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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【韓国の新聞】難波先生より

2012-10-08 14:22:37 | 難波紘二先生
【韓国の新聞】尖閣諸島をめぐる中国の反日暴動に対して多くの韓国人が、むしろ「無言の賛意」を呈したのは事実だ。竹島問題では熱烈愛国である。
 しかし韓国知識人も全員がバカではない。「朝鮮日報」のコラムにこういう意見が掲載された。http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/10/07/2012100700127.html


< 中国の覇権主義は常態化した問題と見るほかない。中国が大きくなればなるほど、力で押し切ろうとする動きが露骨になるのは明らかだ。問題は韓国側の姿勢だ。韓国には純真にも中国の善意を信じる観念的な親中勢力が存在する。彼らは中国を刺激すべきではないとの理由で海軍基地の建設に反対し、国防力増強の動きにも異を唱える。中国にやられた日本が切った取っておきのカードは日米安保条約だったが、韓国の親中勢力は中国が最も恐れる韓米同盟を弱めるべきだと主張する。
 中国が韓国だけを大目に見るというのは都合の良い錯覚にすぎない。韓国は経済的にも北朝鮮問題などの面でも、日本よりはるかに中国への依存度が高く、中国の脅しに弱い。このままでは、近い将来に暴走する中国のナショナリズムの前に屈服を強要される状況に追い込まれかねない。 中国に対する経済的、外交的カードを持ち、海軍力を高め、対応能力を強化することは、韓国の国家のプライドと直結する国家存亡の問題だ。しかし、今後5年間の政権を争う与野党の大統領候補者は、誰もその問題に触れようとしない。どうすれば中国の前に奴隷のように服従せず、国家的なプライドを守れるか答えを示すべき候補者たちは、見て見ぬふりで沈黙を続けている。=朴正薫(パク・チョンフン)編集局副局長兼社会部長>


 この人は、「醒めていて」近代朝鮮史が、愚かな政治家の右往左往により、日本に併合されて行ったことを理解している。ただそれをまともにいうと、韓国民衆に袋だたきにされることを承知している。


 有道氏とレストランでの夕食の際に、「全称命題」と「個別命題」についての議論をした。彼は「日本人は…」というくせがある。
 「◯◯は…」という際に、その◯◯がある集団(集合)についての言明である場合、「は」で表現すると英語のBe動詞と同じで、その集団(集合)についての包括的規定をあらわす。これが「全称命題」である。
「人間は死すべき存在である」というのは全称命題で、例外が1例でもあれば成り立たない。
 前提命題が公理である場合に、それから正しく演繹されて命題(系)は、全称命題であっても正しい。


 これに対して「が」で表される命題は、「個別命題」であり、それは包括的な規定ではなく、ある個人やもののある時間における行動や状態を表す。「日本人が…」という場合は、日本人という全集合のなかの一部またはある個人を指しているので、英語だと「A Japanese…」となる。


 「日本人は…」とか「朝鮮人は…」というのは、全称命題であって、すべての日本人または朝鮮人に対する規定である。


 全称命題が可能になるための条件は二つあり、一つは演繹法である。もうひとつは帰納法である。
 「すべての人間は死す」という前提命題があれば、これから演繹される「日本人は死す」という全称命題は正しい。


 他方「日本人は対外的に卑屈である」という命題も日本人全部の集合についての言明であるから、全称命題だが、これは「人間は卑屈である」という前提命題から演繹的に導き出されるわけではない。
従ってこれは、「日本人Aは卑屈である」、「日本人Bは卑屈である」と進み、「日本人nは卑屈である」とn人の日本人が例外なく卑屈であることを検証し、「積分法」により全称命題に到達するしかないわけである。これは帰納法による経験論的な命題であり、演繹法による命題と異なり、確かさは確率論に基づいている。


 「日本人Aは卑屈である」というのは個別命題で、本当に卑屈かどうかは話者の判断であり、そこにも主観性が含まれるが、「日本人は卑屈である」という全称命題とは明らかに異なる。


 実は、議論の際に、しばしば個別命題と全称命題が混同され、それが誤解の元となることがある。「韓国政府は…」という場合は、今の政権を指しているのであり個別命題だが、「韓国人は…」というとこれは全称命題であり、「全ての韓国人」を指すことになるので、トラブルのタネになりやすいのである。「日本人は…」という場合も同様だ。
 これを避けるには「韓国人の多くは…」とか「韓国人の中には…」というように、全称命題を避けて「部分命題」にすればよいのである。


 「二国間の国民の平均値の差よりも、たえず個人差の方が大きい」というのが一般的にいえることで、韓国にも中国にも現在の自国の狂信的ナショナリズムを、憂いの眼で見つめている個人はいる。「朝鮮日報」のコラムニストがそうである。事態はいつでも振り子のように揺れるのであり、やがて冷静化の方に揺れ戻すだろう。日本の一部メディアにもそれを予測して、真の友好的な近隣外交を確立するための努力を期待したい。
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