John note~ヨハネのひとりごと

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ヨハネの詩 44〜あなたの聖なる司祭を送ってください

2018-12-01 21:57:23 | ヨハネの詩
主よ、
あなたの聖なる司祭を送ってください。
主よ、あなたの聖なる司祭を。

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今、司祭の減少を理由に信徒による集会ミサが横行しつつあります。
これって神様が本当に望んでいる事なんでしょうか?

司祭のふりをした、または司祭の真似をした信者が大手をふるって教会の中に増え始めるのではと。

信者同士の中にいつしか、暗黙の上下関係が出来て、聖体拝領の本当の姿が見えなくなっていってしまうのではと心配しています。

そもそも、聖体を手で拝領出来ることが問題であり、その結果、聖体奉仕者なるものが出来て、その派生で信徒によるミサ集会が出来るようになったのだと感じます。

司祭は信徒に聖体を配り終わった後、チボリウムに入っている聖体の破片に水をいれ飲み干します。それは、たとえ破片や小さな粉であっても主の体であり、それを粗末に取り扱うことができないという配慮のためです。
しかしながら、信徒の手に配ると信徒の手に聖体の破片や粉がつくこともあり、それが地に落ちたり、また何かに触ったりすることは配慮にかけると思うのです。

私が感じるに信徒によるミサ、ミサ集会は自己満足でしかないということです。

本来、司祭の聖霊によって清められた手以外に聖体は触れることが出来ないからです。

聖体は神です。
天ではセラフィムですら直接神を見る事が出来ず、翼で顔を覆いながら神を賛美しているといいます。

私達が神を聖体の外観のもとに拝領出来るのは神様の恵みによる以外に説明はできません。

ミサとは分かち合いではありません。
ミサとは司祭の手を通して神に捧げる生け贄です。
司祭と信徒との超えることの出来ない壁が曖昧になりつつあります。
司祭に与えられた権能・・・。
ある権能は神様が譲るほど神様は司祭に対して敬意を払っています。
その権能とは、聖変化と聖別する力です。
神は祝福してくださいますが、聖別は決してしません。
その権能は、司祭に留保しています。

そんなに聖体を受けたいですか?
ただの習慣として??
何も考えずに?
聖体を受けたら天国にいくのが確実とでも思っている?

そんなに信徒の代表として目立ちたい?
口で受ける人には横柄な態度になる?
そんな権限はそういう人にはないし。

そもそも神を大切に思っている人なら、聖体奉仕者からは聖体を受けないし、聖体奉仕者にもならない。

かつて私はこう思った。
司祭不在によって聖体が信徒によって配られるなら、いずれ教会にこれない信徒には郵送する日が来るのかもしれないと。

そして、ミサがミサでなくなる日も近いのかと。

そんな事は決してあってはならないので、私は神様に嘆願しています。

主よ、
あなたの聖なる司祭を送ってください。
主よ、あなたの聖なる司祭を。

主よ、
あなたの聖なる司祭を送ってください。
主よ、あなたの聖なる司祭を。

主よ、
あなたの聖なる司祭を送ってください。
主よ、あなたの聖なる司祭を。

教区司祭の守護聖人
聖ビアンネー神父