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マクロビオティックな歯医者さんの食と暮らし                   食養塾 無何有庵の日々

無(む)と空(くう)の癒しの時間の中で、心食動息の一つ一つを共に考えていきたいマクロビオティックなスペース。

マクロビオティック料理教室 基礎クラス<飯のコース>第9回目

2009年09月07日 21時03分19秒 | マクロビオティック料理基礎 飯(はん)

先週の土曜日は、飯のコースを開催いたしました。

メニューは、
●玄米五平餅
●きんぴら牛蒡の揚げ春巻き
●野菜のテリーヌ
●蓮根湯
●茶巾絞り
でした。

前日、応用クラスの<羹のコース>では、ソース、たれ、ドレッシングをマクロビオティックするというテーマで、18種類をつくりましたので、そのうれしいお下がりが・・・。

で、こんなに豪華な基本食になりました。


贅沢に、変わり五平餅。
味噌たれは、ほう葉で焼きました。



いつものきんぴら牛蒡に玉ねぎと干ししいたけをプラスして、甘味をうんと引き出した具を春巻きの皮で包み揚げました。



野菜のテリーヌは、玄米粉と葛粉と豆乳に塩コショウで味をつけました。
すこし、柔らかかったので切り口が・・・。お味はよかったですよ。



お手当ての実習は<蓮根湯>でした。
みなさん、おいしい~って大好評でした。



蓮根湯の絞り糟で作った、蓮根スープ。



デザートは茶巾絞りでしたが、生徒さんの家庭菜園のお芋をたくさん頂いたのでさつまいものトリュフもプラス。
茶巾絞りは、カボチャが柔らかかったので、銀手亡豆と合わせて鹿の子絞りにいたしました。

いつもの基本食ですが、オプションがいっぱいで
かなり豪華なランチとなりました。

ごちそうさまでした。















がん患研  愛媛支部が誕生

2009年09月07日 16時27分35秒 | 庵主の日記
川竹文夫氏のウェラーザンウェルが主宰するがんの患者学研究所・愛媛支部が昨日発足いたしました。

夫と共に、息子も引き連れておじゃましてまいりました。

たくさんの患者さんが集まられて、
とてもいいスタートが切れたのではないでしょうか。
一人でも多くの方が救われるような会に育って欲しいと思いました。

食事の事、お手当ての事、
自分でできるセルフケアの大切さを知らないまま
手術や抗癌剤、放射線治療、投薬に身を委ねてしまいがちですが
カラダの生きたいという意識を無視して、まさしく身を削ることとなる手術がもたらすダメージのこともちゃんと知っておいてほしいと思います。

基調講演は徳島自然食品センターの種子島さんのお話で、ご自身の治病体験とマクロビオティックの食事に基づいたアドバイスで、素晴らしい説得力でマクロの大先輩のお話を生で聞けてよかったです。

私もその後、少しお話をさせていただきました。

ご参加の皆さんが、みんなお元気になられることを
ココロからお祈りいたしております。













介護

2009年09月07日 11時03分12秒 | 松見歯科診療所にようこそ
義母との出会いは39歳のこと。
当時88歳の老女でした。

新しくやってきた中年の嫁に一番最初に教えてくれたことは
掃除の仕方でした。

まるで、十九や二十歳の娘に教えるように、ほうきの持ち方、トイレの磨き方といった具合でした。
つまり、その頃から認知症は始まっていたのでしょう。
同じ話を何度も何度もして、果てには泣いて愚痴をこぼしていました。
その話はいつも子どものころの話。
9人きょうだいの二番目。自分は一つ上の姉より美人でなくて、可愛がられたのはいつも姉だったこと。
でも姉は体が弱くて、早くに死に、姉の子ども、親、きょうだいの面倒を全部一人で見てきたこと。すぐ下の長男で弟の学費から全て自分が見たけれど、長男は何もしなかったことなど、悔しかったことを全てさらけ出して、少しづつ、違う世界の人になって行きました。

