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【歯顔大笑】

歯を見せて大きく笑おう!

146.【歯と鏡餅】

2012-12-26 | 
【歯と鏡餅】

年末年始の時期なのでお正月の話題を書きます。 みなさん、『歯と鏡餅に何の関係があるの?』と思われ
た事と思います。実は大いに関係がある事なのです! それでは、ご紹介していきましょう。

年齢の齢という字には歯が含まれているように、昔から健康と長寿のためには丈夫な歯が大切だと考えられ
てきました。そこで、年始に歯の丈夫を祈って固くなった鏡餅を食べるという行事が生まれ、これを「歯固め」
といい、現在の鏡開きが「歯固め」の儀式にあたるのです。

平安時代に書かれた紫式部の『源氏物語』には既に正月行事について次のような記述があります。
「ここかしこに群れゐつつ、歯固めの祝いして、餅鏡さへ取りよせて、千歳のかげにしるき年の内の祝い事
どもして、そぼれあへるに、」
当時の宮中の正月行事では、新年の健康・良運・長寿を願う意味で、歯固めの祝いと鏡餅の祝いとがセットに
なっていたということです。

・・・・・ここで少し、鏡餅の話を。

なぜ鏡餅というのか。
神話時代の鏡に由来します。鏡は天照大神から授かった三種の神器のひとつであり、丸い形をした銅鏡で、
伊勢神宮をはじめ鏡をご神体としているところもたくさんあります。その銅鏡に模したお餅をご神体として
考え、年神様の依り代(よりしろ:神霊がよりつく対象物のこと)として”鏡餅”といわれるようになりました。

そもそもお正月というのは新年の神様である「年神様」を家に迎え、もてなし、見送る行事です。年神様は
新しい年の幸福や恵みとともに一年分の力(=魂)を分け与えてくださると考えられてきました。家にお迎え
した年神様は鏡餅におられ、その鏡餅には年神様の”御魂”(みたま)が宿ります。その年の”御魂”=”年魂”
=”餅玉(魂)”と言い、年魂をあらわす餅玉を、家長が家族に「御年魂」「御年玉」として分け与えました。
これがお年玉のルーツで、玉には魂という意味があるのです。また、この餅玉を食べるための料理が「お雑煮」
で、餅を食べることで体に一年分の力(=魂)を取り込むのです。

”鏡餅”の事がわかった上でまとめると・・・

年神様の”御魂”(みたま)が宿った鏡餅が、歳末から正月飾りとして供えられ新年の厳粛さをかもし出します。
そして固くなった鏡餅は鏡開きの日にぜんざいなどにして食され、その聖なる力と歯固めの効力とが人びとに分か
ち与えられます。このように伝統的な行事を、歴史的な事を知った上で行うと今までは感じなかったものを感じる
と同時に日本文化の奥深さを感じる事ができますね。

今回の”歯と鏡餅”、お正月に誰かに語ってみたくなる話ではないですか???




143.【出歯亀】

2012-12-03 | 
【出歯亀】(デバガメ)

みなさん、"出歯亀""デバガメ"という言葉聞いたことありますか?たまに耳する事もあるかもしれませんが
最近はあまり使わなくなったかもしれません。私自身もはっきりとした意味を知らず、なんとなく"おもしろい
響きであまりいい意味では使われない言葉・・・"くらいの認識しかありませんでした。

では、意味を・・・”のぞき魔、のぞきの常習犯、変態、などの意味の表現。明治時代に登場した語。”

意味自体は『へぇ~、そうなのか。。。』くらいかもしれませんが、私は言葉のおかしな響きと意味がうまく
合ってるなぁという印象を受けました。 そして、最後にある"明治時代に登場した語"、これがどういう意味
を持つか・・・『えっ、そんなんやったんかぁ~!』というもので、 この言葉の"語源"と関係があるので書
いていきましょう。

1908年(明治41年)3月、銭湯帰りの27歳の女性が殺されるという事件が起きました。事件発生当初より大々的
に報道される中、以前にも女湯の覗き行為を行っていた「出歯の亀吉」こと植木職人の池田亀太郎(当時35歳)
が犯人として逮捕されたのです。注目を集める事件であったために、新聞は捜査の当初から詳細に報道しており、
池田亀太郎が”出っ歯”という特徴を持っていたことから彼を”出歯亀”と呼んで報道し、それは彼を指す言葉と
してここで定着したそうです。この事件は「出歯亀事件」として同時代人の心に大きなインパクトを与えたのと
同時に、現代にまで”出歯亀”という語はのぞき趣味やのぞき行動を指す言葉として残ったのです。
しかし、池田亀太郎は、実際には出っ歯ではなく、「出しゃばり」であったことが転じて「出張り」=「出歯」と
なったのではないかという説や、事件そのものも冤罪ではないかという説があり、真相は定かではありません。
ただし、この事件の報道をきっかけに「出歯亀」という言葉が広まり定着したのは事実のようです。

