今週はショパンのノクターンOp.27に集中。
・・・のつもりが全くダメ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_cry2.gif)
音のイメージが出てこなくて、どうやって弾いたものか悩み通し。
頭の中で音楽が鳴らない。
「こう弾きたい」という表現の欲求がなければ
1音だって楽しめないじゃんか。
しかも2曲とも同じ状態。レッスンは来週末なので気ばかり焦る。
こんな状態になった原因は心当たりがある。
先週までかかりきりだったバッハだ。
おかげさまで、随分内容がしっかりしたものに仕上がったのだが
(と自分では思っている 笑。内容を全て見直したからな~・・・。)
そのために自分のインスピレーションみたいなものというか
表現の欲求がすっかり枯渇してしまったみたいだ。
だからここのところ
日記の更新をしようと思っても、言葉がつっかかって一向に出てこない。
同様に音も、ワタシの指から紡ぎだされることができない。
つまらん。
でも不安と焦りで混乱しそうな心を自らなだめ、
なるべく冷静になろうと努めた。
とにかくピアノに会い対さなければである。
「音」のイメージが沸かないって・・・大体、そもそも「音」ってなんなんだ?
今まで気にもしていなかった、音楽の根本ともいえる問題に気づく。
ピアノが好きだから、ただそれだけの理由で
当たり前のように生み出しては消滅させていった
幾万どころじゃない気の遠くなるくらいの数の「音」のことを、ふと考えた。
「こういう疑問って、本当は学生の時に持って研究すべきなんだよな」
そう思ったが、過ぎてしまった青春を後悔しても仕方がない。
ふと思い立って、学生のときに講義用に購入した音楽美学の著作を取り出した。
パラパラと中をみると、まっさら、新品同様(笑)。
学長の講義があまりにも現実離れしていて、さっぱり面白みがなく
確か履修を中止したような気がした。
入試の必修科目である音楽理論みたいにポピュラーな学問ではないのだろうが
やはり音楽美学の勉強は必要なんだ、ということを今更思い知る。
美学の本は練習中には読めそうもないので蓋をし(笑)
手近にあったショパン関連の書籍のページを繰ってみた。
それによると
ノクターンOp27はショパンが1835年25歳の時に作曲した作品であり
同時期の作品で有名なのはファンの多いバラードの1番。
マリア・ヴォジンスカに熱烈な思いを寄せたり
喀血しちゃったりして色々大変だっただそうだ。
でもなんせ20代なので
作品からは気力と体力の充実が感じられる気がする(笑)。
続けてショパンの演奏法と教授法について述べられたページを見てみる。
ショパンの奏法は自然な手の形で弾くことが基本だったようだ。
つまり脱力した時の手の形である。
そしてショパンが弟子へこう教えたという部分が目に入った。
「最高の音楽に耳を傾けているつもりで演奏すること。
聴きたいと思うように演奏すること。
おどおどせず、自分を信じて演奏すること。
でも聴かれていることを忘れないこと。
自分の理想に従い、あなたの心で聴かなくてはならない。」
ともすれば聴きなれた教えではあるのだけれど
何せショパン様のおっしゃること、素直にワタシの心に入り込んだ(笑)。
やがて何となく心が落ち着いて問題点が少し見えてきた気がした。
27-1の方は中間部のリズムが甘くなるので
左のオクターブだの音が飛んでいる音だのをよくはずすんじゃないか?
その影響は再現部まで及ぶし、もう少しきっちりやり直さなきゃいけない。
冒頭と再現部分はもう少し各声部の共鳴を味わいたい。
27-2の方は細かい音符に惑わされ、
メロディーがおろそかになっていないだろうか?
