John note~ヨハネのひとりごと

のんびりと気楽に書いてます。訪問し頂いた方に感謝。不定期。
書きたい時がきたら集中的に書くかもしれません。

最も小さい霊魂の会 ヤフーブログ終了に伴い入会者総括

2019-12-15 20:23:40 | 新たなる試み
最も小さい霊魂の会 私的祈りの会 入会者総括

NO.1  静岡  Rさん
NO.2  東京  Cさん
NO.3  京都  Mさん
NO.4  兵庫  Nさん
NO.5  宮城  名前なし
NO.6  オーストラリア T.Mさん(日本人)
NO.7  静岡  Iさん
NO.8  埼玉  Cさん(チャロクロさん)
NO.9  入会予定あり  jsさん

自分も入れて10人という区切りのいい数で終了いたしました。

この後のことは同志であるチャロクロさんに引き続きをしております。

チャロクロさんという方は私と同じく緑のスカプラリオの無料配布をしている方で、とは言っても私は事情によりやめてしまいましたが。
神様のみ摂理により、祈りの会に入って頂きました。
その後、私の体調不良により、会を引き継いで頂きました。

後から愛知県のMM様が入って頂きました。

緑のスカプラリオも祈りの会も、チャロクロさんの熱意と行動と宣教と愛により順調に進んでいるようです。

祈りの会の詳しい内容を知りたい方はTwitterでチャロクロと検索してみて下さい。
よろしくお願いいたします。

最も小さい霊魂の会36 37

2019-12-15 20:06:33 | 最も小さい霊魂の会 再び投稿します。


苦しみと救霊の絶頂

苦しみを耐え忍ぶこと



コンソラータ


「殉難の絶頂はまだ遠い。私は、まだまだ不完全ないけにえです。でも絶え間ない愛の心と、完全な献身の誓約によって殉難の絶頂へ向かう準備は着々進んでいます。 」



「神の恵みに導かれ、まず神と人とに対する愛を完成させ、次に苦しみの忍耐を完成し、その次に私の『全ては成し遂げられた』がきて、私の道は終わるでしょう。 」



「各々の苦しみを、神の道具に過ぎない被造物からではなく、直接に神のみ手から受けること、そしてその苦しみを、イエズスのご受難に一致させ、愛においてイエズスと御母に感謝しつつ、『兄弟』のために捧げること、そしてその捧げ物を決して取り消さず、それについて全然考えないこと。苦しみの全てについて純粋な沈黙を守ること。苦しみは貴重なとうとい宝物であることを確信し、あらゆる努力を傾けて、苦しみの全てを微笑で隠すこと。自分を苦しめる人に、あらゆる隣人愛を持って報いること。」



「ゲッセマニからカルワリオまでイエズスのご忍耐にならいながら、深い沈黙のうちに、全然不平、悲嘆、文句なしに忍耐します」


😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅😅 


最も小さい霊魂の会の会員は募集しております。



しかしながら会を整備する必要があり、只今準備中です。



各会員さまは各自で祈っていてください。



苦しみは、他人により受けた苦しみを耐え忍ぶではなく、自ら苦しみを耐え忍ぶことを日々の訓練としてやっています。


それらは、魂の聖化に役立つからです。


だれが、そんな苦しみを求めましょうか。


全ては未来の幸せのため、また、イエズス様への愛のためです。



もしも、その事がなかったら、全てはむなしいものになるでしょう。



最も小さい霊魂の会の記事もいよいよ終わりに近づいて参りました。



私が書き終わった時には、見ていてくださった人達の心に、神様とコンソラータご自身が語りかけて下さるでしょう。



それまでは、書き続けないと😁


37

緩和なしに耐え忍ぶ



コンソラータ


「・・・私は自分の体の事を少し心配しすぎ、ある日の午後、気分の悪いため、負けて眠りました。またその晩も9時にならないうちに寝ました。その時、神の光は、偽の生け贄と、本物の生け贄の羊の差別を悟らせて下さいました。ゲッセマニからカルワリオまで、辱しめられた精神、苦悶された聖心、弱り果てた御体にもかかわらず、少しも緩和をお求めにならなかったイエズスを常に眼前にじっと見つめること。イエズスにならって、どんなに気分が悪くとも、居眠りをしたり、早く寝たりすることによって楽になろうと全然しない事を誓約いたします。その誓約を立てる日は、無原罪の御宿りの祝日と、恵みによって定められました。神父様、この誓約が難しいことは、よくわかっております。」



