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伸ちゃんのブログ

ひたちなか市にある、お寺の住職のブログ
毎朝の境内の一コマと坊主の一言を毎日更新中

遊びから学ぶこと

2008年04月10日 | Weblog
しとしと雨の朝です。
新一年生にとっては始めての雨の登校ですね。
真新しい黄色い傘と帽子にランドセルカバーの小さい児童を見かけると
思わず微笑んでしまいます。
私も身体が小さかったのでよく“ランドセルが歩いてる”などと言われたのを
思い出します。あの頃の記憶でまず浮かぶのは友達と遊んだことですよね。
田舎でしたので野原でバッタ採りなどの昆虫集めや秘密基地遊び、雪遊びや
スケートなど、あの頃の当たり前の遊びをしました。ゲーム遊びはゲームそのもの
が貴重でしたので、なかなか出来ませんでした。現代は逆になってしまいました。
たとえ田舎で自然に囲まれていてもゲームが遊びの中心にあるようです。
遊びの中から価値観も教わります。遊びも長い目で見れば大切な教えがたくさん
含まれています。画面の中から学ぶ価値観とはどんなものなのでしょう?
子供に責任はありません。私も含め、大人の責任ですね。

待ったなし!

2008年04月09日 | Weblog
雨は上がりましたが強い風がふく朝です。
昨日は台風なみの一日でしたね。
昨年12月に評議員をつとめる国連世界食糧計画WFP協会
の勉強会がありました。IPCC(気候変動による政府間パネル:昨年ノーベル賞受賞)
の報告によると、これからどんなに温暖化対策をとっても今後20~30年は
気温上昇は止まらないそうです。
今からの対策は2・30年後からあとの上昇を抑えるために効果があらわれるそうです。
1975年の世界における自然災害の数はおよそ100でしたが、2005年ではおよそ400にも上ったそうです。
過去のつけが2・30年続きます。日本の気候もずいぶんへんてこりんになりました。
私からすれば孫の代のために家庭で出来る温暖化対策をしなくてはなりません。
なぜならば私達自身が今まで気が付かないうちに大量の温室効果ガスを排出していたんですから。
待ったなし!子ども達のため、まだ見ぬ孫のため、生きとし生けるもののため。

花まつり

2008年04月08日 | Weblog
暴風雨の朝です。四月八日は「花まつり」です。お釈迦様の
お誕生をお祝いする日です。花御堂(はなみどう)の中に誕生仏
(たんじょうぶつ)を安置し、お生まれになった時、空から香水が降ったという
言い伝えにちなんで、甘茶を誕生仏にそそぎます。
生まれた直後七歩歩んで天と地を指差し「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」
といわれたといい、その時の状況を模したものです。
実際いきなり歩いて、しゃべったというのは後に付け加えられたものでしょうが、
お釈迦様は現代にも通じる普遍的な教えを私達に残されたのは事実です。
すべての生き物に慈悲のこころで接するという教え。人生は短い、振り返れば瞬間の出来事、
怒りや憎しみや欲で周りといがみあい文句を言いながら生きるより、慈しみのこころで
穏やかに皆で苦を乗り越えて楽しい人生にしましょうという慈悲の教えです。
今日は入学式ラッシュ。雨の中大変でしょうが、だからこそ楽しむ目線ですごしたほう
が後々いい思い出にもなるでしょう。足元に気をつけながら楽しみましょう。



いつくしみで返す

2008年04月07日 | Weblog
朝は良いお天気ですが、予報では午後から明日にかけて
雨だそうですね。今日から子ども達は学校です。
新学年スタートの日はクラス発表が一番気になりました。
仲のいい子、苦手な子、自分の思い通りのクラスとはなかなか
いきません。これはその後も同じです。学生時代、会社勤め、
地域、さらには身内、思うような組み合わせはありえません。
四苦八苦とは佛教用語からきています。そのなかに怨憎会苦
(おんぞうえく)というのがあります。憎しむ人に会う苦しみ、
つまり苦手な人とはいつも出会うことがあるという苦しみです。
実際そうですよね。しかし、憎しみを憎しみで返すことは最悪
の事態を招きます。こころ穏やかにいつくしみで返す。これが
最高ですが、超難しい。その訓練が瞑想(慈悲の瞑想)なのです。
“生きとし生けるものが幸せでありますように”
いつもこの気持ちをわすれずに!!