(ということで、右手の部分だけ取り出して練習)
左手の部分と右手の部分の微妙なズレを最近楽譜から感じるのだが
この考え方でいいのか、検証しなければいけない気がする。
この2曲にはもう2年もお世話になっている。
1度は仕上がった曲なのだが、自分の理想とはまだまだかけ離れており
まだまだ勉強が必要だ。
自由で柔軟で自然なショパン。
早くそういう演奏ができるようになりたい。
・・・のつもりが全くダメ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_cry2.gif)
音のイメージが出てこなくて、どうやって弾いたものか悩み通し。
頭の中で音楽が鳴らない。
「こう弾きたい」という表現の欲求がなければ
1音だって楽しめないじゃんか。
しかも2曲とも同じ状態。レッスンは来週末なので気ばかり焦る。
こんな状態になった原因は心当たりがある。
先週までかかりきりだったバッハだ。
おかげさまで、随分内容がしっかりしたものに仕上がったのだが
(と自分では思っている 笑。内容を全て見直したからな~・・・。)
そのために自分のインスピレーションみたいなものというか
表現の欲求がすっかり枯渇してしまったみたいだ。
だからここのところ
日記の更新をしようと思っても、言葉がつっかかって一向に出てこない。
同様に音も、ワタシの指から紡ぎだされることができない。
つまらん。
でも不安と焦りで混乱しそうな心を自らなだめ、
なるべく冷静になろうと努めた。
とにかくピアノに会い対さなければである。
「音」のイメージが沸かないって・・・大体、そもそも「音」ってなんなんだ?
今まで気にもしていなかった、音楽の根本ともいえる問題に気づく。
ピアノが好きだから、ただそれだけの理由で
当たり前のように生み出しては消滅させていった
幾万どころじゃない気の遠くなるくらいの数の「音」のことを、ふと考えた。
「こういう疑問って、本当は学生の時に持って研究すべきなんだよな」
そう思ったが、過ぎてしまった青春を後悔しても仕方がない。
ふと思い立って、学生のときに講義用に購入した音楽美学の著作を取り出した。
パラパラと中をみると、まっさら、新品同様(笑)。
学長の講義があまりにも現実離れしていて、さっぱり面白みがなく
確か履修を中止したような気がした。
入試の必修科目である音楽理論みたいにポピュラーな学問ではないのだろうが
やはり音楽美学の勉強は必要なんだ、ということを今更思い知る。
美学の本は練習中には読めそうもないので蓋をし(笑)
手近にあったショパン関連の書籍のページを繰ってみた。
それによると
ノクターンOp27はショパンが1835年25歳の時に作曲した作品であり
同時期の作品で有名なのはファンの多いバラードの1番。
マリア・ヴォジンスカに熱烈な思いを寄せたり
喀血しちゃったりして色々大変だっただそうだ。
でもなんせ20代なので
作品からは気力と体力の充実が感じられる気がする(笑)。
続けてショパンの演奏法と教授法について述べられたページを見てみる。
ショパンの奏法は自然な手の形で弾くことが基本だったようだ。
つまり脱力した時の手の形である。
そしてショパンが弟子へこう教えたという部分が目に入った。
「最高の音楽に耳を傾けているつもりで演奏すること。
聴きたいと思うように演奏すること。
おどおどせず、自分を信じて演奏すること。
でも聴かれていることを忘れないこと。
自分の理想に従い、あなたの心で聴かなくてはならない。」
ともすれば聴きなれた教えではあるのだけれど
何せショパン様のおっしゃること、素直にワタシの心に入り込んだ(笑)。
やがて何となく心が落ち着いて問題点が少し見えてきた気がした。
27-1の方は中間部のリズムが甘くなるので
左のオクターブだの音が飛んでいる音だのをよくはずすんじゃないか?
その影響は再現部まで及ぶし、もう少しきっちりやり直さなきゃいけない。
冒頭と再現部分はもう少し各声部の共鳴を味わいたい。
27-2の方は細かい音符に惑わされ、
メロディーがおろそかになっていないだろうか?
(ということで、右手の部分だけ取り出して練習)
左手の部分と右手の部分の微妙なズレを最近楽譜から感じるのだが
この考え方でいいのか、検証しなければいけない気がする。
この2曲にはもう2年もお世話になっている。
1度は仕上がった曲なのだが、自分の理想とはまだまだかけ離れており
まだまだ勉強が必要だ。
自由で柔軟で自然なショパン。
早くそういう演奏ができるようになりたい。