【歯顔大笑】

歯を見せて大きく笑おう!

138.【唾の呪力】

2012-10-29 | その他
【唾の呪力】

唾は普段から身近で、言葉としても”唾が出る””唾を吐く”等とよく耳にするものです。そんな身近な唾
ですが、実は古代からいろいろな”呪力”を持ったものと考えられてきたのです。

世界的には・・・
『黄金伝説』104「聖ペテロ鎖の記念」では指で十字の印を作って龍につきつけ、さらに唾を龍の顎に吐き
かけてこれを倒したとか、『ギリシア神話』では教えた占術を「私の口中に唾をはけ」命ずる事で忘れさせ
たり、『マルコによる福音書』第8章ではイエスは盲人の両目に唾をつけ、両手をその上に当てて開眼させた
という伝説などもあります。

日本では・・・
神話時代からなんと、”唾の神様”までおられたのです! 古事記・日本書紀の最初の方でイザナミノミコト
が亡くなり、イザナキノミコトが黄泉国(ヨミノクニ・死者の世界)に会いに行くという場面ご存知の方も多い
と思います。そして、古事記には描かれていませんが、日本書紀ではこの二神が別れを宣言した時に唾の神・
速玉之男(ハヤタマノヲ・結合の神)が誕生したと書かれていて、唾には呪力があり、約束を固める時になど
にも用いられたと考えられています。

古事記の中には浦島太郎伝説のモデルになった海幸彦・山幸彦神話があります。その中にも”山幸彦が水を飲
みたいというと、侍女が玉の器に水を入れてさしだすと、山幸彦は自分の首飾りの玉を解いてそれを口に含ん
でからその器のなかに吐きいれます。すると玉は器の底にくっついて離れません。やむなく侍女は、玉がつい
たままの器をお姫様にさしだします。・・・”これは唾の呪力により起きたもので、宮殿へ行く事、出会い、
等その後の展開へとつながっていくのです。その他にも古事記、日本書紀の中には唾に関する記述がいくつか
出てきます。

また、唾は神聖なもので霊力があり、その人の魂が含まれているとも考えられています。
”眉唾”という言葉は狐や狸が人の眉毛の数を数えて化けると言われていたので、数えられないように霊力の
ある唾を眉毛に塗ったことからこの言葉が生まれたという説もあります。 その他に、家族でもお箸、皿、
茶碗等を決めるのは、それぞれの魂が宿るからと考えられています。

その他
傷に唾を塗る   『唾をつけておけば治る』これは唾には傷を治す呪力があると信じられてきたからです。
手に唾を・・・  『さぁ、やるぞ~!』とか重いものを持ち上げる時などに手に唾をペッペっとする仕草を
          します。これは唾の呪力で生命力を増幅するお呪い(おまじない)です。
唾を吐く     唾には約束を履行・保証する力があると考えられているので、唾を吐くというのは契りを
         絶つこと、不履行にする意味が含まれます。


唾にこれほどの話があったとご存知でしたか? いろいろ知るとおもしろい事がたくさん出てきますね。
特に古事記、日本書紀といった古い本には本当におもしろく興味深い事が出てきます。これからもまた
ここで歯・口などに関係する事をご紹介していきたいと思います!

137.【金口木舌】

2012-10-22 | 
【金口木舌】(きんこうぼくぜつ)

本当に知らない事が多いです。 今回のこの言葉も私は知りませんでした。 みなさんはご存知でしたか?

少し回り道になるかもしれませんが、説明していきます。
まずは”風鈴”をイメージしてください。”チリンチリ~ン”と音を出すためにぶら下がっている部分を”舌”
(ぜつ)といい、開いている部分が”口”です。この風鈴の大きなサイズの物を”鐸”といい、古代中国では
民衆に法令などを発する時にこの”鐸”を使いました。”舌”が木でできているものを”木鐸”といい、文事
(文化的な行事、法律、政令など)にはこの”木鐸”を使い、武時(戦争の開始の合図など)は”舌”が金属
でできた”金鐸”を鳴らしながら街を触れ歩いたそうです。




その後、諸国遊説を続ける孔子一行に、国境の役人が「乱れた世をしっかりと導くよう、天は孔子さまを”木鐸”
とされたのです」と孔子を労いました。以来”木鐸”は「孔子さま」をもさすようになり、すぐれた言論・著書
で社会を教え導く人の例えとされました。

そして金口木舌の出典としては、揚子法言の学行篇に「孔子の説く事を伝えようとしたら、儒学者たちは自ら
金口木舌(伝道者=言論・著書で社会を教え導く人)となる心構えが必要である」というものです。

・・・っということで、”金口木舌”=「”舌”が木でできた鐸」=”木鐸”=”孔子”=”言論・著書で社会
を教え導く人”ということになります。

おわかりいただけましたか? 少し、転じて、転じてが多いですが、『なるほどなぁ~!』っという感じがしま
せんか? 