観世音(世音を観ずる)

2008年04月06日 | Weblog
いい天気です。新緑の季節って感じですね。
この時期の緑はとてもまぶしいです。
今朝は普段聞こえない最寄の駅のアナウンスと電車の動く音が
はっきり聞こえました。さえぎる音がなく風向きの
おかげもあってのことなんでしょうか。
世間の救いを求める声を聞くと直ちに救済する…“世音を
観ずる”を名の由来にしているのが観世音菩薩です。
常に世間の声を聞いてあらゆるものに救いの手をさしのべる
姿は慈悲をテーマとする佛教においては象徴的な存在です。
無関心を装わず周りの声に耳を傾けることは普段の私達の生活に
も必要なこと。“千変万化”といって救いを求める者にしたがって
姿を変えることが出来る菩薩です。私達一人一人が困っている者に
救いの手をさしのべていければ私達自身が観世音菩薩となれるんですね。


夢見たアトムの時代は・・

2008年04月05日 | Weblog
今朝もいい天気です。毎日同じように見える境内ですが
いろんな生き物や植物が暖かさと共に活動しているんでしょうね。
季節と共に活動する生き物はたくましいですね。寒ければ活動を
抑え暖かければ活動する。人も今のような冷暖房設備や車などの高速
移動手段が乏しかった頃は季節に合わせながらそれなりに生活をしていたんでしょう。
子どもの頃夢見た鉄腕アトムのような時代は環境破壊とともにここまで来ました。
年中活動しっ放しの現在、本当に昔より幸福度は上がったんでしょうか?
季節と土と空と水と家族という基本に基準を戻すという意識が
今本当に大切なんじゃないかと境内を歩きながら考えてしまいました。

こころは年をとらない

2008年04月04日 | Weblog
穏やかな朝です。もう金曜日ですね。一週間は
あっという間です。写真の小さい白い花は“イカリソウ”といいます。
船の錨(いかり)に似た花から由来するこの植物は強壮成分があり
薬やお酒(イカリソウ酒)として用いられるそうです。
“錨(いかり)”といえばポパイを思い出しますが、子どもの頃はなぜか顔が
おじいさんに見え、力持ちの肉体とのアンバランスがとても気になっちゃいました。
人は日一日と年をとります。これは仕方有りません。
老化と共に免疫力や体の強度も下がり病気になったり、衰えてきます。
しかし、“こころは年をとらない”と佛教ではいいます。
自分自身の気持ち次第でこころの年齢は変わってきます。
以前“清らかな物に興味をもつ”は幸福へ導くといいましたが、
こころも若くなるということでしょう。
ほうれん草を食べなくてもこころは自分次第で若返ります!

喜捨(きしゃ)

2008年04月03日 | Weblog
朝は肌寒いですがいいお天気になりそうです。
どこのお寺や神社にもあるおなじみの賽銭箱。
お参りをする際お賽銭をあげてから拝みますが、
お賽銭は祈願にたいする代価ではありません。
何かの費用に役立ててくださいという意味でお賽銭をあげるのです。
これは「喜捨(きしゃ)」といって、“喜んでさせていただきます”
という施しの意味と“こだわりを捨てる・むさぼりから離れる”という
執着から離れる意味があります。
現代的に言えば人のために役にたとうとするボランティアまたは
様々な社会貢献を意味するチャリティにあたるものです。
自分自身の徳を積むためのものなのです。
学生の頃は単位取得の最終試験合格のために本気でお賽銭をあげたりしましたが、
まったく本来の意味と逆のことをしていたわけです。未熟者でした。

表と裏

2008年04月02日 | Weblog
日の出が早くなりました。6時はすっかり明るいですね。
今日は暖かくなりそうです。その代わり花粉は大量飛散ですね。
いいことがあれば、その後に悪いこともある。いつも良いことと
悪いことは一枚の硬貨のようにくっついてます。
“生きること”はこの繰り返しですよね。自分自身で硬貨の裏を
のぞいてばかりのひともいれば、裏がでても気にしないで表もあることを
知って落ち着いている人もいます。光があれば影もある。表があれば裏もある。
時期が過ぎればあっという間につらい思いは忘れます。
今年も時期が終わるまで花粉と付き合いましょ

不妄語戒(ふもうごかい)

2008年04月01日 | Weblog
晴れですが風の強い朝です。
新年度が始まりました。子どもの頃はその意味がわからず、
4月1日は「ウソをついていい日」だけ楽しみにしていました。
「ウソも方便」は佛教から来ているように思われるでしょうが、
本来はそうではありません。不妄語戒(ふもうごかい)という
、常に真実を語れという意味の戒律があります。これは仏教徒であれば
絶対守るべき重要な戒律です。ちょっとしたウソが発端となり次第に自分自身
を失ってしまう大変な事態を招くからです。たしかにウソをつき通すことはつらいことです。
結局周りの人を傷つけることになります。
4月1日はウソの怖さを知ってもらう日と解釈していきたいですね。