”出歯亀”という言葉が元々は人の名前から来ていたとは驚きですね。普通は誇れる事で"名を残す"事を皆、
望みますが、不名誉な形で末代まで名を残すことになったこと、"出歯亀"はどのように感じているのでしょう。

140.【歯の漢詩】

2012-11-12 | 
<歯の漢詩>

今回はゴチャゴチャ書きません。 とにかく読んでみてください! (左側が漢詩、右側が訳です。)

 去年落一牙 去年は奥歯が一本抜け、
 今年落一齒 今年は前歯が一本抜けた。
 俄然落六七 ちょっとの間に六本七本とぬけてゆき、
 落勢殊未已 歯の抜ける勢いはなかなかやみそうもない。
 餘存皆動搖 あとに残った歯もみなグラグラして、
 盡落應始止 きっと全部抜け落ちるまではおさまらぬらしい。

 憶初落一時 最初に一本抜けたときのことを思い出す。
 但念豁可恥 あの時はただ歯と歯の間がぱかり透いたのを恥ずかしいと思った。
 及至落二三 しかしそのあと二・三本と抜けてゆくにつれて、
 始憂衰即死 このまま老衰して死ぬのではと心配した。
 毎一將落時 そして一本抜けそうになるたびに、
 懍懍恆在己 いつもビクビクした思いにとりつかれた。

 叉牙妨食物 ちぐはぐでものを食べるのに不自由だし、
 顛倒怯漱水 グラグラしてうがいをするのもビクビクものだった。
 終焉捨我落 とうとう私を見捨てて抜けてしまったときには、
 意與崩山比 まるで山が崩れ落ちたような気がした。
 今來落既熟 このころはもう抜けることにすっかり慣れっこになって、
 見落空相似 抜けてもああまたかと思うだけだ。

 餘存二十餘 後に残った二十余本も、
 次第知落矣 次々に抜けてゆくに違いない。
 儻常歳落一 だが仮に毎年一本ずつ抜けるとしても、
 自足支両紀 二十余年は十分に持つ勘定だ。
 如其落併空 もしまた万が一、いっぺんに抜けて完全な歯なしになったとしても、
 與漸亦同指 少しずつ抜けてゆくのと結局は同じことだ。

 人言齒之落  人は言う、「歯が抜ければ、
 壽命理難恃  寿命の方も当然ながらあてにならぬ」と。
 我言生有涯  私は言う、「生命には限りがある。
 長短倶死爾  長寿だろうと短命だろうと結局は同様に死ぬのだ」と。
 人言齒之豁  人は言う、「歯にポッカリすきまが出来ると、
 左右驚諦視  周囲がびっくりしてじろじろみるだろう」と。

 我言荘周云 私は言う、「荘子も言っているように、
 木鴈各有喜 「有用のもの無用のものもそれぞれ長所がある」と。
 語訛黙固好 ものが言いにくくなれば、黙っていられるからかえって都合がよい。
 嚼廢軟還美 噛むことが出来なくなったら、軟らかいものがずっとうまくなるだろう」と。
 因歌遂成詩 そこで歌ったあげくに、この一遍の詩を作り上げた。
 持用詫妻子 ひとつ、妻や子供達に見せびらかしてやろう。

 (現代語解釈 「韓退之全歌集」<久保天随 日本図書センター>より)
 
歯について書かれた漢詩です。“白楽天”・“韓愈”・“陸游”等が有名なのですが、これは“韓愈”
の歌です。韓愈は唐の時代の有名な文学者・思想家、そして政治家でもありました。この歌を詠んだ頃、
彼はまだ36歳だったそうです。 歯周病だったのですねぇ。。。 それにしても、時代が変わっても、
どんなにえらい人、賢い人にも歯周病は起こり、人間みな同じような気持ちになるものなんですね。

・・・・・こんな症状、気持ちにならないように、しっかり歯を磨き、定期検診も受けましょうね!

