John note~ヨハネのひとりごと

のんびりと気楽に書いてます。訪問し頂いた方に感謝。不定期。
書きたい時がきたら集中的に書くかもしれません。

聖母マリアの栄光11

2019-12-16 09:27:51 | 聖母マリアの栄光

聖ボナヴェンツーラ



ああ、我が霊魂よ、大いなる信頼を持って繰り返すがよい。『喜び踊れ、なぜなら私が受けるべき審判において、その宣告は、我が兄弟と我が母との一存にかかわるからである』と。


我が兄弟、それはイエズスである。


我が母、それはマリアである。


我が永遠の運命は、この二人の手の中にある。こうして、私達が亡びる事は、あり得ないのである。



聖アンセルモ



ああ、幸いなる安心よ、ああ、安全なよりどころよ、神の御母は、我が母である。私達の最も善良な兄弟と、最も慈悲深い母とが、私達の救いを思うままにお定めになるのであるから、私達はどれほど大きな確信を持って希望すべきであろうか。


15



じょばんに♪


よく言われる事なんですが、マリア様は天の門という別名があります。



天の門を通らずして天国にはいけません。


別の門から入ろうとするものは盗人であります。



マリア様を通らずして天国にはいけないのです。



マリア様により頼むものは、かならずや


幸せになれるのです。

12
聖アントニノ



聖母マリアが私達にたまわる配慮を、誰が理解しえようか。マリアは、みなに、その慈悲の懐を開き、みなに、その慈悲を提供し、分配されるのである。


マリアは全ての人の救霊をお望みになる。


そして、マリアの協力なしに救霊をうるものはない。



聖ベルナルド



マリアの配慮が全人類に及ぶ事は、一点の疑いもない。



コルネイ・ド・ラ・ピエール



主よ、願わくは、至聖童貞が、わがために求めたてまつる恩恵を、我に与えたまえ。



これ以上賢明な事はない。なぜなら、私達の尊い御母マリアは、私達が自分流自身の為に、こい願うものよりもなお一層すぐれたものを、私達のために、こい願っていられるからである。


13
聖アンブロジオ



御母は、御子が十字架にかかって死にひんしたもうているとき、ご自分の生命を私達に与えるために、獄卒の手にかかりたいとお望みになっていたのである。



ニーレンベルグ



全ての母親が子供に対して抱いた愛も、マリアが私達のうちの、だれが一人に対してお持ちになる愛情に比べればそれは、影に過ぎない。マリアは、全ての天使と聖人とがいっしょになっても愛しえないほどの愛を持って、私達を愛してくださるのである。




