どうもなさそうです。コリによい...とあるので私のはコリなんてものではないようですから、効かなくて当たり前ですか
左手のシビレも断続的に続き、悪くなっているみたいです。
さて、昨日書き込んだことですが、坪内刀匠がO先生のお話を直接聞いたところによると、「例えば新作名刀展では備前伝丁子乱れであれば太刀姿に作る必要があったが、それは刀でもよいではないか、古作にそこまで縛られる必要はない。個々の名匠に倣うのはよいが、その一個の作品、名物OO写しみたいなものは認められない。」というような趣旨であったようです。
私は、写し物もよいのではないか、と思いますが...。現代刀の審査において古作の「鑑定の基準」でもって、それに合致していれば高得点、外れたらダメ、みたいなものにしなければ写そうが自由に作ろうが、よろしかろうと思います。
出来の良し悪しだけを審査していただく、ということですね。
いままで私などもよく「古いのにもこういうのもある」などと口にしていましたがこういう考え方はやめなくてはならないのでしょう。
例えば一文字に倣うのではなく迫力ある丁子乱れで見る人の心を引き付ける、そのような努力の中から現代刀の生き残る道を切り開かなくてはなりませんね。
左手のシビレも断続的に続き、悪くなっているみたいです。
さて、昨日書き込んだことですが、坪内刀匠がO先生のお話を直接聞いたところによると、「例えば新作名刀展では備前伝丁子乱れであれば太刀姿に作る必要があったが、それは刀でもよいではないか、古作にそこまで縛られる必要はない。個々の名匠に倣うのはよいが、その一個の作品、名物OO写しみたいなものは認められない。」というような趣旨であったようです。
私は、写し物もよいのではないか、と思いますが...。現代刀の審査において古作の「鑑定の基準」でもって、それに合致していれば高得点、外れたらダメ、みたいなものにしなければ写そうが自由に作ろうが、よろしかろうと思います。
出来の良し悪しだけを審査していただく、ということですね。
いままで私などもよく「古いのにもこういうのもある」などと口にしていましたがこういう考え方はやめなくてはならないのでしょう。
例えば一文字に倣うのではなく迫力ある丁子乱れで見る人の心を引き付ける、そのような努力の中から現代刀の生き残る道を切り開かなくてはなりませんね。