John note~ヨハネのひとりごと

のんびりと気楽に書いてます。訪問し頂いた方に感謝。不定期。
書きたい時がきたら集中的に書くかもしれません。

あなたの職場に年の離れた年上が入って来ました、さあどうする?

2019-12-13 20:51:36 | のほほん雑記
あなたの職場に年の離れた年上(上司でもいい)人が入ってきました。

さあ、あなたならどう扱いますか?

いろいろなパターンがあると思いますが。

1、まず、あまり興味がないんでそれなりにする
2、一応、先輩なので、それなりにする
3、年上なので、敬語で接する
4、仕事を教える時も、年上なりの経験があるのでそれを踏まえて教える
5、上から目線で投げやりにおしえる。
6、ほぼ、一回しか教えず、その後のフォローもほぼしない。
7、困っていたら納得するまで教える。
8、自分のやり方に従わせる教え方をする。
9、ミスのみ叱責し、後はしゃべらない。
10、自分のミスはごまかす。
11、精神的に追い詰める。

いろいろありますが、上の事例は自分の経験したことと、同僚がやっていたこともあります。
私は、年上、年下に関係なく自分が教えてもらったことは全てを教えます。
神様からもらったことは、全てを他の人に与えなければならないと考えているからです。
よく、仕事をわざとに教えなかったり、一回しか教えなかったり、愛情なしに怒りながら教えるのが当然と言わんばかりに怒鳴り散らし教える人がいますが、それは間違っていると思います。

確かに、やる気のない、聞く気のない人がいますが、一生懸命やっているのに出来ない人もいます。よく、そういう時に限り教え手は「メモをとれ!」なんていいますが、教えるスピードが早くメモをとるどころではありません。

私達は自分で理解してはじめて正確にものを進めることができます。
教える方と教えられる方の感覚がアンマッチであれば、それは教える方の自己満足にすぎません、
確かに教えられるほうは文句は言えませんし、言うべきではないのです。
しかしながら後々の事を考えれば、はじめはきちんと教えたほうがいいのですよ。
きちんと教えば、あとあと何かしらで助けてくれることになります。
これが、きちんと教えることの見えない効果です。
そして、これが次々に広がり、その最初にきちんと教えた人の格が上がるのです。

現代は教える暇ない忙しい時代です。
確かに一つの職場に何十年も居座って、その仕事の全てを知っている人はいいのかもしれません。
でも、そういう人ばかりではないのですよ、世の中は。
会社都合により、自己都合により、また、病気により職場環境を変えなければならない人がいっぱいいる。
その中でやはり、弱い立場の人をどういう態度で迎えるのか、ということは人間としてかんがえなければならないことです。

特に私達カトリック者は。

カトリック者ならこういう考え方はしてはならないと思うことがあります。
自分がアルバイト、正社員がいる。
同じように働いているに、アルバイトだから給料も正社員より安いし、ボーナスもでない。
これに対して不平を言ってはならないと。
確かに、腹立たしい場面があると思います。
正社員は怠けているわけではないし、不正もしていない。
自分がアルバイトの契約書によって契約したわけであるから何も問題ない。
自分で決めた労働環境と労働賃金なのに、正社員に文句をいうアルバイトもいる。
それは間違っていると思うんですよ。

今は労働者改革によって、残業が減らされ賃金も減って大変な時代です。
しかし、私は病気になってから仕事をやらせてもらえることの感謝と頂いた賃金で生活をすることを心がけています。

未来はわかりません。
生活できないかもしれません。
でも、神様は鳥さえも養っているのに、人間を養わないなんてあり得ないとおっしゃっています。
イエズス様に信頼していれば何も怖いものはないのです。

1日1日を生きることにいたしましょう。