実社会においては古今東西、この”金口木舌”が権力者の占有物であり情報や世論をコントロールされる事が
多いのが現実だったようです。現代社会においてもそういう傾向はとても多いので、情報を受けたり、教えを
受ける側の能力も高めておかなければなりませんね。

136.【真実の口】

2012-10-15 | 
【真実の口】

知っている人は知っている、知らない人は聞いたこともないと、はっきり分かれる”物”だと思います。

”真実の口”は熟語や特に意味のある言葉ではなく、ある”物”についた名前です。これを有名にした一番
のものはやはりオードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックの出演した”ローマの休日”のこの場面で
しょう!



みなさん、この映画はご覧になりましたか?とても人気のある映画なので見た方も多いと思いますが、その
方々なら”真実の口”と言えば『あ~、あれか!』っとなると思います。では、詳しく書いていきましょう。

場所はローマ、サンタマリアインコスメディン教会の外壁にあります。 元々は古代ローマ時代の舗装道に
降る雨水を集めて、舗装道の下を通っている下水道に流し込むためのマンホールの蓋(ふた)だったのです。
彫られているのは海神トリトーネの顔で、偽りの心をもつ人や犯罪の疑いのある人が口に手を入れると抜け
なくなる、または切り落とされるという伝説がありました。 中世のローマ巡礼のためのガイドブックには
すでにこの大理石の顔が記されていて、時の経過と共にエピソードは増えていきました。虚偽の宣誓をした
皇帝(フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス帝)(紀元4世紀)の手が抜けなくなったとか、”真実の
口”そのものでなくても、犯罪の疑いがある人間が連れて行かれ、もし有罪とされたら手を切られました。

”魔力喪失”
ある不貞な妻が浮気をしていないことを誓わされることとなりました。実際はやっており、有罪であるにも
かかわらず、助かるために誓いの日にその浮気相手に狂人のふりをして現れて皆の前で彼女に抱きつきキス
をさせました。“夫とこの狂人以外、私に抱擁とキスをした人間はいないのです”と証言し彼女は”真実の口”
に手を差し入れ、なんと抜けなくなる事も切り落とされることもなく無実になってしまったのです。こうして
彼女は面目を保ったのですが、まんまと騙されてしまった真実の口はこの日から魔力を失ってしまったのです。
それから長い月日を経た今、真実の口は魔力を失ってしまいましたが、その魅力は失わずローマを象徴する
シンボルとなり、多くの観光客や見物客でにぎわっているのです。


どうでしょう、映画”ローマの休日”を見たことがない方は見たくなり、見た方は一度訪れてみたいと思った
のではないでしょうか? 行く時はやましい事がない状態で、たとえ”真実の口”の魔力が復活しても挟まれ
たり、切り落とされたりする事がないようにして行きましょう!




135.【結ぶより早歯にひびく泉かな】

2012-10-09 | 

【結ぶより早歯にひびく泉かな】 (むすぶよりはやはにひびくいずみかな) 

この句、聞いたことありますか? 歯が入っているのでご紹介するのですが、私は聞いたことも見たことも
ありませんでした。 誰の句なのか、どういう意味なのか、想像するのも結構難しい句だと思うのですが、
みなさん、いかがですか?

この句は元禄二年頃、松尾芭蕉が46~48歳のものです。

意味は・・・
1.”結ぶ”とは本当は”掬ぶ(むすぶ)”で、その意味は「水などを左右の手のひらを合わせてすくう。」
ことです。つまり、夏の山道などで泉を見つけ、思わず駆け寄って両手ですくう(掬う)と、その冷たさが
まだ口にいれないうちから、歯にしみわたる(しみる)ような気がするという意味です。 

2.もう一つの解釈として”結ぶ(掬ぶ)より早”で一つのものとして、”飲むとすぐに””飲むやいなや”
という意味で(志田義秀『芭蕉俳句の解釈と鑑賞』より)、「飲むとすぐ冷たく感じて気持ちがいい」「飲む
とすぐに歯にしみる」というものがあります。

