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マクロビオティックな歯医者さんの食と暮らし                   食養塾 無何有庵の日々

無(む)と空(くう)の癒しの時間の中で、心食動息の一つ一つを共に考えていきたいマクロビオティックなスペース。

いのちの選択。

2015年05月21日 11時06分17秒 | 自然医食のお手当て 掌(しょう)のコース
先週の金曜日、今年83歳になる実家の母が小さな不正出血があり、心配した姉とともに近所の産婦人科を受診しました。
年齢的にも子宮口が固くなっており、エコーのみ受け、すぐに大きな病院へと紹介状を渡されて帰ってきました。
おそらく癌だと。
帰宅して、紹介状の封をあけて(本人に口頭で癌だろうと告知しておきながら、患者が読めないように封をしているのはなぜなんだろう?)中を読むと、子宮体部の腫瘍で末期の疑いと書かれていました。
この月曜日に、姉の付き添いで高松の大きな病院を受診し、やはり子宮口からの検査が無理ということで、血液検査と再度エコーを受けました。

エコーには、初見通り、何かしら影があり、そこがどうなっているのかを調べるために、昨日、CT検査を受けるようにと言われ、準備して病院に参りました。

本人は、何があっても手術も抗癌剤も放射線治療も受けないとのことでしたので、無理を申しあげて、血液検査の結果をまず見せていただいてからと仕切り直しをいたしました。

血液検査は、白血球の数などの検査ではなく、腎臓の状態と、腫瘍マーカーのチェックということで、その項目については今のところ問題が無いとのことでした。

白血球の数が増えているようであれば、子宮内部で炎症反応があるのかなと思ってのことでしたが、その確認はできませんでした。

CTの検査を何故受けるのかという詳しい説明を聞かずに、本人も付き添った姉も解らないまま受けなければならないという漠然とした受容をしていたため、担当医師に詳しく聞いたところ、子宮内の影がどのようなものなのかという確認と、首から下の臓器に他の癌があるかどうかなどを調べるためということで、それで確認できなければ、再度子宮口からの検査をすることになるだろうということでした。腫瘍マーカーの結果だけで、安心はできないということです。

そして、検査をおススメしますと言うことでした。

検査の結果、癌であるということになればどのようなことになるのかと聞きますと、手術、抗癌剤治療、放射線治療などの選択があるとのこと。

母の状態は、軽い出血が先週の金曜日から3回ほど見られたこと。痛みも無く至って元気であるということ。ただ、癌の疑いと言われたため癌かどうか病名を知りたいという気持ちを持っているという感じでした。

そこで母に、検査をして病名を聞いて、先生のおっしゃるような治療を望むのかと聞くと、治療はする気が無いとのこと。何のために検査を希望するのかというと、なんとなく、自分のどこがどのようになっているのかを知りたいだけだとのこと。

CT検査は、もちろん人体を犯すようなものではないかもしれませんが、少なくとも被ばくのリスクはあるわけで、病名を知っても、医学的治療を望まないのであれば、粛々と家でできる手当てなどをするわけで、とりあえず子宮体癌の疑いであれば、おなか回りの手当てとなり、その範囲はココって限定するものではなく、もう少し広い範囲なわけで、場所を細かく限定するのもあまり意味をなさない気もするし・・・という話をしながら、母の気持ち、姉の気持ちを推し量りながら、担当医師の本意も探りながら、ひとまず、CT検査をキャンセルして帰ってきました。もちろん、母が、今日は止めとくという、本人の意思を尊重してのことです。

担当医師に言われたことは、検査をしないのであれば、今後何か起きた時に受け入れてくれる病院は無いだろうということ。どうするかは自由意思であるが、検査をススメるし、その結果でいずれかの治療を提案することになるという2点。もちろん、検査をする気になれば、いつでも受け入れるとのことでした。

担当医師は、とても優しい丁寧に受け答えしてくださる方でした。私たちの質問にもしっかりご対応くださりありがたかったですが、受け入れる病院はないという言葉に、応招義務はどうなるのかと感じながら何か違和感を持ちました。立場は違え、医療の現場で仕事をしていると、少し、きびしい目で見ている私もいたのかもしれませんが・・・。そして、どうしても検査を勧めるという医者の言葉に背く変わった患者になってしまったなという気持ちにもなりました。看護師さんも私たちを見る目が、なんだかそわそわしてました(笑)

もともと母は楽観的に物事を観てきた人なのですが、一番最初に行った病院であまりにも不用意なうちに告知されてしまい、やはり動揺はあるわけで、医者の言葉は、ひとつひとつ大きな影響を受けます。

少し時間を持ち、今後どうしていくのかを考えながら、これからの母の終末を楽しく穏やかに過ごせたらと感じた昨日でした。

もし、自分自身に何かが起きた時、どうするのかということを漠然とでも考えておかなくてはならないと思いました。

ビール好きの母に、主人が、今日は姉さんの車で来ているからとビールを袋一杯に持たせて、コロッと死なんといかんでって、見送りました。

ま、ビールくらい好きなだけ飲ませてやろうと(笑)、そう覚悟しました。

ご心配をおかけした友人たちに、心からお礼申し上げます。
今は、そんなところです。