叢雲会ブログ

叢雲会 刀匠達の四方山話

色々あって良いのでは

2008-12-14 13:22:02 | Weblog
 お久しぶりです。お守り刀展覧会の審査のことで盛り上がっているようですね。 ○○写しがほしいというお客様は、以外とおられて、何度か挑戦しましたし、写しをしていて学ぶことはとても多いものです。

 新作名刀展は、刀匠に古名刀のすばらしさから学んで欲しいという意向(と自分は思っていました)から、わりと写しものを重視されていたように思います。ですから「これは何を写されたのですか」とよくお聞きしました。こちらも話がしやすいので、「長義をイメージしました」などと応えていました。
 
 ある時協会の先生に、ある写しの短刀を見せたときに、それまでにない姿勢で「なるほど姿も似せた。刃取りもそっくり、地肌も手本にあるように板目となっている。錵もついた。金筋風な物もある。でも、それでどうしたの。」といわれてしまいました。

 又あるときには、自分の世界を作れと指導されていた別の先生とお話ししていて、「誤解するなよ。俺は何も自分独りよがり、自分勝手がよいとは言っていないぞ。俺がイミテーションではつまらんと言っているから、俺の所に、創作ですと持ってきても、その作品が独りよがりで終わるような物は創作でも何でもないぞ。」と話されていました。

 娘が倶楽部でホルンを吹いていて、演奏コンクールでクラッシックを聴く機会が増えました。世に言う名曲を弾く人は、たくさんいると思うけど、人を動かす弾き方が出来る人は多くいないようだし、それは、譜面があるから大筋では同じでも、全く一様とは限らないようですね。それと刀つくりは似ているなと思いました。
 そして、古典であれ歌謡曲であれ、私にとってとても心地良く響くものは、誰がなんと言っても、私にはよいものにまちがいありません。

 基礎を重視する展覧会もあって良いし、一歩進めて、創作性を評価しようよという展覧会もあって良いのではないでしょうか。刀の作風やスタイルが色々あるように、展覧会にしても審査員にしても、唯一永遠であるよりも、色々あった方がいいのではないか。審査員は、でたらめであってはなりませんが、いろいろな見方の方が居られるのも、僕は悪いとは思えないのです。
 
 先日、今年度研磨コンクールで是澤氏が研磨された木屋賞に輝く赤鬼さんの太刀を見ましたが、南北朝風な作風に挑戦されているとは思いましたが、赤鬼さんらしい現代刀として堂々としたインパクトのある良い作品だなと思って見て帰りました。
 あれは、長義や兼光のイミテーションだったのでしょうか。それとも松葉刀匠の刀だったのでしょうか?

 お守り刀展東京展も終わり、 
僕も、皆さんに負けないように無くてはなりませんね。

 

効き目      國正

2008-12-12 20:54:01 | Weblog
どうもなさそうです。コリによい...とあるので私のはコリなんてものではないようですから、効かなくて当たり前ですか
左手のシビレも断続的に続き、悪くなっているみたいです。

さて、昨日書き込んだことですが、坪内刀匠がO先生のお話を直接聞いたところによると、「例えば新作名刀展では備前伝丁子乱れであれば太刀姿に作る必要があったが、それは刀でもよいではないか、古作にそこまで縛られる必要はない。個々の名匠に倣うのはよいが、その一個の作品、名物OO写しみたいなものは認められない。」というような趣旨であったようです。

私は、写し物もよいのではないか、と思いますが...。現代刀の審査において古作の「鑑定の基準」でもって、それに合致していれば高得点、外れたらダメ、みたいなものにしなければ写そうが自由に作ろうが、よろしかろうと思います。
出来の良し悪しだけを審査していただく、ということですね。

いままで私などもよく「古いのにもこういうのもある」などと口にしていましたがこういう考え方はやめなくてはならないのでしょう。
例えば一文字に倣うのではなく迫力ある丁子乱れで見る人の心を引き付ける、そのような努力の中から現代刀の生き残る道を切り開かなくてはなりませんね。



