John note~ヨハネのひとりごと

のんびりと気楽に書いてます。訪問し頂いた方に感謝。不定期。
書きたい時がきたら集中的に書くかもしれません。

現代の預言者に対してのコメントに対してのコメント

2020-06-21 08:03:55 | のほほん雑記

こういうコメントをいただきました。

ありがとうございます。

😊😊😊😊😊

ヴァッスーラ・リデンさんは、教皇庁から「カトリック信仰とは関係ない」という公示が出て、昔カトリック新聞で取り上げられていましたよ。

その後もその公示は撤回されていないということです。

そのこともあり、カトリックの書店では彼女の本は置くことができないそうです。
ぜひ調べてみてください。

😊😊😊😊😊😊😊

こう考えるのは普通のカトリック者なら当然かもしれませんね。昔は自分もそう考えたかもしれません。

変な言い方かも知れませんが、私はバチカンが認めようが認めないでいようが関係ないと思っている部分があります。

前のブログにも書きましたが、私達は預言者に注目してはいけないんです。その預言者の先にいらっしゃるマリア様やイエズス様が何をその預言者を通して伝えようとしているのか、に目を向けるべきです。

実際に多くの認められていない聖母の出現があります。私はメジュゴリエの聖母の預言者たちはあやしいと思っています。でも、それを信じて神様やマリア様に祈る人が増えるなら、信仰を持ってくれるならそれでいいと思うんです。誰にも迷惑をかけなければ。

ルルドの時も教会はベルナデッタを疑いました。

人間とはそういうものなんだと思います。

あいつが聖母の出現を受けるはずがないと思うんです。

聖ファウスチナもあれだけの聖人でありながら、仲間の修道女たちからひどい扱われかたをしました。

マリア・ワルトルタの著作も教皇や神父様たちによって意見が分かれ、今ではバチカンの禁書目録の中に入っているようですが、しかしながらこの本のお陰でどれ程多くの人が信仰に目覚め、信仰が深くなったかわかりません。

因みに私の通っている教会の近くのカトリック書店には置いてありました。

聖母の出現も預言者も本も神様にたどり着く手段に過ぎません。

その手段もいろいろなものがあります。

人を騙したり、人をおとしめたり、お金目的ではない限りいろんな手段があってもいいかと思います。

神は悪いものさえも良いものに変える事ができるお方です。

たとえ、間違ったものでも本当に純粋に信じているなら、いずれ間違った事に気づかせてくれるでしょう。

神は、昔と同じように現代にも預言者を送られます。

その発信に少し足を止めて耳を傾けるのも悪くはないと思います。

こういう心の声があるんです。

あなたはバチカンが認めたから信じたのか?

バチカンが認めていなくても信じる者は幸いである。

って感じで😊


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6 コメント

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Unknown (batti)
2020-06-21 15:15:34
お返事の記事をありがとうございました。

「偽預言者に気をつけなさい」というのは福音書のメッセージです(マタイ7:15、24:11)。

間違ったメッセージを信じることは「誰にも迷惑をかけない」ことにはなりません。教会の聖性を汚すことになります。

「たとえ、間違ったものでも本当に純粋に信じているなら、いずれ間違った事に気づかせてくれるでしょう」ということですが、聖書や教会史を見れば、そんなことではすまず、数限りない異端が現れました。現実は全然違います。

「心の声」に耳を傾ければいいのでしたら、教導職は不要でしょう。それにどうしてその声が神のものと言えるでしょうか。

私は自分に自信がないので、教導職の指針を尊重したく思います。それがキリストの命じたことだからです。

何よりもワルトルタとヴァッスーラでは問題の大きさが違います。

ブログを遊びの場と考えればよいのかもしれませんが、教会内の偽預言者によって人生が変わってしまう人もいるので、自分には気になってるテーマですのでコメントさせていただきました。