「・・・・貪食の罪あるいは不摂生でしょうか?私にはわかりません。自分の小室におります時、あんまり唇が渇いて燃えるようでしたので、少し冷やそうと思って洗面器の水に浸しましたが、思わず負けて水を飲んでしまいました。無原罪の御宿りの祝日の前夜、また、祝日の日にも祝日だからという口実に負けて食事の時に、渇きをとめ、皆さんに分配する十分な分け前を私も頂こうと思いました。神父様、その後の良心の呵責がどんなにひどく耐えがたかったか、書く事ができません。私は、自分の臆病を強く感じ、どうしても生活を直さねばならないと固く決心しました。一瞬間でもそんな自己非難を経験するくらいなら、喉が渇いて苦しさのあまり泣く方がよほどましだと思います。イエズスは私が英雄的である事を望んでおられます。それに寒さと渇きを忍ぶことは、修道会則によって勧められています。さあ、私は、その会則を守ることを初歩から始めます。」


😲😲😲😲😲😲😲😲😲😲😲😲😲😲😲😲😲😲



コンソラータの記事を書いているうちにある事に気づく。



始めはイエズス様の出現により、手取り足取り教えられることが多かったコンソラータだが、後半になるとイエズス様はいつしか現れなくなり、コンソラータ自身がイエズスに話しかけることが、大部分を占めるようになる。



それは、コンソラータだけではなく、私達も同じなんだと思う。


神様から教えられた人達は、神様のみ旨に合わせるべく自らをイエズス様の十字架に合わせて生きるようになる。


そう感じた。



神様に近づくためには、自分をなくし、自らを空にし、神様に全てをゆだねなければならないのだと思うんだ。



自分の弱さを感じ、自分の弱さと戦いながら、神様に信頼して生きること。



霊的幼子の信仰。



それが神様が聖テレーズをはじめとするそれに続く人達に与えようとしている信仰なんだと思う




最も小さい霊魂の会 34 35

2019-12-15 20:04:23 | 最も小さい霊魂の会 再び投稿します。


コンソラータ



「今こそ私は親切、柔和、寛大の徳のことをよく悟ってきました。いまこそイエズスの聖心がそれらを私に対して実行しておられるように、わたしも実行するよう強く励まされるのを感じます。それで次の決心をいたします。


今後、人々の欠点を決して見ず、前よりも深い親切、あたたかさと寛大を持って扱うこと」



😁😁😁😁😁😁😁😁😁😁😁😁😁😁😁😁



自分も悪意に対して悪意を持って答えないということを実践しています。


多くの人は、自分の回りに誰かしら、好きではない人、ソリの合わないひと、腹の立つ人、苦手な人を持っています。


でも、そう人と一緒に生活するためにはその人の欠点を見過ごす、ゆるす事が大切なんだと思います。


そう簡単に出来るものではないとおもいます。


でも、イエズス様とマリア様において出来ると信じています。 


イエズス様はおっしゃいました。


「仕えられる者ではなく、仕える者になりなさい。」と。


どのような状況下にあっても、それが神様の望まれたみ旨だと思うなら、乗り越えられると信じます。


神様がこの状況を望んでおられるんだと思って、一つ一つの場面を生きていきたいと思います。

35

コンソラータの言葉


数日前から『ホスチアに対してホスチア』という考えが私の心を捕まえ、どうしてもそれを忘れる事ができません。


いけにえとなられたキリストにならい、私もどうしてもいけにえにならなければなりません。


潔白なホスチアー御父と霊魂に対する愛に溢れ、完全に親切、寛大、慈悲に満ちているホスチアという理想を深く味わっています。


イエズスなるホスチアにならい、潔白で、愛に燃え、恵みを与えるホスチアになりたい。そうすれば私もいけにえになって、いけにえなるイエズスに完全に一致するでしょう。


😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃



パソコンが使えなくなり、投稿するのに時間がかかるコンソラータへの道。



私のコメントなどはスルーしてもいいからイエズス様、コンソラータの文だけをつなげて読むとある程度の文脈がつかめると思います。


スマホ投稿のため、なかなか長文にて投稿が困難になりました。


疲労度が違いますね。



一応、年内に完了したいと思ってます。 


コンソラータのこの本は売っていないんですよ。



聖テレーズの霊性を継承しているので、聖テレーズを好きな方は、すんなりと入っていけると思います。



神を愛する事が進化していくと、いけにえになりたくなり、また、苦しみを自ら求めるようになるんですね。


私にはとうてい出来ない気がします😅




最も小さい霊魂の会31 32 33

2019-12-15 20:01:15 | 最も小さい霊魂の会 再び投稿します。

イエズス・マリアあなたを愛します


コンソラータ
「御母マリアに対する愛は非常に増し、私は過去、現在、未来において、イエズスと聖ヨゼフ以外はだれもそれほど愛したことがないほど愛したいと提案いたしました。この世のすべて、天と地のあらゆるものは私にとって消え、善に対して嫌悪と退屈しか感じない時も、絶え間ない愛の十字架を抱擁して、聖母マリアのマントのもとに隠れる事は、私の無上の喜びです。」


