John note~ヨハネのひとりごと

のんびりと気楽に書いてます。訪問し頂いた方に感謝。不定期。
書きたい時がきたら集中的に書くかもしれません。

福者ジョセフ・マイヤー・ヌッサー

2019-12-08 22:07:46 | 聖なる人たちの紹介


ネットを見ていたらこの人が目に留まる。

ナチスの兵士に徴兵された。
しかし、ナチスに忠誠を誓うことを拒否したため、死刑を宣告されるが死刑執行に行く前に赤痢に感染し、命を落とす。
妻への手紙に、私の考えに反するならあなたは私の妻ではあり得ない、と書いている。
 
まず、ナチスの兵士になるより神の兵士を選んだジョセフ・マイヤー。
神の霊である聖霊によって最もつらい立場にありながらも、正しい決断をした姿はキリスト信者の模範と言える。

カトリック信者が「踏み絵」を踏まないことと同じように思える。
第一戒
あなたは、私のほかに誰をも神としてはならない。

ヒトラーを神として認めることは出来ない。
イエズス・キリストこそが神なのだと。

第一戒の殉教者だと書いてありましたね。

サンドラ・サバティーニ列福決定

2019-11-16 16:26:15 | 聖なる人たちの紹介

サンドラサバティーニが2020年6月に列福されることが決定されました。
聖職者や修道者だけではなく、一般信者のしかも現代の人がなることは真にうれしい限りです。

もう一人紹介します。

Chiara Corbella Petrillo  キアラ・コルベラ・ぺトリオ


カトリックの神のしもべでお母さんです。
美しい若いお母さんですが、実は大変な困難を経験されました。
第二の聖ジアンナ・ベレッタ・モッラとよばれています。
子供は3人ですが、うち2人はなくなりました。
一人目は無脳症でうまれ、なくなりました。
二人目は足がなく、なくなりました。
3人目は無事健康に生まれてきましたが、しかし、今度は自分自身が舌の癌と目の癌からはじまって最後には命を天に捧げました。

老若男女問わず、病気は突然やってきます。
その時に神様への愛と信仰と忍耐がなければ、どうやってこの困難を乗り切れましょう。

私は、信仰を与えて下さった神様に感謝をいたします。


聖ファウスチナの日記より

2019-07-13 21:07:12 | 聖なる人たちの紹介

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なぜ、恐れるのか?私があなたを支える十分な全能を持っていないと思うのか?

 

イエズス様が聖ファウスチナに言われた言葉なんです。

この本を日本語訳で読めていることに本当に感謝しています。

聖書が基本ではあるものの、なかなか理解できない私にはイエズス様を生きた聖人たちの生活や言葉がやはり必要なんです。

聖人たちの本は、聖書の参考書なんですね。

私は、長い説明文が苦手ですね。

理解する前に疲れてしまい読むのをやめてしまいます。

神様の言葉は簡単明瞭です。

評論家や学者のような説明は要らないんです。

トリエントミサが良くて通常ミサが駄目な理由をいくら長文で説明されたとしても、私には通常ミサが有効ではないミサだとは思えないし、有効だと思います。

イエズス様は、正しく任命された司祭の言葉によって、この世に降りてきてくださるのですから。

神のいつくしみの主日は復活の主日の次の日曜日です。

神様のいつくしみがまずはカトリック信者の一人一人の心で理解されますように祈ります。


自分にちょっと共通点のある聖人

2019-06-30 22:06:43 | 聖なる人たちの紹介

 自分にゆかりのある聖人は意味が違いましたので、訂正させて頂きました。

 

福者エウゼビア・パロミーノ 1899年12月15日、スペインのカンタルピーノで誕生。 非常に貧しい生活を強いられたが、家庭にはキリストの平和が満ちあふれていた。幼いエウゼビアは物質的な食べ物には恵まれなかったが精神的な喜びを味わっていた。 母親が夕食を準備する間、父親は娘たちに、神の教えを説いていた。しかし、父親の怪我により収入が途絶えたとき、カスティリア地方の寒さに耐えるため、父親と二人で、村から村をまわり、施しをうけるため戸口に立つまでの貧しさに追いやられた。 8歳から12歳まで、近所の家庭のベビーシッターと家事手伝いとして、さらには、サラマンカ市では家庭教師として雇われるが、やがて、ホームシックにかかり、家に帰る。彼女は、再び、貧しく見捨てられた老人たちのヘルパーとして雇われて生活しているうちに、サレジアン・シスターズのオラトリオに行き、祈っているとき、聖母の招きを聞く。シスターズの好意により家事手伝いとして住み込むことになる。18歳のときのことである。 やがて、召命を感じ、さまざまな困難や試練にあいながら、奉献生活の道を準備した。1924年、誓願式の数か月前、地下室で転び、手にしていた瓶が割れ、腕の動脈切断と出血多量のためにひん死の状態に陥った。エウゼビアの修道生活への強い願いは聞き入れられ、延期された誓願は、8月に受け入れられた。 立願後、ヴァルヴェルデに送られ、修道女としての生活をそこで過ごすことになった。院長と4人の同僚を助けて、家事のさまざまの用務をこなし、オラトリオの責任も果たした。子どもたちから、平凡でおとなしいと思われたエウゼビアは、非凡な魅力を輝かせて、少女たちの心をとらえていった。 このころから、奇跡を行う恵みが与えられた。深い霊性がそれに伴い、聖母の娘は「マリアの奴隷」になることを自らの謙そんな行いで示した。そのころ始まったスペインの内乱に際して祖国の救いのために、いけにえとして神に身をささげた。それに呼応するかのごとく、エウゼビアは侵入者に投打されて、持病のぜんそくも併発し、3年間の長期にわたり激痛に悩まされた。その病床を訪れた院長のカルメン・モラノに殉教を予言した。 1935年2月10日の早朝、晴れやかな表情を見せて、36歳の苦難に満ちた生涯を神にささげた。 2004年4月25日、教皇聖ヨハネ・パウロⅡ聖によって福者の列に加えられた。 記念日は2月9日である。

 

自分にゆかりのある聖人を見つけました。

現代の聖人としては初めてです。


福者殉教者Mercè Prat i Prat S.T.J

2019-06-27 22:54:35 | 聖なる人たちの紹介

修道女であることを理由に殺された。

なぜ?

こんな理由で人を殺す世界が信じられない。

神様を信じているだけで、生きずらいこの世の中が信じられない。

なぜ?

答えは簡単。

この世は悪魔に渡されたから。