満を持して乗り込んだはずが、思いもよらない展開になりました。八時を回ったところでようやく暖簾をくぐります。
順を追って申しますと、開店の10分前に現地入りして仲間を待ったところ、家庭の事情により行けなくなったというまさかの知らせが入りました。しかも、開店時刻を過ぎても提灯がつきません。釈然としないまましばらくやり過ごしてから戻ると、縄暖簾をくぐっていく人影が遠巻きに見え、もしやと思い店先へ行ってみると、視界に入ったのは先客で鈴なりになったカウンターでした。
この状況から察したのは、事情を知る常連客だけ通すという前提で、あえて明かりを消しているのだろうということです。そう気付くに至り、年に一回訪ねる程度の分際で、暖簾をくぐってよいものかが悩ましくなったとでも申しましょうか。そのように思うのは、一人で呑むことについては一昨日でやり尽くした感があり、特段思い残すことがなかったからでもあります。むしろ、さらに重ねて訪ねることで蛇足にもなりかねません。仮に行くとしても、お客が一巡する頃を見計らって訪ね、挨拶がてら軽く一杯やって終わりにするのがよかろうと考えました。
しかしこれが一筋縄ではいきません。お客が一巡するまでをどうつなぐかと考えたとき、まず思い浮かんだのが赤羽の「まるます家」でした。しかし現地に乗り込むと、想像を大きく超える行列ができており、取り付く島がありません。代わりを探そうにも店があまりに多すぎて、これはと思うところは混んでおり、どうにも決めようがありませんでした。
赤羽から退散した後、次なる候補として閃いたのが城北の聖地「斎藤酒場」です。何度も通えることを重視するようになってからというもの、教祖がいかに推そうとも、生活圏から外れた都内の酒場は敬遠してきたのが実情ながら、一生に一度巡礼するならまたとない機会ともいえます。しかるに十条で電車を降りると、今度は祝日のため休業との張り紙がorz
こうして二時間が空しく過ぎました。九時を過ぎれば落ち着いてくる可能性が高いとはいえ、そこまで引き延ばせば正真正銘の最後が近付いてきます。さすがにそれは御常連の方々に譲るべきでしょう。入れるかどうかにかかわらず訪ねてみて、振られれば挨拶だけして帰る覚悟を固め、玄関の前に立ちました。すると、店先で一服していた青年から、予約はあるかとの一言が。やはり今日は予約の常連客だけ通しており、事情を知らずに来たお客は断っていたようです。全て承知の上と打ち明けて、挨拶だけでもと申し出たところ、肴はもうないとの断り付きで、どうにか入店を許されるという顛末です。
そのようなわけで、通されたのは一番奥のテーブルでした。カウンターと手前のテーブルは御常連で埋まって入り込む余地もなく、奥のテーブルが荷物置場兼引越のための作業場と化していて、その片隅に一人ぽつんと座るという、端から見れば何とも痛い状況です。肴がないのはもちろんのこと、お湯割りのグラスも全て出払っており、代わりに出てきたのは角ハイボールのジョッキでした。
しかるにさほどのいたたまれなさを感じなかったのは、これがある意味分相応に思えたからでもあります。というのも、先客が皆顔見知りの常連同士だからです。人並み程度の社交性があるならともかく、自分がこの場に溶け込めそうにないのは明らかでした。いの一番に訪ねたところで、楽しめなかった可能性は十分あります。少なくとも、日頃の姿からかけ離れているのは間違いありません。片隅で焼酎一杯飲み干して、素早く去るべきだろうと悟るのに、さほどの時間はかかりませんでした。
とはいえ、無駄足だったとは思いません。隠居していた大女将がここぞとばかりにお出ましになる一方で、引越の準備が早くも始まるなど、最後をしみじみ実感する場面に充ち満ちていたからです。店内を見渡せる一番奥のテーブルを、一人で借り切れたのはむしろ幸運だったともいえます。
一昨日は慣れ親しんだ日頃の姿を、今日は御常連で賑わう最終日の光景を見届け、名酒場の最後に末席とはいえ立ち会うことができました。しかし、今週限りと知らされなければ、来週何も知らずに乗り込んで、もぬけの殻になった店を前に立ち尽くしていたでしょう。咄嗟の機転に感謝します。