暫くして、介護度3。4、5と上がるのは時間の問題でした。

私の出張中にショートステイ先でもらった風邪を拗らせて肺炎となり、自宅でお手当てをして回復をしてデイサービスに行くと、先方の医師に病因に行っていないことを、DVのようにいわれ、強制的に入院させられました。

主人も入院してしまうと、もう帰って来れなくなると随分抵抗したのですが、
西洋医学の壁はマニュアル通りで無駄な抵抗でした。

入院して半年後、転院して自宅復帰へのリハビリに入りましたが
その時には廃人同様で、一年間のリハビリも空しく、歩くまでには至らず
嚥下不良の誤嚥で、窒息死となりました。

96歳でした。

8年間の介護は、それは大変でした。

母との思い出があまりなく、なかなか愛情が湧かないため
仕事と思っての介護の始まりでした。
それでも、そんな暮らしの中で
義母への思いも育ち、毎日の介護が苦ではありませんでした。
息子がとにかくよく助けてくれました。

しかし、主人も全て私任せ。
義兄や嫁である義姉は、遠く千葉から手もお金も出さず口だけは出し、義母に随分世話になったであろう孫達も物だけは取りに来るという現実に何だか嫌になり、少し介護を放棄しました。
その頃から、ようやく主人も母の介護に当るようになりました。

なくなった後、お墓の掃除などあまり出来ない時、主人は少し私を責めている気持ちを持っているようです。
最後の最後で介護を少し放棄したこともココロに残っているようです。
毎日毎日、汚れたオムツの取替えを何千回としてきても、
それは当たり前の立場ということでしょうか。

でも、義母とは他人の時間の方が長く、実母への愛情と同じにはならないのは仕方がありません。

まして、主人や兄が実母なのに介護を他人の私に当たり前に押し付けたことに対してのわだかまりは消えるものではありません。

義母がかわいそうで、なんとか介護が続けられたのだと思います。
それは、介護を経験したことのない方にはこの大変さはわからないことだと思います。どんどん出来ないことが増えていく義母の哀れさに、同情と腹立たしさとが合わさった、言葉では表すことができないフクザツな感情です。
自分のココロの冷たさや薄情な部分と人間として優しくありたいと思う二律背反の苦しさは、どんどん、嫌な自分となって全て介護への姿勢に現れます。

そして、8年間の介護は
私の中に空しさだけが残ったのでした。
親戚の義叔父や義従兄弟が唯一、労いのココロをかけてくれ
あなたがしてきたことは見ていたからちゃんとわかっているよ。長い間ご苦労をかけましたね。と言葉をくれたのが、救いでした。




人は、必ず死を迎えます。
家族のそれは、若くしてはご本人の無念さもあるでしょうが
年齢を重ねてこられた方にとっては
終着の安堵もあることでしょう。

ただ、のこされた家族が心残りのないようにと願うばかりです。

実の父母ならば、是非あなたがココロをこめて介護してあげてください。
きっと、主人も、介護をやりつくした清清しい気持ちは持っていないでしょう。
最後、少しでも介護できたことが救いではないかと思います。

認知症で哀れな母の姿へのやり場のない悲しさとやるべき事を全うは出来なかった自戒の念は、私への批判にすりかえることで癒しているのでしょう。

夫婦というものは、もともと他人です。
ですから、全てを共有することは難しいかもしれません。
実の親の面倒は、配偶者に押し付けてはいけません。
配偶者はサポーターだということを知って感謝のココロを持っていて欲しいのです。

そして、それぞれの配偶者の父母との関係を密にして
たくさんの素敵な思い出を作って置いてください。

そうすれば、たとえ義理の間柄でも愛情を持って介護に当ることが出来るでしょう。

どうせ介護しなくてはならないのであれば
後に後悔を残さないようにしてほしいと思います。

後悔は、とても苦い味がします。