聖ボナヴェンツーラ



ご自分よりも限りなくお愛し申し上げている御ひとり子を私達に与え、私達のためにおささげになったマリアほど、私達に対して愛に燃えたものは、この世には存在しない。



絶えざる御助けの聖母のご絵



この聖画、すごくお恵みが、あるそうです。

14

ブスティスの聖ベルナルディノ



マリアの御心の、私たちに善を施し、恩恵を分配したいという熱望は、私たちの受けたいと言う熱望よりもはるかにすぐれている。



リシャール・ド・サン・ヴィクトル



マリアは、愛情と親切とを持って、願わぬうちから、私達のそばに、馳せよって下さるのである。



聖大アルベルト



ああ、マリアを愛する心にとり、マリアを見いだす事、しかも、愛情深く、愛に満ち 、親切に溢れるマリアを見いだすことは、本当にたやすいことである。



聖ベルナルド



マリアは、(自分を愛する者を)見分ける事ができ、選みわける事ができる。


15
聖ヨハネ・ベルクマンス



私は、マリア様を愛するならば、確かに堅忍する事が出来、神様から欲しいものを残らず頂けると信じます。



聖ヨハネ・ベルクマンス



私は、マリアを愛したい。私は、マリアを愛したい。




殉教者聖イグナチオ



マリアは、いつも、愛されるよりも多く愛する。



聖スタニスラス・コスカ



聖マリアは私の母であります。






聖母マリアの栄光6~10

2019-11-18 19:33:41 | 聖母マリアの栄光

聖母マリアは、ご自身、聖ブリジッタにこれを啓示された。



私は、天の元后であり、憐れみの元后です


私は、義者の喜びのみなもと、罪人が神に入るために開かれた門戸で、この地上でどんなに呪うべき罪人でも、生きている限り、私の慈悲を感じないものはありません。


少なくとも、悪魔の誘惑を少なくしてもらえます。悪魔の誘惑を少なくしてもらうことは、私のとりなしの賜物なのです。



聖母マリアは続けたもう。



絶対的にのろわれたもの、すなわち、地獄に落ちたものでない限り、私の助けを求めて、神に立ち返れない人、神の慈悲を見出だせない人はありません。



聖母はさらに、



憐れみの母! これは、全ての人が私に与える名称です。実際、神の人間に対する慈悲は、私を、憐れみに満ちみちたものとなさいました。



ああ、それにもかかわらず、私の助けを求めない者は、本当に不幸です。

7


聖大アルベルト



神の御子を童貞なる母胎におやどしになったとき、私達の霊魂の母となりたもうた。



聖ベルナルディノ



受胎告知の日、至聖童貞は、永遠の御子がマリアの子となるためにお待ちになっていたその同意をお与えになった時、この同意によって、異常な熱心を持って、私達の救いを求め、これを獲得してくださった。また、この同意によって、ご自身を残りなく私達のあがないのわざに捧げ、その時から、私達を、みなその子供としてご胎に宿し、最も真実に私達の母となられたのである。



聖ルカ



マリアは、そのういごを生みたもうた。



聖ルカに対してのもう一人の著述家の説明



マリアが、肉によって、イエズス以外の子供をお生みにならなかったことは、信ずべき真理である。それで、マリアは、霊によって、その他の子供をお生みになったのである。


そして、これらの子供と言うのは私達である。

8

修道院長ギョーム



マリアはおびただしい霊魂を救うために、ご自分の霊魂を死にわたしたもうた。



聖シメオン



他日御身の祝せられた霊魂は、悲しみの剣によってさしぬかれるであろう。



イエズス様は、マリア様に向かって、ヨハネをさし、「これは、汝の母である。」と仰せられた。



シエナの、聖ベルナルディノ



聖ヨハネは、この場合、全人類を代表しているのであり、マリアは、全人類に対する愛によって、その母となられたからである。



神学者シルヴェイラ



ヨハネはひとつの人名である。弟子の名であり、、普通の名である。その言葉は、マリアが全ての人に母として与えられたもうたことを示すものである。



ドミニコ会パチウッチェリ師



そうだ、なぜなら、私達の霊魂を神のみ前に美しいものとするマリアの愛は、マリアをして、その子供である私達に対し、愛情以外のなにものでもなからしめるからである。



聖ボナヴェンツーラ



私達を愛し、私達の幸福を念ずる点において、マリアに比べられる母はひとりもいない。

9
聖アンブロジオ



マリアのいとも清浄な胎は、ただ一粒の小麦、すなわち、聖主イエズス・キリストしか宿さなかった。


しかし、マリアの胎が、『小麦の山』とよばれるのは、この粒がマリアの子になるように選ばれたもののみんなの芽をふくんでいたからである。それゆえ、イエズス・キリストは、『多くの兄弟のうちのういご』と呼ばれるのである。



聖なる修道院長ギョーム



マリアは、この御ひとり子、すべての人の救い主にてましますイエズスをお生み申し上げることによって、おびただしい子供を救霊にお生みになった。マリアは、生命なる御ものをお生み申し上げる事によって、彼らに生命をお与えになったのである。



聖アウグスチヌス



マリアは、その時から、救い主の肢体の霊的聖母におなりになった。


というのは、マリアは、その愛によって、信徒を教会に生まれさせることに協力し、私たちを、私たちのかしらであるイエズス・キリストの恩恵によって、再生させる事に、協力したからである。


