国家の主権は守らないといけません、言語も守らないといけません、当然。その上で書いています。
明治の初め、日本の政府が朝鮮王朝に特使を派遣した、当時の道中記があるようで、読んでみました。船でどこかに上陸したのでしょう、当時の交通を考えると、船しかありません。
上陸地から朝鮮王朝までの道中記ですが、かなり人々の暮らしが疲弊していた、その様子が書かれています。食料の不足、それは王朝に到達しても、ごちそうが出て来なかったようです。
日本政府の特使さえもてなす食料が不足していたような記述になっていました。昨日書いた記事の同じところからお借りした「無段借用」画像を貼り付けます。
山がはげ山になっています、数百年続いた洪水、旱魃の結果だそうです。
白い着物は民族の特徴を表していてすがすがしい。
人は暮らしていくのに燃料が必要です、第2次大戦後の日本を知っています、まさに燃料の奪い合い、と言っても日本では森林がありました、ただ、その森林を切り開いて食料生産の場としていました。
日本の田舎の奪い合いはだれが早く、燃料のあるようなところに行くかということで決して人のものを奪うということはありませんでした。
台風の後は海岸に木材が流れ着いていて、もちろん川から流れだしますの、まだ濁流の川に行って燃料を拾っていました。