最近、食の指導が難しいと悩まれる指導士の方が多いようなので
少し、考えてみました。
食のアプローチは
本当は、指導される方が3年くらいしっかりとストイックに
食養をなさった方がいいのかもしれませんね。
そこから、コントロール可能な、他者からの束縛のない食事の実践によって、初めて酸いも苦いもわかる清濁併せ持っての受容ができるのかもしれません。
得てして、頑固に正食を実践なさってこられた方は、この清濁併せ持ってが出来ず攻め(責め)の指導となるので厳しくかんじますね。
でも反対に、ストイックな実践(最低3年くらい)を一度も経験していないと、今度は逃げの指導となり、これもまたうまくいかないようです。
そして一番大事なのは指導してもらう側が、本当に食の改善を必要と感じているかどうかですね(笑)
食の事や健康の事には関心があるのだけれど、改善となると二の足を踏んだり、他力本願的な期待を持たれている方は、なかなか改善に至りません。
でもそういう方ほど、大変な状態だったりすることがあまりにも多く、指導する側としては放置できない気持ちに陥ってしまいます。
でもね、放置するしかないのかもしれません。
お節介ゴコロや知識の押し売り(これは指導士の方は特にいつも肝に銘じておかなくてはならないことです)は厳禁です。
さて、ここで、食が大切、いやココロが大切という議論が生まれます。
食だけではうまくいかない。
やっぱりココロが優先だと。
私は、この意見には半分頷けて、半分頷けません。
無何有庵の講座のスタートに必ずする「ココロメソッド」で
皆さんに無言の氣を送ってもらった方が、パワーが出たり落ちたりというのを
目の当たりにされた方がたくさんいらっしゃると思いますが、
確かに、氣とかココロの不思議な力は存在していて
私もとても大切にしています。
どんなに良い選びぬかれたオーガニックの素材で、マクロビオティックの調理法を用いても、作る方のココロが食べてくださる方の方に向いていなかったら、元気の源どころか健康も損ねる恐れさえあります。
また、反対にあれこれこだわらない食材を用いても
本当にココロがこもっていればそれは家族の幸せにつながります。
私の師匠のN先生は、心食動息、どれが欠けてもうまくいかないと教えて下さいました。
私のわずかばかりの経験ではありますが
たしかに、優劣はないのですよ。
また、完璧を目指してうまくいくかというと、そうでもないのです。
何故かというと、万物は常に変化をしているからです。
完全な中庸がないように、少しづつ、完璧ではないのです。
それで丁度いいのです。
元気があるから病気があるわけで、元気だけが存在したり、病気だけが存在したりはしないのですから。
食材がどうで、作り方がこうで、こんな考えで、あーだこーだ言わないで
魔法のめがねを通した森羅万象をしっかり受け止めて、
ただ、ただ、ココロを込めて
マクロビオティックのお料理をそっと出してみてください。
きっと「おいしい」と笑顔がほころびます。
何を食べても自由なのです。
その意味はとてつもなく奥深く
実践の向こう側に答えが待っているように思います。
そして、
医者でない私達ができること。
神でない私達ができること。
限られたことしか出来ないからこそ
優しさと愛情を込めて(時には厳しく)
まごころを尽くすのでしょうね。
最後に、
何よりも、指導する方が、どこまで責任を持っての指導なのかを、しっかり自覚することが大事だと私は思うのです。
少し、考えてみました。
食のアプローチは
本当は、指導される方が3年くらいしっかりとストイックに
食養をなさった方がいいのかもしれませんね。
そこから、コントロール可能な、他者からの束縛のない食事の実践によって、初めて酸いも苦いもわかる清濁併せ持っての受容ができるのかもしれません。
得てして、頑固に正食を実践なさってこられた方は、この清濁併せ持ってが出来ず攻め(責め)の指導となるので厳しくかんじますね。
でも反対に、ストイックな実践(最低3年くらい)を一度も経験していないと、今度は逃げの指導となり、これもまたうまくいかないようです。
そして一番大事なのは指導してもらう側が、本当に食の改善を必要と感じているかどうかですね(笑)
食の事や健康の事には関心があるのだけれど、改善となると二の足を踏んだり、他力本願的な期待を持たれている方は、なかなか改善に至りません。
でもそういう方ほど、大変な状態だったりすることがあまりにも多く、指導する側としては放置できない気持ちに陥ってしまいます。
でもね、放置するしかないのかもしれません。
お節介ゴコロや知識の押し売り(これは指導士の方は特にいつも肝に銘じておかなくてはならないことです)は厳禁です。
さて、ここで、食が大切、いやココロが大切という議論が生まれます。
食だけではうまくいかない。
やっぱりココロが優先だと。
私は、この意見には半分頷けて、半分頷けません。
無何有庵の講座のスタートに必ずする「ココロメソッド」で
皆さんに無言の氣を送ってもらった方が、パワーが出たり落ちたりというのを
目の当たりにされた方がたくさんいらっしゃると思いますが、
確かに、氣とかココロの不思議な力は存在していて
私もとても大切にしています。
どんなに良い選びぬかれたオーガニックの素材で、マクロビオティックの調理法を用いても、作る方のココロが食べてくださる方の方に向いていなかったら、元気の源どころか健康も損ねる恐れさえあります。
また、反対にあれこれこだわらない食材を用いても
本当にココロがこもっていればそれは家族の幸せにつながります。
私の師匠のN先生は、心食動息、どれが欠けてもうまくいかないと教えて下さいました。
私のわずかばかりの経験ではありますが
たしかに、優劣はないのですよ。
また、完璧を目指してうまくいくかというと、そうでもないのです。
何故かというと、万物は常に変化をしているからです。
完全な中庸がないように、少しづつ、完璧ではないのです。
それで丁度いいのです。
元気があるから病気があるわけで、元気だけが存在したり、病気だけが存在したりはしないのですから。
食材がどうで、作り方がこうで、こんな考えで、あーだこーだ言わないで
魔法のめがねを通した森羅万象をしっかり受け止めて、
ただ、ただ、ココロを込めて
マクロビオティックのお料理をそっと出してみてください。
きっと「おいしい」と笑顔がほころびます。
何を食べても自由なのです。
その意味はとてつもなく奥深く
実践の向こう側に答えが待っているように思います。
そして、
医者でない私達ができること。
神でない私達ができること。
限られたことしか出来ないからこそ
優しさと愛情を込めて(時には厳しく)
まごころを尽くすのでしょうね。
最後に、
何よりも、指導する方が、どこまで責任を持っての指導なのかを、しっかり自覚することが大事だと私は思うのです。