10
カルディナル・ベラルミノ



ああ、私達は、このような母のご保護のもとに、すっかり安心して生きることが出来るではないか。 


私達が敵に攻められる時、マリアの慈しみ深い腕に逃げ込むなら、私達をその胸から引き離すことが出来るであろうか。


私達が、神の御母で我らの神なるマリアのご保護により頼む時、地獄の怒りも、情欲の嵐も、私達に打ち勝つ事は出来ないのである。









聖母マリアの栄光 5

2019-08-02 23:52:19 | 聖母マリアの栄光

ランスペルジュ



私達が悲しみを抱いてマリアに近づくとき、いとも情け深いマリアは必ず慰めをお与えになるに違いないのである。



聖ベルナルド



ああ、マリアよ、御身は、憐れみの元后でおいでになるのに、あわれな人々にどうして助けをお拒みになるのでしょう。御身は憐れみの元后であり、私は罪人のうちでも一番罪深いしもべなのです。それゆえ、私は、他の誰にもまして、御身の最も厚いご配慮を求めうるのです。ああ、憐れみの元后よ、私達をお治め下さい。私達の永遠の救いをお引き受け下さい。ああ、至聖童貞よ、私達の罪があまりにも多いからと言って、私達の願いを拒まないで下さい。罪のおびだたしさは、御身が私達を助ける妨げにはならないのです。



コメディアの聖ジョルジオ



御身は、打ち勝つ事の出来ない力をお持ちです。御身の寛仁は、私達のおびただしい罪よりもはるかに勝っています。御身の権力には、何ものも、さからうことは出来ないのです。御身と私達をお造りになった御者が、御身を母として崇め、御身の栄光を、自らの光栄のように御覧になっているからです。 創造主は、また、これを子としての喜びとなし、御身の願いをことごとく聞き入れて負い目をかえそうとおぼしめしになるのです。


聖母マリアの栄光 4

2019-08-02 23:49:21 | 聖母マリアの栄光

ルベルト

マリアは元后に立てられたのであるから、当然、御子の王国全体を所有する。

シエナの聖ベルナルディノ

神が被造物の奉仕を受けたもうたように、マリアも被造物の報酬を期待している。
そして、天使と人間、一言で言うならば、全ての被造物は、神の配下にあるのであるから、当然、光栄ある童貞の配下にもあるわけである。

聖大アルベルト

女帝と言う称号が、厳格さ、過酷さを意味するのに対して、元后という称号は、貧しい人々に対する同情と配慮とを意味する。

セネカ

不幸なものを助けることこそ、王と女王との偉大さを構成するのである。

ジャン・ジェルソン

神の支配は、権力と慈悲とに成り立つ。権力は神ご自身これを保留したもう。けれども慈悲の行使は、元后マリアにゆだねられているのである。

聖トマス・アクイナス

マリアは、神の御子をやどし、ついで、これをお生みになった時、神の治世の半分を分けてもらった。すなわち、キリストが正義の王にてましますように、マリアは慈悲の元后でいらっしゃるのである。

聖母マリアの栄光 3

2019-07-30 23:20:30 | 聖母マリアの栄光
エルネスト



永遠の御父は審判を全く御子に与え、慈悲の役目を全くその母にお与えになった。



マルドケオ



ああ、われらの元后よ、御身は王宮にお住まいである。神によって宇宙の元后と立てられたからである。しかし、ご自分だけ助かれば、他の人間はみな死んでもよいとお考えになってはならない。なぜなら、御身が元后の位に上げられたのは、ただ御身一人のためではないからである。神が御身をこれほどまで偉大なものとされたのは、なおいっそう、私達の惨めさに同情し、これを助けるようにするためである。



聖ベルナルド



それは、マリアが、望むものに、望む時に、望むとおりに、神の御憐れみの深淵をひらく事を示すためである。だから、罪人は、どんなに悪に凝り固まっているものであっても、聖者中の聖者であるマリアが、これをご保護のもとに置くならば、決して亡びる事はないのである。



聖グレゴリオ7世



マリアの偉大さと聖性とは、改心を望んでより頼む罪人に対して、彼女を更に寛仁なもの、優しいもの、とするだけである。



聖ベルナルド



マリアには、きびしいところ、おそろしいところは少しもない。マリアは、きわめて優しく、親切でいらっしゃる。