日本列島旅鴉

風が吹くまま西東、しがない旅鴉の日常を綴ります。

この季節の楽しみ 2014(21)

2014-07-06 19:18:42 | 野球
開幕から三度目の週末を迎えて沖縄大会が復活。東北、関東、東海、近畿、九州の各地でも12大会が開幕し、地方大会もいよいよ本格化してきました。しかし、開幕当日の試合数は限られると経験上分かっています。後日まとめて振り返ることにして、もうしばらく県別ネタを続けましょう。取り上げるのは中国地方の二県です。

岡山
このblogで繰り返し主張してきた仮説の一つに、「岡山と熊本は似ている」というものがあります。立派な城址が鎮座し、市内を電車が走り、人口が70万でほぼ等しく、近年政令指定都市に加えられたという点まで同じです。同様の違いは、県庁所在地だけでなく県単位でも当てはまります。たとえば面積は、熊本が47都道府県中15位で、岡山が17位です。人口は岡山が21位で熊本が23位とこれまた近接しています。
そして、このような形式面以外に岡山と熊本が共通するのは、「悪くはないが、周辺に比べて地味」という点であると指摘してきました。すなわち、佐賀などと違って存在感自体が希薄というわけではありません。しかし、岡山であれば兵庫と香川と広島、熊本であれば福岡に鹿児島という、それぞれ豊富な見所を持つ隣県に比べると、地味な印象がどうしても拭えないのです。

このような中途半端な位置付けは、高校野球にもそのまま当てはまります。選手権に58回出場して62勝58敗勝率.517の岡山県勢は、勝利数で歴代20位、勝率では19位と、まさに可もなく不可もなし。56回で58勝56敗勝率.509の熊本県勢は、勝利数が25位で勝率が21位と、見事なまでに似通っています。選手権の優勝が一度もなく、選抜で一度だけ優勝しているなど、共通点を挙げればきりがありません。
岡山の特徴をしいて挙げるとすれば、上位校が限られ、しかもそれぞれの戦績が伯仲している、悪くいえば大差がないということでしょうか。まず、選手権の歴代出場校は11校という少なさで、奈良の6校、高知の7校、秋田、福井、徳島、鹿児島の10校に次ぎ、鳥取と並ぶ少なさです。これらのうち、秋田と鹿児島以外は30校前後の小規模大会であることを考えると、岡山大会における出場校の集中ぶりは全国屈指といえます。しかも、出場1回限りのチームが二つしかない一方で、過半数の6校が5回以上出場しているという点が独特です。

しかしそれ以上に特筆すべきは、江戸時代から続く伝統校が三校あるということです。一つは岡山朝日であり、寛文年間の創立以来今年で実に338年。高等女学校を発祥とする岡山操山と県都の双璧をなし、岡山大安寺、岡山芳泉、岡山一宮を加えて「岡山五校」と並び称される存在です。同様に倉敷青陵、倉敷天城、倉敷南、倉敷古城池を「倉敷四校」と呼びます。第一、第二で区別する茨城、東西南北で区別する長野県の東信北信に対し、岡山では固有名詞で区別する中信南信方式が主流です。そうかと思えば岡山には市立の商業学校を前身とする岡山南もあり、こちらは春夏合わせて10回の甲子園出場経験を持ちます。同じく19回の甲子園出場と岡山県勢唯一の優勝経験を持つ岡山東商とともに、岡山市における公立強豪校の双璧というべき存在です。
やや脱線しましたが伝統校の話題に戻りましょう。二校目に紹介するのは、岡山朝日に四年遅れて創立された、閑谷学校を発祥とする和気閑谷です。岡山朝日と同じく藩校を発祥としながら、こちらは庶民に門戸を開いた最古の学校として、歴史の教科書にも載るほどの伝統を有します。閑谷と書いて「しずたに」と読ませる先人の感性も秀逸というほかありません。格式の高さにふさわしい校名をもつという点では、山形の米沢興譲館、福岡の修猷館、伝習館に育徳館、熊本の済々黌などと並ぶ全国屈指の存在です。
もう一校の伝統校は、山形の名門と同じ名を持つ興譲館です。歴史の長さこそかなわないものの、幕末に井原の代官により開かれ今年で創立161年、6年前には選抜大会に出場した経験もあります。昨年と四年前は県4強、一昨年は8強入りした実績もあり、上位進出も十分期待できる実力校です。