「私を完全に満足させるマリアへの唯一の呼びかけを見つけました。それはイエズスがマリアを呼びかけた『お母様』です。

自分も、マリア様以外に母様(はは様)とお呼びしています。
イエズス様同様にカトリックにとって聖母マリア様はなくてはならない存在で、偶像崇拝と嫌う方もいらっしゃるのは、まことに残念な話です。
世の救いは、聖母マリア様の受諾によってはじめられたのであり、聖母マリア様の受諾がなかったらイエズス様が地上に降りてくることはなく、人類の救いもなかったでしょう。
聖母マリア様は、神ではありません。
しかしながら、神の子イエズスは汚い地上に降りるためには人間としてつくられた清いマリア様の胎が必要でした。
そして、この世の人間の霊魂を救うべくお生まれになられたのです。
聖母マリア様は、神ではないと書きました。


では、カトリック信者はなぜ聖母マリア様に祈るのでしょうか?
それは、天と地の中で神様に祈りを取り次ぐ強力な力をお持ちになっておられるからです。
そして、神様につぐ愛を持っておられるからです。


私たちは、神に祈りを捧げます。
その祈りは、神のみ前に清くありません。
人間的な感情や、罪や、雑念やいろいろなものが入り混じっているからです。
例えば、人にものを贈る場合、裸では贈りませんよね。
綺麗にラッピングして送りませんか?
そうすることで相手に好印象を与え、気持ちよく受け取って頂けます。
聖母マリアに取次ぎの祈りを祈る事は、私たちのしおれた祈りの花束をみずみずしく再生し、聖母マリア様がきれいにラッピングして
神様に届けてくれることなのです。

祈りの会は今、中断しています




しかしながら、会員は受け付けています。
これからの予定は、司祭様にこの会の運営方法を相談していくつもりです。


ただ、運営と言っても3つの祈りを一日に一回祈るだけなんですが・・・・。
それだけなんですが。


このシリーズの完結に向かって再スタートします。


ちょっとずつ、ちょっとずつ書いていきます。

32
隣人愛の絶頂



コンソラータ


「イエズスの聖心が最後の息をひきとられるまで、隣人愛のために、御自分を尽くしたもうたように、私も力の尽きるまで隣人愛によって人々に献身し、自分はもう存在しないように、自分を少しも大切にせず、最後の瞬間まで全ての人々に対して微笑しながら、『はい』と答えることを決心いたします。



「・・・毎日、愛、忠実、隣人愛の生活を送りながら、疲れはてて、十字架上でイエズスのように『全ては成し遂げられた』というまでに常に前進いたしましょう!」



「私の霊魂は、良くないこと、特に隣人愛に反する最も小さいことも、大変敏感に感じるようになりました。」



😋😋😋😋😋😋😋🙇😋😋😋😋😋😋😋😋😋😋



久しぶりの最も小さい霊魂の会の記事を書かせて頂きました。



先週の自分なら、考えられないことでした。


生きることが大変でしたから。



聖なる霊魂になっていくに従って、最も小さな罪ですら、敏感になることがわかります。



聖なる人と呼ばれる人達は、隣人愛に一生懸命になります。


自分を忘れ、隣人を愛するために全てを考えます。


そのためなら犠牲も気にしないのです。



なんという心の境地なのでしょう。



私達は、なんと自分のことばかり考えているのでしょう。



私は、改めて全ての人に対して『はい』からはじめていきたいです。



特に自分に敵意を抱いている人に対してはそうしたいと思います。



その点においては、今の職場は絶好の場所です。

33
コンソラータ



「・・・しかし、神父様に次の事を申し上げた方がいいと思います。イエズス様はこのころ私の良心を非常に感じやすくして下さったので、ちょっと親切でない短気に響くほんの短い言葉を言っても、すぐに苦しく思います。」



