命 ひそむ翼の陰影
宙天を打つ
その 一抑 一揚
鶴は飛ぶ。
頭上に
一点の火を燃やし
からだの内なるものを
一切 停め。
しんと 醒めて
鶴は
飛ぶ。
鶴は飛ぶ。
この詩は黒木清次詩集「朝の鶴」から巻頭の作品「鶴」の後半部分です。
宮崎県小林市の須木地区、小野湖・ままこ滝左岸にこの詩が刻まれた石碑があり、7日、碑前で「黒木清次文学碑祭」がありました。
当日は地元を中心に宮崎市などから100人くらいいたでしょうか、多くの人たちが参列。全員で献花、女声コーラスによる「鶴」の曲の演奏、詩朗読、主催者、遺族のあいさつなどがあり、あらかじめ小中学生に募集された詩作品の受賞者表彰式、選者の詩人杉谷昭人さんによる選評がありました。
黒木清次さん(1915~1988年)はこの須木に生まれ、43年に「上海文学」に発表した小説「綿花記」で第18回芥川賞候補、翌年「続綿花記」で第19回の芥川賞候補になりました。
引き上げ後、宮崎市で出版社勤務のあと、日向日日新聞社(現在の宮崎日日新聞社)に入社し、ジャーナリストとして活躍。その一方で同人誌「竜舌蘭」「九州文学」「日本未来派」などを舞台に多くの詩や小説を書き続け、詩集「乾いた街」「風景」「朝の鶴」、小説集に「蘇州の賦」「黒木清次小説集」など。しっかりとした骨格の凜とした作品を書き、戦後宮崎の文学の中心的な人として知られます。宮崎日日新聞社社長、エフエム宮崎社長を歴任。73歳で亡くなりました。
故人ゆかりの人たちが次第に少なくなっている中で、文学碑祭がこうやって毎年続けられているのも小林市、市文化連盟、同地区の人たちなどの頑張りがあってこそですが、特に児童・生徒に詩を募集し、市の未来につなげていこうとする姿勢はすばらしい。ずっとずっと続いてほしいと思います。
インターネット時代の圧倒的な情報量の中で、文学に限らず地方のすぐれた芸術家たちの仕事が忘れられていくのでは、と心配です。そして、宮崎に関していえば、貴重な文学の資料が次々に失われていく中で、県立近代文学館のような施設、研究機関がぜひ欲しい―文学碑祭に参列しながら、そんなことも考えていました。
多くの人たちが参列した文学碑祭