驚きましたね    杉田

2008-12-12 20:30:27 | Weblog
良識有る青鬼がそんな事を考えているとは。
大酒食らって、酔いに任せてまた忍法00を使ったのでしょう。
松葉さんの危惧する所よくに解りますよ。文章にしたのでは思うところの十分の一も伝えられなく、まどろっこしいことでしょう。
私、何事につけても余り「ポリシー」ありません。それで、「展覧会」出品を考える時でも、余り深くは考えません。機会があればどんな「展覧会」でも応募するつもりです。
要は、「自分の作風を一人でも多くの人に観て頂く」唯これだけです。「むらくも会」の活動も同じ事です。それぞれに路線が違うのは、始めから解っていることでしょう。もちろん展覧会に出品する以上、その成績は大変気になるところです。しかしながら、展覧会のあり方、審査委員の考え方、色々ありますからね。
今日「古名刀」として残っている刀剣の、価値、魅力、美しさ、などなど、は、何処から来ているのでしょか。そう難しい事ではない。
それは、時の流れに洗われて、名刀は、名刀として、駄作は駄作として今日に至った訳です。時代時代の目利き鑑定家、愛刀家、、時の権力者、あるいは実戦に用いられ、取捨選択されてきた訳で、その結果として今日それぞれの格があるのでしょう。その様な名品を目標として何が悪いのでしょう。悪いどころか、「目標にしています。」ということ自体
自分の技術を勘案すれば、気恥ずかしくなる。(最も、テレビや、新聞などに載る場合はショッチュウ言っていますが。)反面、現代のあり方を模索して、文字どうり、「新作現代刀」の作風を確立する事も結構なことでしょう。しかし、こちらの方が、遥かに難しく、才能を必要とする事でしょう。なぜならば、「古名刀」と少なくとも同等の魅力ある物を造らなければならないのですから。

ゲルマニュウム           國正

2008-12-11 22:57:17 | Weblog
今日から貼ってみます。なかなか値が張りましたが...効果があればよいけれど。
焼き入れもうまくいかないし、小さくスランプですね。
ナマグサ仙人はずいぶんと調子がよさそうですねー。
新作名刀展が楽しみです。

しかし現実はあまり呑気なものでなく、この叢雲会内部ですら路線の違いが出てきています。
青鬼は新作名刀展からの撤退を考えているようですし...。

私がこの状況で問題だと感じるのは刀剣美の価値基準の乱れです。
刀剣が現代音楽やいわゆるアートのようにはなることはないでしょうが、駄刀と優刀の違いがすなわち名工と凡工の違いであるわけで、その意味でコンペティションは重要かつ有効な手段です。
展覧会での高い評価によって世上での値打ちが決まってゆくのも宣なるところでしょう。
となるとその審査基準となる刀剣美への見解にあわせて刀鍛冶は作刀してゆくことになります。
しかしそれが正に今崩れ去ろうとしているのではないでしょうか...?

たとえばお守り刀展の審査員O先生の言われる伝統の上の現代らしい創造性みたいなものが果たして刀剣美に必要なのだろうか?とかなり疑問に思っています。
恣意的になってはクサイのがくろがねの美しさではなかろうかと。古名刀の自然さを学ぶことが、「古刀の真似はダメ」ということで否定されたような?
その現代的創造性を審査に加味し新しい刀剣美を創造する、というのはまた気宇壮大でカッコいいことではありますけれど。

私が20年に亘って新作名刀展で鍛えられたのは正にその、名刀にみられる鋼の自然な美を観る眼であったような気がするのです。
それこそが人間をひきつけてやまない上質の輝き、変化、形状であって古刀も新刀も現代刀もないのではないかと思うのですが...。確かに鑑賞時に鑑定をされては適いません。しかし、先達の求めた美の表現を求めてゆけば自然似てくるものでしょう。
もっとも、先生の真意は私の受け取った意味と違っているのかもしれません。

ただ、新作名刀展においても現代刀は全く現代刀であって非常に個性的なものが多い、と思います。

そういえば、昔、古刀と比べてここが違う、あそこが違うと意地悪く言われて、「俺は偽物造りをしているんじゃねー!それ以上つべこべ抜かすならおもしれぇ、俺の刀でタタッ斬ってやるからその大事な古刀を抜いて表に出ろい!」と啖呵をきりたくなったことがありましたっけ。バカ丸出しですが
「鑑定的な見方」とはそういうことでしょうね。

