叢雲会ブログ

叢雲会 刀匠達の四方山話

ゲルマニュウム           國正

2008-12-11 22:57:17 | Weblog
今日から貼ってみます。なかなか値が張りましたが...効果があればよいけれど。
焼き入れもうまくいかないし、小さくスランプですね。
ナマグサ仙人はずいぶんと調子がよさそうですねー。
新作名刀展が楽しみです。

しかし現実はあまり呑気なものでなく、この叢雲会内部ですら路線の違いが出てきています。
青鬼は新作名刀展からの撤退を考えているようですし...。

私がこの状況で問題だと感じるのは刀剣美の価値基準の乱れです。
刀剣が現代音楽やいわゆるアートのようにはなることはないでしょうが、駄刀と優刀の違いがすなわち名工と凡工の違いであるわけで、その意味でコンペティションは重要かつ有効な手段です。
展覧会での高い評価によって世上での値打ちが決まってゆくのも宣なるところでしょう。
となるとその審査基準となる刀剣美への見解にあわせて刀鍛冶は作刀してゆくことになります。
しかしそれが正に今崩れ去ろうとしているのではないでしょうか...?

たとえばお守り刀展の審査員O先生の言われる伝統の上の現代らしい創造性みたいなものが果たして刀剣美に必要なのだろうか?とかなり疑問に思っています。
恣意的になってはクサイのがくろがねの美しさではなかろうかと。古名刀の自然さを学ぶことが、「古刀の真似はダメ」ということで否定されたような?
その現代的創造性を審査に加味し新しい刀剣美を創造する、というのはまた気宇壮大でカッコいいことではありますけれど。

私が20年に亘って新作名刀展で鍛えられたのは正にその、名刀にみられる鋼の自然な美を観る眼であったような気がするのです。
それこそが人間をひきつけてやまない上質の輝き、変化、形状であって古刀も新刀も現代刀もないのではないかと思うのですが...。確かに鑑賞時に鑑定をされては適いません。しかし、先達の求めた美の表現を求めてゆけば自然似てくるものでしょう。
もっとも、先生の真意は私の受け取った意味と違っているのかもしれません。

ただ、新作名刀展においても現代刀は全く現代刀であって非常に個性的なものが多い、と思います。

そういえば、昔、古刀と比べてここが違う、あそこが違うと意地悪く言われて、「俺は偽物造りをしているんじゃねー!それ以上つべこべ抜かすならおもしれぇ、俺の刀でタタッ斬ってやるからその大事な古刀を抜いて表に出ろい!」と啖呵をきりたくなったことがありましたっけ。バカ丸出しですが
「鑑定的な見方」とはそういうことでしょうね。

新しい刀剣美の創造、これは新作名刀展の衰微とともに、現代刀工にとって重大な、ある意味では死活問題となってきているような気がします。