「長い苦しい努力のあとで、今、隣人愛の絶頂に達し、わたしは糸でつながれていた小鳥が糸を切られた喜びを感じています。この隣人愛という善徳を実行することによって新しい光が心に輝いてきました。イエズス様の聖心に感謝します。






この新しい光とは、憐れみだった。憐れみは隣人愛に勝り、隣人愛にさらに高度の親切を加える。


憐れみによって人の悪い所を見ず、批判せず、親切に弁護し、隠し、黙っている。


憐れみによって忘恩の人、悪人、敵に対しても親切を尽くすのである。



「あなた方の御父が慈悲にましますようにあなたがたも慈悲であれ。」


ルカ6*35〜36



とイエズス様は隣人愛の絶頂をさしておられる。



😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃😃



人は、人の悪い所を見て、批判し、人にいい、時には大勢の人の前で怒って辱しめを与える。



もし、神様が憐れみでなければ私達はこの世に存在していないのではないか。



旧約の時代、神様に逆らったものは酷い仕打ちを受けている。



ノアの時代やソドムとゴモラの時代、モーゼの時代などなど。



人の悪い所を見ず、批判せず、親切に弁護し、隠し、黙っている事が出来るのは、神様の恵み、そして、神様の恵みにたいして謙虚にそれを受け止める人だけなんだと思う。



人が悪い所をしている事を見たとき、沈黙していなければならない。


犯罪のような事件性のあるものは別。


決して批判しない。


そして、なぜそうするに至ったか考える。


自分が、逆の立場だったらしたかもしれないと客観的に見てみる。



人は、弱いもの。


イエズス様をシュロの葉で出迎えた民衆は、イエズス様を十字架につけて殺してしまった。



生きる環境がもし、変わっていればどうなっていたかわからない。



人々に必要なのはあわれみの心。



全ての罪を包み込む神の愛であると感じる。



私達のどんな罪も、神様のあわれみという大海に入れば一瞬にしてなくなってしまう。






最も小さい霊魂の会 30

2019-12-15 19:58:25 | 最も小さい霊魂の会 再び投稿します。


自分がしたためた記事を全部載せて区切りたいと思います。
続きはまだあるのですが、大半は載せたのであとは再開時か、お調べになられて信仰を深めて頂ければ嬉しいです。







コンソラータは、台所、畑、靴屋、秘書、看病、洗濯、掃除、生き物の世話など、昼も夜も身にかかってくる多くの仕事にほとんど押しつぶされそうだったが、イエズスは励ましてくださった。


 


「コンソラータ、よくわかりましたか?人々があなたの時間をいろいろな仕事で利用する事を許してあげなさい。時間のある間に出来る限りの事をして働きなさい。あなたはもうすぐ死ぬが、死後には働くことが出来ないから、どんな犠牲からも逃げず、どんな願いも退けないように。


私はいつもあなたの愛の勤めをよく果たせるよう助けてあげよう。」


 


「イエズスはあなたに最良の部分を与えた。あなたに要求する忍耐を他の人々にも要求するわけではない。人の欠点、自己心、虚栄心などすべてを知っていてもよく忍耐してそれを見せず、黙ってにこにこと愛を尽くしなさい。死ぬとき、あなたは黙って何も言わなかったことについて喜ぶだろう。」


 


「今から被造物を見ないように。彼らをイエズスと見なしたら、どんな犠牲でも、しやすくなるし喜びの源となるだろう。私は、あなたのために自分を犠牲として捧げたので、あなたもまた自己を捨てなさい。ごらんなさい。人々は、ご聖体にいる私をとったり、顕示台にいれて聖櫃の上に置いたり、独りぼっちにしたりなど、自分の思うとおりにいろいろな方法で取り扱う。


あなたもその通りにしなさい。姉妹たちが自分の思うとおりに、どんな方法であなたを使用するのも赦しなさい。」


 


聖母マリア様


「自己を全くなくしなさい。上長と姉妹たちを通じて、神のうちの素直な道具としていつでも自由に使われなさい。」


 


ある時、コンソラータはある姉妹の用をするために、聖堂へ行って決まった免償をうることが出なかった。


イエズスは、コンソラータを慰めて「全ての免償の中で最も良い免償は、絶え間ない愛の心である」と仰せられた。


 


イエズス様


「あなたは助けを要する姉妹を見たら、自分がどんなに忙しくても、決して放っておいてはいけない。まずこの隣人愛の行いをすることを覚悟しなさい。そうすれば私はあなたの全ての義務を正確に果たすことができるように、良くしてあげる。」


 


