サブプライムローンとか言う他国の問題から端を発した不景気風は、とても厳しいようです。
松葉さんが前々回書き込まれた、お守り刀展のO先生への「 お守り刀展の審査員O先生の言われる伝統の上の現代らしい創造性みたいなものが果たして刀剣美に必要なのだろうか」「刀剣美の価値基準の乱れ・・・それが正に今崩れ去ろうとしている」という心配に対して、書き込んだつもりでしたが、その後の坪内さんの説明で納得されていたのですね。
それ以上言うこともありません。書かれている言葉を借りて言うなら、お守り刀展の審査では、「古作の「鑑定の基準」でもって、それに合致していれば高得点、外れたらダメ」的な姿勢を廃して、「先達の求めた美の表現を求め」る姿勢と同じ立場で挑戦してほしいというもので、それはイミテーション的な「古刀の真似」ではなく、今置かれた条件下での「刀剣美を創造」という表現に近いと思われます。
とはいうものの、「創造」だから何でもありというのでは無いと言うこととは、言うまでも無いと思います。
最近注目されているフィギュアスケートの審査を見ると、世界トップクラスの審査員が評価していると思われますが、審査員各位の点数が、全く同点とはかぎりまません。また、複数のコンクールがあり、それぞれに個性があると思われ、さらに、同じ選手でも体調やできばえで、順位は異なるのは当たり前のことです。
体力や才能、経済的問題など選手の置かれた環境で挑戦できる人は、複数に挑戦するでしょうし、絞っての挑戦もあるでしょう。
しかし、優れた選手の優れた演技は、審査員の得点評価もさる事ながら、多くの人を魅了し、ファンが増え、大会が盛り上がり、新たな発表のチャンスが増え、それと共に更に競技人口も増えレベルも上がっているような気がします。
これは、刀剣の世界とは違いますから、同じとは言えないかもしれませんが・・・。
このブログに登場する松葉さんにしても、久保さんにしても、杉田仙人にしても、現在の各展示会でのトップを走っている人たちは、浅田真央さんや金妍兒(キム・ヨナ)さん達と同様な立場にいるとも言えるでしょう。皆さんには、審査員評価もさることながら、展示会に来られた見ず知らずの人がうなるすばらしい作品を期待したいと思います。
しかし、真央さんやキム・ヨナさんだけでは、大会が成立しないというのは言うまでもありません。私たちの世界も同じです。
私たちは、それぞれに輝きを持った作品の魅力を、少しでも多く伝えられるような舞台、展示を模索し、作り、提案するとともに、私たちの作った作品から感じていただきたいと思っています。出来たら日本全国で、やがて世界でも・・・夢かな(笑)。
廃刀令や戦後の所持禁止令、需要と供給のバランスなどから、多くの職人がやめていきました。今回の不況でも、同じ事が危ぶまれます。新作名刀展にしてもお守り刀展にしても、出品者が激減すれば維持できなくなるかもしれません。しかし、苦境の中でも、それぞれの立場で、ベストは尽くしたいですよね。それだけの魅力が日本刀にはある。そう信じています。
「これほどの苦しみを乗り越えて創造してゆかなくてはならない展覧会、その意味を自ら問うことは大切であると思います。」松葉さんの書き込みで、(すこし違うかもしれませんが、)刀匠会はどうあるべきか、展覧会はどうなのかと、常に問い続けていくことが、大切なのではと改めて思いました。
恵まれた環境がよいということは言うまでもありませんが、恵まれた環境の中での作品が、常によい物が出来るとばかりは言えず、苦境の中で生まれた作品が、全て悪いとも、心に響かないとは限らない。視点を変え、工夫することで、お客様にも喜んでいただけるいい物が出来るかも・・・それって・・・
きやーこんな時間だ。とりあえず仕事場に行ってきます。
松葉さんが前々回書き込まれた、お守り刀展のO先生への「 お守り刀展の審査員O先生の言われる伝統の上の現代らしい創造性みたいなものが果たして刀剣美に必要なのだろうか」「刀剣美の価値基準の乱れ・・・それが正に今崩れ去ろうとしている」という心配に対して、書き込んだつもりでしたが、その後の坪内さんの説明で納得されていたのですね。
それ以上言うこともありません。書かれている言葉を借りて言うなら、お守り刀展の審査では、「古作の「鑑定の基準」でもって、それに合致していれば高得点、外れたらダメ」的な姿勢を廃して、「先達の求めた美の表現を求め」る姿勢と同じ立場で挑戦してほしいというもので、それはイミテーション的な「古刀の真似」ではなく、今置かれた条件下での「刀剣美を創造」という表現に近いと思われます。
とはいうものの、「創造」だから何でもありというのでは無いと言うこととは、言うまでも無いと思います。
最近注目されているフィギュアスケートの審査を見ると、世界トップクラスの審査員が評価していると思われますが、審査員各位の点数が、全く同点とはかぎりまません。また、複数のコンクールがあり、それぞれに個性があると思われ、さらに、同じ選手でも体調やできばえで、順位は異なるのは当たり前のことです。
体力や才能、経済的問題など選手の置かれた環境で挑戦できる人は、複数に挑戦するでしょうし、絞っての挑戦もあるでしょう。
しかし、優れた選手の優れた演技は、審査員の得点評価もさる事ながら、多くの人を魅了し、ファンが増え、大会が盛り上がり、新たな発表のチャンスが増え、それと共に更に競技人口も増えレベルも上がっているような気がします。
これは、刀剣の世界とは違いますから、同じとは言えないかもしれませんが・・・。
このブログに登場する松葉さんにしても、久保さんにしても、杉田仙人にしても、現在の各展示会でのトップを走っている人たちは、浅田真央さんや金妍兒(キム・ヨナ)さん達と同様な立場にいるとも言えるでしょう。皆さんには、審査員評価もさることながら、展示会に来られた見ず知らずの人がうなるすばらしい作品を期待したいと思います。
しかし、真央さんやキム・ヨナさんだけでは、大会が成立しないというのは言うまでもありません。私たちの世界も同じです。
私たちは、それぞれに輝きを持った作品の魅力を、少しでも多く伝えられるような舞台、展示を模索し、作り、提案するとともに、私たちの作った作品から感じていただきたいと思っています。出来たら日本全国で、やがて世界でも・・・夢かな(笑)。
廃刀令や戦後の所持禁止令、需要と供給のバランスなどから、多くの職人がやめていきました。今回の不況でも、同じ事が危ぶまれます。新作名刀展にしてもお守り刀展にしても、出品者が激減すれば維持できなくなるかもしれません。しかし、苦境の中でも、それぞれの立場で、ベストは尽くしたいですよね。それだけの魅力が日本刀にはある。そう信じています。
「これほどの苦しみを乗り越えて創造してゆかなくてはならない展覧会、その意味を自ら問うことは大切であると思います。」松葉さんの書き込みで、(すこし違うかもしれませんが、)刀匠会はどうあるべきか、展覧会はどうなのかと、常に問い続けていくことが、大切なのではと改めて思いました。
恵まれた環境がよいということは言うまでもありませんが、恵まれた環境の中での作品が、常によい物が出来るとばかりは言えず、苦境の中で生まれた作品が、全て悪いとも、心に響かないとは限らない。視点を変え、工夫することで、お客様にも喜んでいただけるいい物が出来るかも・・・それって・・・
きやーこんな時間だ。とりあえず仕事場に行ってきます。