言い過ぎたかもしれませんが、個人的に責任が取れない問題には踏み込まないほうがいいと思っています。

以上、ヨハネさんの趣旨に合わなければ削除してください。文句は申しません。
返信する
ありがとうございます。 (battiさんへ)
2020-06-21 16:23:22
いろいろと思いはあることでしょう。
私も何も文句はありません。
お互いに神様を愛し続けていきましょう。
返信する
ありがとうございました。 (batti)
2020-06-21 18:06:59
ヨハネさん。

ご返信、ありがとうございました。

もはや文句は言いませんが(笑)
今後も寄らせてもらいます。
返信する
Unknown (TOM)
2020-06-22 16:09:02
親愛なるヨハネ様

私もbattiさんと同じ意見です。

その前に「腐敗しない聖人」の中で聖テレーズを紹介されてますが
まことに残念ながらと言いますか・・・テレーズの ※意向通り
テレーズの遺体は、腐敗して完全に骨になっています。

(※テレーズは、死後、遺体が腐敗せず、
 多くの人の見世物になるのは嫌だとどこかで言ってたと思います)

テレーズの墓を掘り起こした時、辺りにバラの香りが立ち込め
多くの病人が瞬時に癒やされ、罪人の回心も起きましたが
テレーズの遺体は骨になっていました。

その遺骨の大半は、リジューの修道院の
例の横たわった聖像の下に眠っていますが
(豪華な遺骨箱に収められている)
テレーズの右腕の骨は、彼女のバジリカにありますし、細かな骨や髪の毛は
世界中の教会に、第1級の聖遺物として分けられています。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

ここからが本題です。

ヴァッスーラ・ライデンは、偽預言者ですし、そもそもカトリック信者でもありません。
メッセージも反カトリックであり
過去になされた予言も全て外れています。
そして過去の都合の悪いメッセージは削除しています。

>マリア・ワルトルタの著作も教皇や神父様たちによって意見が分かれ
>今ではバチカンの禁書目録の中に入っているようですが

禁書目録という制度は、今から50年以上前にパウロ6世により廃止されています。

>因みに私の通っている教会の近くのカトリック書店には置いてありました。

前・教皇ベネディクト16世が教理省長官だった時にワルトルタの著作は
条件付きで(つまり超自然性ではないと言う条件付きで)出版しても良いという許可を出しています。

>あなたはバチカンが認めたから信じたのか?
>バチカンが認めていなくても信じる者は幸いである。

私達は、カトリック信者である以上
そしてそれが罪でなければ、どんなことであれ
聖座に従順に従わなければなりません。

カトリック信者である事を宣言した上で
ブログを書いてる以上
それなりの責任を伴うことになります。
誰がこのブログを見て、誰が読んでるかわからないからです。

人によっては「バチカンが禁止しようが警告しようが
別に、個々の考えに従えば良いんだ」と思うかもしません。

ヨハネさんの好きなテレーズは「長上への不従順」を一番嫌いました。
ピオ神父の霊的子供だということですが
ピオ神父はバチカンに対しても、長上に対してもいつも完全に従順でした。
理不尽な扱いを受けても、公でのミサや告解が禁止されればそれに従いました。

バチカンが禁止したものであっても、本当によいものであれば
いずれは、その禁止も解かれます。
信じたければ、解かれてから信じれば良いと思います。

ヴァッスーラ・ライデンの一体、何が悪いのか?
あと最後に記した教理省からの通達も合わせて読んでください。

それでもヴァッスーラ・ライデンを信じるというのであれば
それ以上、何も申し上げません。

ただ不特定多数が見ているブログではすすめるべきではないと思います。
それは神への、そして教会への不従順だからです。

そもそも仮に教会が許可しても私的啓示は、信じる義務はないですし
教会もそれが本当に神からのものだとか、本物だ・・・とかは保証していません。
「あくまでも信仰に役立つのなら信じてもいいよ」レベルの許可なのです。

テレーズの愛した十字架の聖ヨハネも(カルメル山登攀の中で)
神からヴィジョンの多くは悪魔からのものだ
もっともらしいこと言って人々を騙し、信用させる
だからヴィジョンにせよ、啓示にせよ、これらのものから逃れよ・・・・と。