135.【結ぶより早歯にひびく泉かな】

2012-10-09 | 

【結ぶより早歯にひびく泉かな】 (むすぶよりはやはにひびくいずみかな) 

この句、聞いたことありますか? 歯が入っているのでご紹介するのですが、私は聞いたことも見たことも
ありませんでした。 誰の句なのか、どういう意味なのか、想像するのも結構難しい句だと思うのですが、
みなさん、いかがですか?

この句は元禄二年頃、松尾芭蕉が46~48歳のものです。

意味は・・・
1.”結ぶ”とは本当は”掬ぶ(むすぶ)”で、その意味は「水などを左右の手のひらを合わせてすくう。」
ことです。つまり、夏の山道などで泉を見つけ、思わず駆け寄って両手ですくう(掬う)と、その冷たさが
まだ口にいれないうちから、歯にしみわたる(しみる)ような気がするという意味です。 

2.もう一つの解釈として”結ぶ(掬ぶ)より早”で一つのものとして、”飲むとすぐに””飲むやいなや”
という意味で(志田義秀『芭蕉俳句の解釈と鑑賞』より)、「飲むとすぐ冷たく感じて気持ちがいい」「飲む
とすぐに歯にしみる」というものがあります。

通常は1の意味で、46~48歳の松尾芭蕉が知覚過敏症や歯槽膿漏で苦しんでいて、泉の水を口に入れる前
からしみるような気がして自分も歳をとったと感じ、冷泉のおいしい水を十分味わえないことを嘆いていると
いう解釈が多いです。もし、2の「飲むとすぐに冷たく感じ気持ちがいい」であればとても文学的で学校で教
えるにはかっこいいですが、それ以外なら洋の東西、時代、偉人、凡人を問わずあらゆる人がむし歯、知覚過
敏、歯周病などに悩み続けているということですね。 とても興味深いです。


余談ですが、日本全国にはこの句の基が15あります。そのうち”泉かな”となっているものは2基、あとの
13基は”清水かな”となっているのです。もともと、この基が建てられる場所は昔から旅人や地元の人たち
が貴重な水を得ることができる清水や泉の水辺だったので”泉”がいつの間にか”清水”となって伝わって
しまったのではないかと考えられています。




岐阜県養老郡養老町千歳楼の句碑

130.【お歯黒べったり】

2012-09-03 | 
【お歯黒べったり】

みなさん、この”お歯黒べったり”ってご存知ですか? お歯黒自体も今は全く見る事もないので、”お歯黒
べったり”と言われたら、お歯黒を塗りすぎたくらいにしか想像できないかもしれませんね。実はこれ暑い夏
にヒヤッと一瞬の涼しさを味わわせてくれる(?)妖怪の一つなのです。

まずは簡単にお歯黒について
江戸時代に既婚女性が行なった化粧の一種で、鉄片を酒・茶・酢で酸化させた液で歯を黒く染めるもの。
ここ”歯願大笑”でも少し書きました。 (お歯黒・・・サイドストーリー


それでは、もう少し”お歯黒べったり”について・・・
歯黒べったりとも言い、妖怪の一種。目も鼻も無い顔に、お歯黒を付けた大きな口だけがある女の妖怪。
人を驚かせるだけで、危害を加えることはないそうです。


さらに詳しく・・・

”江戸時代後期の画家竹原春泉作の『絵本百物語(別名『桃山人夜話』)』に姿が描かれている。詞書には、
「ある人が古い社の前を通ったとき、美しげな女が伏し拝んでいるので、戯れに声を掛けて過ぎようとし
たところ、その女が振り向いた。顔を見ると目も鼻も無く、大きな口でけらけらと笑った。二度と見たく
ないほど恐ろしかった」という意味のことが記されている。また、「東国では『のっぺらぼう』とも言い、
多くは狐狸の化け損なったもの」ともある。

『絵本百物語』のお歯黒べったりは角隠しを着け、美しい着物を着た姿で描かれているので、結婚前に死ん
だ女性の亡霊とも言われるが、角隠しは、もともと浄土真宗信者の女性が寺参りに際して着用する物であっ
たから断定はできない。また、のっぺらぼうは小泉八雲の短編『むじな』にあるように、ムジナ・キツネ・
タヌキなどが人を驚かせるために化けたものであるとも言い伝えられるので、お歯黒べったりもその類とも
考えられる。”  Wikipediaより



考えてみると、お歯黒は一時の流行であり、廃(す)たれてしまうとそれ自体が奇異なものに感じてしまい
ます。だから、今の次代で考えると美白、ガングロ、染髪、脱色、刺青等も何十年、何百年経って、写真
や絵を見ると妖怪やお化けのように思われるかもしれませんね。