もう一校注目するのは津山高専です。「八つ墓村」の題材となった「津山事件」で知られる程度の、県外人にはなじみの薄い山間の町ではありますが、実は岡山、倉敷に次ぐ県内3番目の人口を擁する町でもあります。そして、高専のある場所というのは、このような県外ではなじみの薄い、しかし県内では五指に入る町という場合が非常に多いのです。しかし残念なことに、県の名前を冠して独特の立地をぼやかしてしまうところも多く、津幡の石川高専、鯖江の福井高専、本巣の岐阜高専、大和郡山の奈良高専、御坊の和歌山高専、南国の高知高専、霧島の鹿児島高専、名護の沖縄高専と枚挙に暇がありません。その点、正々堂々「津山」を名乗る同校の校名は好ましいものがあります。同様の例として中国地方では呉、徳山、宇部、米子が、四国地方では阿南と新居浜があります。

広島
我が国において七大都市圏を定義するとき、関東、中京、京阪神に続くのが札幌、仙台、広島、北九州・福岡の四都市圏ですが、これらの中で人口が最小なのは広島だという衝撃の事実があります。200万強の人口は、500万人台中盤である福岡・北九州の半分に満たず、今や札幌、仙台にも及びません。
しかし、高校野球の歴史を振り返ったとき、三大都市圏と互角以上の戦績を残してきたのは紛れもなく広島でした。たとえば、優勝回数、勝利数、勝率のどれをとっても10傑に入っているのは、神奈川、大阪、兵庫、和歌山、広島、愛媛の6府県だけです。東京、愛知、京都の3都県は勝率が10傑に届かず、千葉は勝利数、福岡は優勝回数で10傑入りしているのみ。北海道、宮城、埼玉の3道県に至っては、10傑に入るものが一つもありません。我が国の高校野球史上において、広島県勢が残してきた業績はそれだけ偉大なのです。
広島の高校野球の歴史は、瀬戸をはさんだ愛媛とよく似ています。草創期から県都の商業校が盟主として君臨し続ける中、複数の好敵手が現れ覇権を競ってきたというもので、盟主とはもちろん広島ならば広島商、愛媛ならば松山商です。好敵手とは広島ならば古くは呉港、次いで広陵、昭和末期は広島工、平成では如水館。愛媛ならば西条、今治西、川之江に宇和島東、近年ではなんといっても済美でしょう。これらの好敵手に盟主がいつしか追い越され、今世紀に入って以来全く振るわなくなったところまで同じです。広商といえば自身印象深いのが、「やまびこ打線」の異名をとった全盛期の池田により、ものの見事に粉砕された昭和57年の選手権決勝です。少ない走者をバントで送るという、広商が自ら作り上げてきた伝統的な高校野球は、30年以上も昔の当時でさえ、既に時代遅れだったということです。いつの日かこの古豪が、現代の高校野球に適応して復活を遂げることはあるのでしょうか。

岡山に負けず劣らず伝統校が豊富なのも広島の特徴です。まず東の横綱は安政年間創立の福山誠之館、西の横綱は享保年間創立の修道、どちらも藩校を発祥とする名門です。藩校のほとんどが廃藩置県により県に受け継がれる中、修道は私立として存続した希有な存在でもあります。私立の伝統校といえば前出の呉港もかなりのもので、文政年間創立の私学を発祥とする200年近い歴史を持ちます。
これだけの錚々たる面々が揃うと、ただの旧制中学も色褪せて見えるのは致し方のないところでしょう。しかし、県都における旧制中学の筆頭広島国泰寺といえば、記念すべき第一回大会の初戦を戦った広島一中の後身です。その一戦に敗れたのが最初で最後の全国大会という、ある意味永遠の伝説を残したチームでもあります。ちなみに第二中学は現在の広島観音、高等女学校は舟入と称し、呉ではかつての第一、第二、第三中学がそれぞれ呉三津田、呉宮原と広を名乗るといった具合に、広島の校名の付け方は岡山と同様です。

最後に注目するのは広島商船高専です。読んで字のごとく、全国に4校しかない商船高専の一つで、大崎上島に所在する離島勢の一角でもあります。一風変わった校名もさることながら、4校中3校が瀬戸内の小島にあるという立地がよく、静岡の天竜林業、愛知の瀬戸窯業などと並んで、物珍しさと旅情を同時に感じさせてくれる職業校です。

それにしても、奈良に入ったあたりから急に伝統校ネタが増えたような気がします。この先中国、四国、九州のどこへ行ってもこの手の話題には事欠きません。俄然楽しくなってきました(ニヤリ)
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