「あなたは世話好きで、しすぎるのではないかなど恐れなくてもよい。全ての人を私とみなせば、私の希望に対して世話をしすぎということがあるだろうか。」


ほほえみをもって


 


私たちは、人に奉仕するとともに、イエズスの聖心の御慈悲と親切とを発散しなければならない。


 


イエズス様


「愛の行いを一つも怠らず、全ての人を私とみなし、私が確かに助けると確信して、雄々しく私のあらゆる勧めにすぐ『はい』といって従いなさい。それからにこにこしなさい。


私はあなたによって、人々に微笑みを与える」と仰せられた。


 


「私は全ての悲しみを隠して自分のものとするが、人々にはいつでも微笑みを与える。あなたも同じようにしなさい。」


 


 


神に対する英雄的忠実


 


忠実


 


聖人になる第一の条件は、霊魂を聖ならしめる神の御働きに少しも反対しない決意である。


それは非常に強い意志と戦いに対する勇敢さを要求する。


 


「私が地に平和を投ずるために来たと思うな、平和ではなく、剣を投ずるために来た」


 


イエズスは恵みにつぐ恵みを重ねて与え、コンソラータを聖化の絶頂へ導いたが、コンソラータもその恵みに答えて少しも反対しなかった。高い聖化に召された者は、絶壁から落ちる危険に絶えず直面していて、一歩間違えばもう終わりである。


それで案内者が必要である。


 


イエズス様


「あなたが自分自身や他の被造物により頼んだならば、カタツムリのようにか進めなかっただろうが、あなたはイエズスのみに信頼したから、私があなたの中で奇跡的に働いて、二人で巨人のように飛んでいくことが出来る。」


 


「世間の人々は最高記録をつくるために大変骨折っているが、よし!私はあなたを全ての最高記録を破る者とする。それを私に任せなさい。」


 


「一か月を過ぎてあなたは大きな進歩をした。あなたが完全な聖人になりたいことを知っている。それには、過去、現在、将来について少しも心配せず、あなたにとっては絶え間ない愛の心のほか、何も存在しないようにしなさい。」


 


 


義務に対する忠実


 


イエズス様


「苦行するため、特に日常生活の義務を忠実に果たしなさい。まず、第一に自分の義務を、常に自分の義務を。」


 


決心に対する忠実


 


イエズス様


「昨日、あなたは来るべき偉大な英雄的苦難を考えては、心の準備をしようと思っていた。そしておそらくはいつまでも来ないそんな苦しみのことを考えることによって、実際に来た小さな苦しみの機会を有効に使わなかった。コンソラータ、そんなことをしないでください。


くるべき苦しみを想像する事はやめ、私に任せなさい。自分の決心を忠実に守る事だけ努めなさい。そうすれば自然に苦しみ、試練に対して常に覚悟していることになる。」


 


自分の自由意志からでなく、気がつかないで自然にやったことは不忠実とは言われない。


 


イエズス様


「自然に浮かんでくる考えは不忠実ではない。では、不忠実とはなんだろうか?例えば、あなたは食事の時、大きな方を取りたがる本性に対し、常に小さいほうを選ぶ約束をしながらきのう大きい方のトマトを選んだだろう?それが不忠実だ。」


 


不忠実になった時は、すぐ痛悔するとともに、信頼の心を起こし、新たな善意を持って、雄々しく道を歩み続けるよう御父が悟らせてくださった。


 


永遠の御父


「あなたが特別に立てた誓約と決心を、忠実に守るため、あなたは、何もかもすべて惜しみなく捧げる雅量、英雄的な雅量を示しなさい。問われないのに何かを言った時、断固として沈黙の誓約をまた新たに立てなさい。いらぬことを見た場合、いよいよ力を尽くして目の慎みに励みなさい。この絶え間ない努力は、多くの功徳となり、サタンとの戦いに新しい勇気を与えるだろう。」


恵みに対する忠実


 


コンソラータ


「小さな義務を果たすこと、一つ一つの行いを丁寧に、また出来る限りの大きな愛を持って成し遂げること、たとえ最も小さいどんなつまらぬ行いも、最も完全に行う事。祈りも全部、特に食前食後の短い祈りを全精神を集中し、ありったけの心を込めて唱えること。」


 


聖母マリア様


「どんな日、どんな時間、どんな場合であっても、地上にイエズスとあなたの霊魂のほかは何も存在しないように、全てが完了するまで、現在の各瞬間を完全に生きなさい。」


 


