を使って相手を不快にさせたり、
怒らせたりして、いざかいを生じさせる事は言葉本来の目的ではありません。よって言葉を凶器のように
用いる事もしっかりと戒めないといけません。

解釈として「本人の前で言える事は悪口ではなく、本人がいる前で言えない事を言うな」というものも
ありますが、本人が目の前にいて”乱暴な言葉”(意味も含めて)すれすれの事を言うぐらいなら、最初
からそんな言葉自体も言わない方がいいでしょう。

こうやって書いていくと、とても道徳的で「”不悪口”の戒めなんて簡単だ!」という声が聞こえてきそう
です。確かに不悪口だけを守るなら簡単かもしれませんが、この十戒をもう一度見てください。不妄語
(嘘をいわず)、不綺語(お世辞をいわず)、不両舌(二枚舌を使わず)・・・話しをすることだけでこれ
だけの戒めがあるのです。その他の戒めとあわせて一つ一つを守るとなると、とてもとても大変で無口に
なって行動も萎縮してしまいそうです。 だから、これらの戒めは常に心のどこかおいていて、思い起こす
ことによって変化が生まれてくると考えればいいようです。 


仏教だけでなく、宗教に関することは奥が深く『なるほどなぁ~!』と感心させられることが多いですが、
解釈が難しい!という感はありますね。  

今回の”不悪口” おわかりいただけましたか?『何書いてるのか全然わからん! 説明ヘタやなぁ!』
っと悪口言わんといてくださいね!