新しい刀剣美の創造、これは新作名刀展の衰微とともに、現代刀工にとって重大な、ある意味では死活問題となってきているような気がします。


先ずは休養を。   杉田

2008-12-10 21:47:19 | Weblog
人生なかなか思うようには行きませんね。
折角話題の人になり、日本一になったのに。
それでも、これで漸く普通の、並みの、人間になったことでしょうね。などなど
慰めを言っているうち、ケロットして、また3尺、4尺を打ち上げたなどと言い出すのでしょう。
私も最近調子よく、なんだか「杉田善昭伝」完成しそうです。
短い物は既に出来ており、研ぎ上がりが楽しみです。十年振りの傑作でしょうか。

謎の宅配便   杉田

2008-12-08 22:25:15 | Weblog
先日4日より急用で2,3日関東方面に出掛けていました。帰ってみると、宅配便が届いておりました。
「(株) 00エンジニアリング」と送り元があるのですが、ちっとも心当たりがありません。中身を見ると、「鳥刺し」とあるのです。どうも生ものみたいです。
幾ら考えてもわからないので、今日(月曜)まで待ってその会社に電話しました。応対に出た女性に訳を話しますと、代わった男性の声で「松葉ですよ」と相変わらず元気な声。
赤鬼こと、松葉国正氏、「賢弟」からでありました。むらくも会では、何時も心使い頂き感謝しておりましたが、お歳暮まで頂き、ありがとうございました。
赤鬼命名の如く、私「仙人」でありますから、今流行の「賞味期限」など気にした事はありません。食べればわかりますから。しかしながら、賞味期限12月五日とあります。
生ものです。流石の私も暫く考えましたよ。でも「色、艶」は、ちっとも変わっておらず新鮮そのもでした。
幸いに、他に「炭火焼」の真空パックがありまして、09年1月3日とありますから、あな嬉し。
 

日経新聞            國正

2008-12-06 22:20:43 | Weblog
今朝の日経、九州山口版に恐ろしげな顔をして素延べを睨んでいる私の写真と記事が掲載されました。
私のわかりにくい観念的な話に記者は苦労したようです。
出来るだけわかり易くと、あれこれ例え話やら起こった出来事やら話しすぎて、自分でも筋を通すのが大変でしたからねー
しかし、以前ドイツで通訳してくれた女性(日本人)が私の話は理論的で訳しやすいと言ってくれた事がありました。理屈っぽいてこと?

ヨメとえびのの温泉に行ってきました。首肩など痛い所だらけなので...。ハリ治療、磁気シール、膏薬、なんでも試しています。やや改善したかな?
しかし左手のシビレは変わらず、ちょっと気持ち悪いです。

短刀になかなかの刃文が入りました。昨年の轍は踏まないように

直刃と丁子

2008-12-03 19:11:57 | Weblog
弟子の卒業制作として、久保鍛錬道場では、直刃の短刀と重花丁子の太刀を造らせます。弟子っこは、練習では丁子刃がそこそこ焼けるようになって来ましたが、本番の直刃の短刀の焼入れに悪戦苦闘しています。帽子が崩れたり、めがねが入ったり・・・。
売り物になるほどの短刀と太刀が出来れば独立させますが、早いか遅いかは本人次第。誤魔化しの利かない直刃と見栄えのする丁子が焼ければ、刀鍛冶として何とか食べてもいく手立てにはなります。
私もそうでしたが、独立するとしばらくは、思うように刀が出来ない時期があります。修業中にまともな太刀と短刀が作れたという経験が自信となって、何とか独立後の「刀できない病」を克服できるはずです。

刀を作るのも難しいですが、売るのはもっと難しいと実感している師匠でした。

楷書と直刃  ビンゴ住人

2008-12-02 18:54:33 | Weblog
確かに、私も、楷書と直刃はよく似ているといつも感じています。
今も、毎日短刀の箱書き(楷書で)の練習をしていますが、そろそろ意を決して、箱に書かなくてはいけません。
最近、短刀や刀に好んで直刃を焼いていますが、直刃は、楷書同様、一点の緩みも許されないので、ほんの小さな焼きの崩れに泣かされることもしばしばです。

しかし、ここ数年、直刃調の長光写しをやるようになってからは、その誤魔化しの効かない難しさになんとも言えない魅力を感じています。
失敗が続く時には、「ぐれてやる~!」と叫びながら自棄酒を飲みますが、しっかりぐれると、翌日には、またやる気が沸いてきます。
難しいことに挑戦している時は苦しいですが、生きている事を実感できます。

今見ましたが、月と木星金星の天体ショー、見事ですね。