カトリック信者なら告解を一年に一回はやらなきゃならないという決まりがあったと思う。
で、告解について考えてみた。
クリスマス前後に罪のゆるしの秘跡への招きがなされる。
自分もしようと準備をしようと思ったが仕事が忙しく、また、めまいが治らなく、それどころではなかった。
今もめまいは続いている。
以前は、準備して教会にいったものの、神父様は現れなかった。
告解には、タイミングがあると改めて思った。
確かにクリスマスイブ前や、四旬節には必要かと思う。
でも、聖体拝領したいがための回心の決意のない告解や、そういう時期だから的な告解ならしないほうがよいと思う。
回心してまた再度頑張りますと心に決めた時が告解の時だと思う。
だから私は告解していなくても聖体拝領する。
自分の罪を認識しながらも、神様の憐れみを信じ、自分の罪よりも神様の憐れみが大きいことを認め、聖体をいただかなければ明日からの元気がでないと神様に嘆願する。
告白の保留だ。
決して正当化されないことだが、神様はわかってくれていると思う。
中途半端な告白より神様は喜んでくださると思う。
なので、日々自分の時を狙っている。