イエズス様


「あす十分食物があるかどうか心配しないでください。体のために食物を用意して下さる神は、ましてや霊魂の明日の事を考えて下さらない事があろうか。あなたは今日、絶え間ない愛の祈りに励みなさい。明日の事は、私が考えてあげよう。」


 


 


雅量豊かな忠実


 


やりやすい時、また短い間なら完全な忠実も難しくはないだろうが、絶えざる激しい戦いを要する時に完全な、雅量豊かな忠実を守れる人は少ない。


 


イエズス様


「決心した事、誓約を立てたことを取り消してはならない。イエズスに対する愛のため、全てをあるがままに受け入れ、全てを苦しまねばならない。」


 


霊的乾燥の時には、小さな善業、少しの我慢、普通の祈りすらひどい嫌悪のためほとんどできなくなる時がある。


そういう時にこそ、愛は純粋となる。


コンソラータは、愛の甘美を深く喜んだ時もあったが、十字架に釘付けられたような苦しい時は、それよりもずっと長かった。


 


「私の毎日は大抵次のような状態です。イエズスに忠実であったことについては心が平安と喜びに満ちていますが、一つ一つの犠牲、苦しみまた忠実を守る事に、強い反感というか、抵抗を感じています。」


 


イエズス様


「その反感に勝つことによって功徳をますから、私はその激しい反感を取り除かない。」


 


「私の浄配である修道女たちの全ての希望を聞き入れることは私の喜びである。だがその希望はもっともっと高めることができる。」


 


「私が最も好む修道女たちは、私がその希望を叶えてやる者ではなく、むしろ、犠牲を与えて純化させるものたちである。コンソラータ、このことをよく覚えておきなさい。」


 


コンソラータ


「ある晩、あまり疲れて、やっと立つことが出来るほどでした。母様が私に近づいて、私の青い顔を見ると、私は言わないほうがよかったのに疲れていることを話しました。・・・・親切に母様は、すぐ私を休ませて、朝課を免除して下さいました。私は、従順にベットに入りましたが、イエズスが厳しく私に良心の呵責を感じさせてくださいましたので、ベットは針のむしろとなり、起きたいと思っても従順によって起きられもせず苦しみました。」


 


イエズス様


「コンソラータ、あれくらいの事を母様に言わなくてもよかったのに!もう一時間も我慢すれば十分だったのに。ごらん、その間どんなにたくさんの功徳をなくしたか!皿洗い、台所のかたづけ、野菜を綺麗にする手伝い、共同の仕事、聖堂でのロザリオ、朝課・・・・それらみんな、あなたが雅量を欠いたため、なくしてしまったのだ。」


 


「私はあなたが心配する事を望まない。あなたがもっと雅量豊かであることを望む。」


 


コンソラータ


「イエズスは私の霊魂を本当に変えて下さいました。私の臆病は一滴の水となって、イエズスの雅量の海にしたたり、もう全然なくなりましたから、神の強さが私のものとなりました。


どんな機会があっても雄々しく『はい』と言い、イエズス、御身に信頼しております。」


 


イエズス様


「怖がらなくてもよい。コンソラータ、私はあなたを雅量豊かな者、非常に雅量豊かな者にするだろう。私の手から全てを受け取り、どんな悲しみ、試練にも、愛による従順と忠実によって、勝ちなさい。」


 


 


 


悪魔との戦い


 


悪魔は聖人たちを攻撃するが、ペトロも箕の中でよい麦と悪い麦を振り分ける時、悪魔によって悪い麦の中に入れられようとした。


コンソラータも、悪魔の猛烈な攻撃を受けた。


 


イエズス様


「サタンはあなたを振り分けようとしている。だが恐れなくてもよい。あなたは弱く病気だが、偉大な勝利を収めるだろう。ただ私のみに信頼し、あなたの誓約を忠実に守りなさい。」


 


私たちは皆、隣人愛や貞潔に関して誘惑を経験するが、聖人たちはずっと強い誘惑を受け、特に、信望愛については、神に対する強い反抗、侮辱、恨み、不信仰などの真にサタン的精神へと強く誘われているのである。


 


イエズス様


「誘惑がどんなに強くとも、意志が承諾しないなら、全然罪にならない事をよく覚えておきなさい。その意志とは悪いと知りながらするという意志の事です。」


 


警戒して悪魔が入らないようにすることは、入ったのを追い出すよりも楽である。


どんなに長くかかっても警戒しながら辛抱強く頑張り通す決心によって、悪魔の頑強な誘惑に抵抗する事ができる。


 


