川柳のプロとはどんな人かについて考える。
それは川柳に評論家がいないという議論とも関連をもつ。
私が愛読している’きやり’には昭和、大正の評論が温故知新のタイトルで掲載されている。今行われている議論が繰り返されていること気がつく。発表年月を見なければ何時の議論かわからぬこともしばしばである
曰く川柳は詩か?選者の条件とは?などなど
ところで最新6月号に再録されている昭和22年4月の談話会の中では’川柳の道を商売や生活に利用してはいけない’’生活第一、趣味第二’などと書かれている。
現在プロの川柳家として名前のあがるのは川柳公論の尾藤三柳氏、川柳大学の時実新子氏、番傘本社の森中恵美子氏、札幌の斎藤大雄氏、柳都の大野風柳氏くらいではないだろうか。
有名なプロは十人に満たない。生活の糧にしたくても出来ないのが現状ではなかろうか。結局川柳の愛好者は多くても本来の意味で読者が少ないのが現実であろう。ここに名前をあげた方々は
作者として超一流、選者・鑑賞者として超一流、評論家としても然りそして結社、川柳社、事務所などの主宰者・責任者などそしてある程度部数が出る句集、評論集、指導書の著作をもつという共通点をもつ。
小説・ほかの短詩と比べてプロの少なさ、当然評論家は内輪にはいても外にはいない。その証拠に新聞文芸欄に詩、短歌、俳句の時評が出ることがあっても川柳の時評はほとんど出ない。毎日の万柳や時事川柳で秀句集が選者の評とともに出るのを時折目にする程度である。
それは川柳に評論家がいないという議論とも関連をもつ。
私が愛読している’きやり’には昭和、大正の評論が温故知新のタイトルで掲載されている。今行われている議論が繰り返されていること気がつく。発表年月を見なければ何時の議論かわからぬこともしばしばである
曰く川柳は詩か?選者の条件とは?などなど
ところで最新6月号に再録されている昭和22年4月の談話会の中では’川柳の道を商売や生活に利用してはいけない’’生活第一、趣味第二’などと書かれている。
現在プロの川柳家として名前のあがるのは川柳公論の尾藤三柳氏、川柳大学の時実新子氏、番傘本社の森中恵美子氏、札幌の斎藤大雄氏、柳都の大野風柳氏くらいではないだろうか。
有名なプロは十人に満たない。生活の糧にしたくても出来ないのが現状ではなかろうか。結局川柳の愛好者は多くても本来の意味で読者が少ないのが現実であろう。ここに名前をあげた方々は
作者として超一流、選者・鑑賞者として超一流、評論家としても然りそして結社、川柳社、事務所などの主宰者・責任者などそしてある程度部数が出る句集、評論集、指導書の著作をもつという共通点をもつ。
小説・ほかの短詩と比べてプロの少なさ、当然評論家は内輪にはいても外にはいない。その証拠に新聞文芸欄に詩、短歌、俳句の時評が出ることがあっても川柳の時評はほとんど出ない。毎日の万柳や時事川柳で秀句集が選者の評とともに出るのを時折目にする程度である。
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