順を追って申しますと、開店の10分前に現地入りして仲間を待ったところ、家庭の事情により行けなくなったというまさかの知らせが入りました。しかも、開店時刻を過ぎても提灯がつきません。釈然としないまましばらくやり過ごしてから戻ると、縄暖簾をくぐっていく人影が遠巻きに見え、もしやと思い店先へ行ってみると、視界に入ったのは先客で鈴なりになったカウンターでした。
この状況から察したのは、事情を知る常連客だけ通すという前提で、あえて明かりを消しているのだろうということです。そう気付くに至り、年に一回訪ねる程度の分際で、暖簾をくぐってよいものかが悩ましくなったとでも申しましょうか。そのように思うのは、一人で呑むことについては一昨日でやり尽くした感があり、特段思い残すことがなかったからでもあります。むしろ、さらに重ねて訪ねることで蛇足にもなりかねません。仮に行くとしても、お客が一巡する頃を見計らって訪ね、挨拶がてら軽く一杯やって終わりにするのがよかろうと考えました。
しかしこれが一筋縄ではいきません。お客が一巡するまでをどうつなぐかと考えたとき、まず思い浮かんだのが赤羽の「まるます家」でした。しかし現地に乗り込むと、想像を大きく超える行列ができており、取り付く島がありません。代わりを探そうにも店があまりに多すぎて、これはと思うところは混んでおり、どうにも決めようがありませんでした。
赤羽から退散した後、次なる候補として閃いたのが城北の聖地「斎藤酒場」です。何度も通えることを重視するようになってからというもの、教祖がいかに推そうとも、生活圏から外れた都内の酒場は敬遠してきたのが実情ながら、一生に一度巡礼するならまたとない機会ともいえます。しかるに十条で電車を降りると、今度は祝日のため休業との張り紙がorz
こうして二時間が空しく過ぎました。九時を過ぎれば落ち着いてくる可能性が高いとはいえ、そこまで引き延ばせば正真正銘の最後が近付いてきます。さすがにそれは御常連の方々に譲るべきでしょう。入れるかどうかにかかわらず訪ねてみて、振られれば挨拶だけして帰る覚悟を固め、玄関の前に立ちました。すると、店先で一服していた青年から、予約はあるかとの一言が。やはり今日は予約の常連客だけ通しており、事情を知らずに来たお客は断っていたようです。全て承知の上と打ち明けて、挨拶だけでもと申し出たところ、肴はもうないとの断り付きで、どうにか入店を許されるという顛末です。
そのようなわけで、通されたのは一番奥のテーブルでした。カウンターと手前のテーブルは御常連で埋まって入り込む余地もなく、奥のテーブルが荷物置場兼引越のための作業場と化していて、その片隅に一人ぽつんと座るという、端から見れば何とも痛い状況です。肴がないのはもちろんのこと、お湯割りのグラスも全て出払っており、代わりに出てきたのは角ハイボールのジョッキでした。
しかるにさほどのいたたまれなさを感じなかったのは、これがある意味分相応に思えたからでもあります。というのも、先客が皆顔見知りの常連同士だからです。人並み程度の社交性があるならともかく、自分がこの場に溶け込めそうにないのは明らかでした。いの一番に訪ねたところで、楽しめなかった可能性は十分あります。少なくとも、日頃の姿からかけ離れているのは間違いありません。片隅で焼酎一杯飲み干して、素早く去るべきだろうと悟るのに、さほどの時間はかかりませんでした。
とはいえ、無駄足だったとは思いません。隠居していた大女将がここぞとばかりにお出ましになる一方で、引越の準備が早くも始まるなど、最後をしみじみ実感する場面に充ち満ちていたからです。店内を見渡せる一番奥のテーブルを、一人で借り切れたのはむしろ幸運だったともいえます。
一昨日は慣れ親しんだ日頃の姿を、今日は御常連で賑わう最終日の光景を見届け、名酒場の最後に末席とはいえ立ち会うことができました。しかし、今週限りと知らされなければ、来週何も知らずに乗り込んで、もぬけの殻になった店を前に立ち尽くしていたでしょう。咄嗟の機転に感謝します。