イエズス様


「はえが飛んできてあなたの顔にとまったら、今度は止まらないうちに防ぐだろう。誘惑に対しても同じようにしなさい。悪魔が心に入るのを許せば、サタン的毒が霊魂に侵入してくる。」


 


「その勧めが聖霊から来たか、悪魔から来たかを判断するため、次の主義を使いなさい。その勧めが、心をあたためて愛へ導かないなら、恨みが愛をもたらすことは出来ないから、確かに天から来たものではない。」


 


英雄への召し出し


 


イエズス様


 


「私があなたに望み、要求していることは、あなたがどんなに戦いと苦しみが激しくとも、少しも怠らずに絶え間ない愛の祈りを続けるため、完全な自己放棄をする英雄、私が犠牲を要求するたびごとに、感謝してそれを受ける英雄、全ての人に私を見て、どんなに忙しくとも言葉と行いによって全ての人を私のように取り扱う英雄になる事だ。私があなたを助けてあげよう。」


 


イエズス様


「私はあなたが英雄的であってほしい。私が要求したことに対して英雄的に努力してほしい。


コンソラータ、私はいつかあなたを世界の人々に英雄として見せたい。


あなたはすでに完全に自己献身したので、あなたを神に捧げなさいとは言わないが、捧げたものをどこまでも英雄的に保存するように頑張りなさい。恐れるには及ばない。私がいるから、私においてあなたは何でもできるのだ。」


 


黙想会の最後の日、愛の犠牲(いけにえ)に生まれたコンソラータは、幻視において、言い表せぬほど美しい真っ白な霊魂を見て、イエズスに「私はあんな清い霊魂になりたいと望んでいます」と願った。


その日の晩おそく、イエズスは「コンソラータ、内緒の話だが、さっきあなたが幻視でみたまぶしいほどの潔白な霊魂は今のあなたの霊魂だ。永遠の婚宴に聖心の浄配としてささげられたあなたを、こういう姿にしたいと望んだ私は、自分の思うとおりに、あなたの霊魂を準備したのだ。」


 


 


三つの絶頂へ向かって


 


極めて偉大な英雄心


 


コンソラータ


「私はイエズスが聞き入れて下さるまで、何度でも、愛、苦しみ、救霊についての私の無限な希望をイエズスに申し上げます。


また十字架の道行きの各留ごとにイエズスがうんざりなさるほどそれを繰り返します。この偉大な恵みをうる唯一の条件は、絶え間ない祈りによってしきりにせがみ、熱望する事です。


自分が変わりやすく臆病で、みじめそのものであることはよく知っていますが、同時に神が全能である事も知っています。


だからこの最も小さい霊魂と神との間に信頼という架け橋を掛け渡せば、私は全く無価値なものですが、最も小さいものであるがために、イエズスが私の望む全てを与えてくれるのです。


イエズスが与えて下さった愛によって、どんな苦しみ、戦い、自己放棄をも、少しも恐れません。


ときどき私はイエズスに冗談を申し上げます。


「私が望んでいる偉大な苦しみと、それに耐える力を下さらないなら、あなたは全能ではありません。でも、私はあなたの全能を信じています。」


神父様、私はすでに、私の望む大きな愛と苦しみの道を歩きはじめ、今や、全てを得ようと望む大胆不敵な信頼によって、挑戦状は差し出されました。信じるものはすべてが可能です。


神父様、信仰は、私の中で無限に大きく成長したように思います。


私は、信仰を保つばかりではなく、もっともっと大きくするために、祈りにしっかりすがりついております。


繰り返し申しますが、この小さい子供と神の聖心の間には、無限の信頼という橋が、かかっています。」


 


コンソラータ


「もし、愛、苦しみ、救霊の三つの絶頂に達する事が不可能ならば、全能の神は、どうしても達したいという希望を私の心に注がなかったでしょう。私は罪だらけなものですが、神は全能です。


私は、神を拠り所としています。将来私が全ての人の慰め手(コンソラータ)となるために、神により頼みながら、私は、この三つの絶頂に向かって進みます。


ああ、イエズスよ、あなたは全能です。将来世界の人々に祈りの力を見せるために、この全てを信じます。」


 


コンソラータ


「私は、現在の、全く等しい自分の中で、信頼だけを、三つの絶頂に向かう基礎にする決心です。



コンソラータ
 
「私はイエズスの『私は全ての事を考えてよくしてあげるから、あなたは、私を愛する事だけ考えなさい!』というみ言葉を、物質的なものばかりに関係していると思いました。
けれども今、私はそれが完全な自己献身を指していることを悟ってきました。
『私はあなたの全てを考えてあげる』とは、イエズスが、私の成聖や、愛、苦しみ、救霊、つまり最も些細なことまで全て考えておられるという意味です。
従って私には、『あなたは私を愛する事だけを考えなさい』と言う事だけが、私のなすべきこととして残っています。」
 