通常は1の意味で、46~48歳の松尾芭蕉が知覚過敏症や歯槽膿漏で苦しんでいて、泉の水を口に入れる前
からしみるような気がして自分も歳をとったと感じ、冷泉のおいしい水を十分味わえないことを嘆いていると
いう解釈が多いです。もし、2の「飲むとすぐに冷たく感じ気持ちがいい」であればとても文学的で学校で教
えるにはかっこいいですが、それ以外なら洋の東西、時代、偉人、凡人を問わずあらゆる人がむし歯、知覚過
敏、歯周病などに悩み続けているということですね。 とても興味深いです。


余談ですが、日本全国にはこの句の基が15あります。そのうち”泉かな”となっているものは2基、あとの
13基は”清水かな”となっているのです。もともと、この基が建てられる場所は昔から旅人や地元の人たち
が貴重な水を得ることができる清水や泉の水辺だったので”泉”がいつの間にか”清水”となって伝わって
しまったのではないかと考えられています。




岐阜県養老郡養老町千歳楼の句碑

134.【不悪口】

2012-10-01 | 
【不悪口】(ふあっく)

とてもわかりやすい文字で意味も想像しやすいと思いますが、これは仏教における戒律の”十善戒 ”の
うちの一つでとても奥の深い言葉なのです。
以前 ”悪口雑言 ” をご紹介しましたが、それとも関連があるのでご参照ください。


まずは十善戒から・・・

<十善戒>
 不殺生[ふせっしょう] (殺生せず)
 不偸盗[ふちゅうとう] (盗みをせず)
 不邪淫[ふじゃいん]  (ふしだらな行為をせず)
 不妄語[ふもうご]  (嘘をいわず)
 不綺語[ふきご]  (お世辞をいわず)
 不悪口[ふあっく]  (悪口をいわず )
 不両舌[ふりょうぜつ] (二枚舌を使わず)
 不慳貪[ふけんどん]  (欲張らず)
 不瞋恚[ふしんに]  (そねみ心を持たず)
 不邪見[ふじゃけん]  (不正な考えをせず)

私たちが生きている中でわかっているけれど、ついついやってしまう事柄をとてもうまく戒めています。

それでは、”不悪口”について書いていきましょう。
文字通り他人の”悪口”や過ちを言いふらさないということと、憎しみや反抗の心を持って”乱暴な言葉”
を使わないという戒めです。

”悪口”(わるくち)に関しては言っている本人に意識があるないにかかわらず、悪口の対象相手より
優越感を得ようとする意識の表れで、一時の快楽を求めていると言われています。これは麻薬と同じ構造
で一時は満たされることはあっても自分自身を蝕み、どんどんエスカレートし、摂取せず(言わず)には
いられないという状態になってしまいます。結局、身を滅ぼす事になるのでしっかりと戒めないといけな
いという事です。

そして、もう一方の”乱暴な言葉”については、元々言葉は自分の意志を伝えるためのものであり、特に
日本語はとても美しく多くの言い回しがある言葉です。そのような言葉を使って相手を不快にさせたり、
怒らせたりして、いざかいを生じさせる事は言葉本来の目的ではありません。よって言葉を凶器のように
用いる事もしっかりと戒めないといけません。

解釈として「本人の前で言える事は悪口ではなく、本人がいる前で言えない事を言うな」というものも
ありますが、本人が目の前にいて”乱暴な言葉”(意味も含めて)すれすれの事を言うぐらいなら、最初
からそんな言葉自体も言わない方がいいでしょう。

こうやって書いていくと、とても道徳的で「”不悪口”の戒めなんて簡単だ!」という声が聞こえてきそう
です。確かに不悪口だけを守るなら簡単かもしれませんが、この十戒をもう一度見てください。不妄語
(嘘をいわず)、不綺語(お世辞をいわず)、不両舌(二枚舌を使わず)・・・話しをすることだけでこれ
だけの戒めがあるのです。その他の戒めとあわせて一つ一つを守るとなると、とてもとても大変で無口に
なって行動も萎縮してしまいそうです。 だから、これらの戒めは常に心のどこかおいていて、思い起こす
ことによって変化が生まれてくると考えればいいようです。 


仏教だけでなく、宗教に関することは奥が深く『なるほどなぁ~!』と感心させられることが多いですが、
解釈が難しい!という感はありますね。  

今回の”不悪口” おわかりいただけましたか?『何書いてるのか全然わからん! 説明ヘタやなぁ!』
っと悪口言わんといてくださいね!