いずれによ、私達は、バチカンに、そして長上に対し
罪でない限り従順に従わなければなりません。

聖ジェンマは、何度もキリスト自身からあるいは守護の天使から
「服従です。理屈抜きに完全に服従です。・・・もし犠牲にまで
服従しなければ、お前を一人ぼっちにしてお前の敵に渡す」と
繰り返し教えていました。

ヴァッスーラ・ライデンであれ、他の私的啓示であれ
教会の許可の無いものは、信じたりブログに書いたり
しないほうがしないほうが良いと思います。 

それでは失礼致します。

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以下もご参考に・・・

ヴァッスーラ・ライデンの伝達に関して
http://hoarun.web.fc2.com/vas.html

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


偽幻視者ヴァッスーラ・ライデン

私的啓示もしくは出現が本物であるか否かについて、聖座が決定を発表することは極めてまれである。現代、このような決定は以前にもまして地方教会裁治権者の手に委ねられる。ローマが今回のように介入した裏には、主に、おそらくヴァッスーラがカトリック信者でなく、勝手なことを言って混乱をもたらす非カトリック者として、どのカトリック司教の裁治権にも属さない、という理由があるのであろう。しかしこの決定は、彼女の偽りの教えが、広くカトリックの世界にどれほど司牧的困惑をもたらしているかをも示すものでもある。


1995年10月6日
 
教理省からの通達
 
多くの司教、司祭、修道者、信徒は当省からギリシア正教会の信徒であって、スイスに居住するヴァッスーラ・ライデン夫人に関する権威ある判断を求めてきた。彼女は文書や講演で、世界のカトリック信徒の間に、彼女が天から来ると主張するメッセージを広めている。教理省によって「それらが本当に神からのものであるかを見るために、霊を試そうとして」(一ヨハネ四・一参照)なされた問題全体の冷静で、注意深い検討は、いくつかの肯定的要因の外に、カトリックの教義に照らしてみて、否定されねばならない種々の基本的要因を発見した。
 
これらの、いわゆる啓示があったとされる方法のおかしなあり方に加えて、そこにあるいくつかの教義的誤謬を強調する必要がある。とりわけ、三位一体のペルソナについては、神的ペルソナの特定の名前と働きが混乱してしまうほどに、曖昧である。これらのいわゆる啓示は教会内に反キリストがもうすぐ君臨すると予言する。千年至福説的スタイルで、神が最終的に栄光に満ちた介入をなさり、地上でキリストの決定的来臨の前に平和と普遍的繁栄の時代が来る、と彼女の予言は告げる。それだけではない。カトリックの教義に反して、一種の汎キリスト教的教会の到来が近いことが予言されている。
 
以上の誤謬が彼女の後期の文書にもう見られなくなったということは、彼女の言う「天からのメッセージ」が、単なる個人的黙想の結果でしかないことの印である。さらに、ライデン夫人がギリシア正教の信者であるのに、カトリック教会の秘蹟に恒常的に与ることによって、彼女はカトリック教会の各所で驚きの的になっている。それはまるで、彼女が教会内のすべての裁治権と教会法の規範を超越しているかのようで、実際、彼女が正教会の教会的規律を受け入れないので、彼女自身の教会を牧する司祭や信徒を含めて、彼女は複数の権威筋にとっていらだちの種である。
 
いくつかの肯定的側面にもかかわらず、ヴァッスーラ・ライデンの活動に関しては否定的結果があるので、当省は、信徒が適切な情報を持ち、彼女の思想が各自の教区内で普及しないように司教たちが介入するよう要請する。最後になるが、当省はすべての信徒がヴァッスーラ・ライデン夫人の文書や講演が超自然のものであると考えないように、そして主が教会に託している信仰の純粋さを保つよう招くものである。
返信する
Unknown (TOM)
2020-06-22 16:14:55
なお、読み終わったあとは
上記のコメは、削除してもかません
ヨハネさんへの私信ですので・・・
返信する
コメントありがとうございました。 (Tomさんへ)
2020-06-22 21:02:05
コメントありがとうございました。
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