「霊魂が全ての妨害から解放されることは、なんという喜びでしょう。愛の祈りと愛の行いを一つも怠らないように注意するほかは、何も見ず、何もかまわず、私が出来ない事も全然恐れないということは、本当に幸福です。イエズスよ、喜んで私を捧げ、あなたに信頼いたします。
常にあなたの聖心の真ん中で完全に安心して、あなたの愛に抱擁されながら前進すること!
前にあなたは『過去、現在、未来を通して誰もそれほど愛する者がないほど私を愛したいか?』とお聞きになりました。
あの時、私は震えながら『はい、イエズス』と答えました。
誰にも負けないで、最後の息を引き取る時、一着で決勝点に着きますように!」
 
「私の霊魂の中では、全ての人、全ての事に対する沈黙が勝利を得、救霊の他は何も考えない状態です。もう天国の生活のように、神からの無限な平安に満ち、最も小さな悪の影にもすぐ敏感に気づくほど清くなって、私と、愛する祖国と、全世界に関するイエズスの思し召しに、完全に献身している生活です。すべて、イエズスの望み給うたように!
私は今、最も小さい霊魂の生活を生きています。神父様どうぞ私がその高い絶頂から落ちないように祈って下さい。」
 
神と隣人に対する愛の絶頂
 
英雄的な忠実さで「愛の最も小さい道」を歩むとは、まず第一に、純粋な愛の心を出来るだけ絶え間なく起こすことである。
それによってコンソラータは、隣人愛と犠牲の英雄に達したのである。
「絶え間なく」と言っても、単に祈りの言葉を習慣的に何度も唱えることではなく、真実、常に、愛の心を起こすことで、それも霊魂の能力が、他の務め、特に精神的な仕事に、向けられていない時に、自由に、純粋な愛の心を起こすことなのである。
なぜ、英雄的でありうるのか?
「愛の最も小さい道」を歩きはじめる人は多い。
だが、続ける人はまれである。
あたかも、この花からあの花へと舞っては、こちらで花粉を少し、あちらで蜜を少しつまむ蝶に似て、
一つのきれいな考えを味わっては飽きてまた別のきれいな考えを試し、いつの間にか信心生活の中心を神ではなく、自己満足においている人が多いからである。
自己放棄のために必要な戦いは絶えず続き、失敗はつきものだから、すぐに飽きて、重なる失敗に勇気も信頼もなくしてしまう。
だがいったん神に自己献身したからには、決してそれを取り消さず、神への愛を、口、目、心の慎みや、恵みの勧めに対する忠実、人々への奉仕、人々の弱さに対する忍耐によって、証明しなければならない。
コンソラータが生涯の最後の瞬間まで、一瞬のたゆみもなく、根気強く、心の乾燥して苦しい嫌悪に満ちている時も変わらず、絶え間ない愛の歌を心に歌い続けたことを考える時、その努力と根気において、戦時の英雄、あるいはスポーツの英雄よりも、ずっと偉大な英雄ではないだろうか。全く隠れている英雄であるけれども。
 
コンソラータ
「絶え間ない愛の祈りによって、私は全てを所有していますその祈りを怠ったことを何度も後悔して、時間を費やすことは愚かなことです。
怠ってもより熱心に唱える愛の祈りによって補う事ができますから。
でも瞬時も、愛の心を起こすことを絶対に怠らないように。
怠れば、神の御栄えに損害を与えるでしょう。今の瞬間から、死ぬ瞬間まで、常に前進のみ。
全てが完成されるまで戦い、防風、雷光、雷のもとでも常に前進。」
 
絶頂への最後の飛翔
 
コンソラータ
「いよいよ絶頂に達して、勝利を得るため、最後の飛翔をしなければなりません。」
 
愛の殉難
 
愛の絶頂とは、愛が絶え間ない事、愛が純粋であるとともに、愛の強さ、深さ、一心さが無限であることを指している。
それをコンソラータは、経験によって知り、その愛をいろいろな言葉で表現している。
即ち「清めつくす火」「愛の大火焔」「愛の猛烈さ」「愛の陶酔」「愛の殉難」
どんなに愛を尽くしても、愛の熱望は満たされない。